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ブラジルのカーニバル (Carnaval)

 ブラジルでは先週末からの「カーニバル休暇」が火曜日で終了しました。厳密には「灰の水曜日」の午後から通常通り。でも、当然ながらお祭り騒ぎは今年は一切無しでした。

 カーニバル中止に至るまでには7月への延期説など色々ありました。決定的だったのは「カーニバルはコロナの予防接種を受けてから」というリオデジャネイロの市長の一声と、各サンバ学校の代表たちも意見も一致したためです。例年なら遅くとも9月ごろからカーニバルの準備に入るそうですが(サンパウロの我が家でも太鼓の音がどこからともなく聞こえて来ます)、自粛期間でその時間や資金も足りず、開催するとなれば密集を避けることは難しく苦渋の決断だったようです。

 カトリックに於ける「灰の水曜日」は、40日間に及ぶ、復活祭の準備期間(四旬節)の始まりを意味します。肉食断ちなどの節制期間(quaresma)直前の宴の謝肉祭(カーニバル、ポルトガル語でcarnaval)から数えて40日目の満月の日曜日がイースター、つまりキリスト復活の日に当たるそうです。

 今ではこの節制期間中、肉食を慎む国民はごくわずかだと思いますが、緩く自分の好きな食べ物を断つ、という方々はいるようです。中学時代の娘の友達はこの期間にチョコレート断ちをしていました。

 でも、イースター直前の数日間だけ肉食を避け、代わりに魚料理を食べるという家庭が今は最も多いかもしれません。この週ばかりは朝市にも肉屋さんの店舗は並びません。

 この節制には、イエスキリストが荒野で断食していたこの期間を、祈り、節制、慈善の精神を持って心身を清めましょう、という意味があるそう。その節制期間の前に思い切り弾けておきましょう!というのがブラジルのカーニバルなのでしょう。

 ところでカーニバルといえば、ブラジルではリオデジャネイロのカーニバルが有名ですね。(敢えてセクシーなお姉さま方の写真は大々的には載せませんが。)

 煌びやかな衣装、陽気なサンバのダンスや歌声、賑やかな打楽器の演奏、そして豪華絢爛な山車の数々。華やかなパフォーマンスを目当てに、会場には世界中から観光客が集まって来ます。

 このパレードは名門サンバ学校同士が優勝を競い合う熾烈なコンテストで、多額な賞金も用意されます。だから参加者は真剣勝負そのもの。数ヶ月をかけて演奏や踊りの練習に励み、テーマに合った山車や衣装を用意します。1チーム3,000〜6,000人が行列をなし、会場を練り歩く様はもう圧巻。それぞれの持ち時間は約1時間。カーニバル期間中は連夜10時くらいから夜中パフォーマンスが続きます。1番の見どころは一軍が行進する日曜、月曜日の夜になります。

 夫は独身だった頃、ブラジル北東部のバイーア州、サルバドールのストリートカーニバルに参加したことがあったそうです。観光客でもお気軽に参加出来るパレード。ショッキングピンクの地に、サンバ学校のマスコットのクロコダイルがプリントされた揃いのTシャツがその年の衣装でした。写真で見たその出立ちはなんとも滑稽なこと!サルバドールのカーニバルは夜通し街中を踊りながら練り歩くというもので、夫と、当時サンパウロに駐在されていた日本の方は、最後は疲れや筋肉痛、靴擦れでボロボロだったそうです。

 コンテストではなくても、カーニバル期間中に街のあちこちの道路が封鎖され、大音量で音楽を流せばそこがカーニバル会場になります。それをBloquinho、ブロキーニョと呼んでいます。ブロキーニョは主催者によって、大学生を中心とした若者向け、子供でも参加OKの家族向けなど色々あり、地元の人たちの楽しみとなっています。

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これは昨年、娘が撮って来た写真です。かなり密になりますね。


【本日のオススメミュージック】

 今回は小野リサさんのCarnavalという曲をご紹介しましょう♪


 小野リサさんはブラジル、サンパウロ 生まれ。ブラジル音楽好きでライブハウスを経営されるために渡伯されたご両親とともに10歳までサンパウロでお育ちになったそうです。

 ご家族で日本帰国後、ご両親は東京、四谷にブラジル料理、音楽のお店を始められ、リサさんも15歳からギターを弾きながら歌われていました。夫は日本での研修時代にそのお店を訪れ、リサさんとお話をしたことがあったそう。気さくで感じの良い方だったとか。まだブレイクする前だったか、ライブを聴いてお話まで出来たなんて、なんとも羨ましいこと! 

 日本ゴールドディスク大賞を受賞したアルバム、meninaは「女の子」という意味。夫がお会いしたリサさんはまだ20代でアルバムタイトルを彷彿させる可愛らしい方だったそうですよ♡

 カーニバルを歌ったこの曲ですが、詞の最後の部分

ねぇ、カーニバル きっと言いに来て 貧しくとも世界一幸せな国民だ、ということを

 はどんな状況でも人生を楽しんでしまう、ブラジル人の国民性をよく表しているなぁと思います。

 それにしても、このアルバムを聴いていた当時は、まさか自分がブラジルで暮らすことになるとは夢にも思っていなかったのです。ポルトガル語も全く理解出来ないまま、ただただ心地よくて曲は聴いていたのですが。。人生いつどうなるか分からないものですね。

 因みに私はブラジルに移り住んで今年で27年目を迎えますが、カーニバル会場でサンバを踊ったことはありません。。

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