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《改稿版》はるきたりなば きみ とおからじ Episode 01-03

Memento mori side


伊達家ご自慢のバスルームは、日本に来る前にエディに見せられた動画配信サービスで紹介されていた老舗旅館のそれと似ていた。ここまで案内を務めたハルは、日本式の風呂の入り方を一通り説明すると、「ごゆっくり」と脱衣所の引き戸を閉めて出て行った。
(へぇ、木の匂いがする風呂か)
アッシュは、肩に背負っているバックパックを床に下ろす。その場にしゃがみ込んで着替えを取り出そうとすれば、モスキート音が聞こえた。普通の人間には聞き取れないkHzに設定されている携帯電話を取り出す。それはリックから待たされた電話だった。エディが持っている携帯電話とは違い、一般には出回っていない特殊モデルだ。高い防水性機能は勿論のこと、様々な機能が装備されている。
しゃがみ込んだままだったアッシュは立ち上がり、液晶画面に指を滑らせて携帯電話を耳に当てる。すぐに「いま家のどこにいる?」とリックの声が聞こえた。
「風呂」
「アイツは何を考えてる。強要したのか?」
「いや、サムライが笑顔で聞いたら日本人がOKした」
「素性のわからない人間を招き入れる日本人も……」
三十代のリックは、英語ではなくワザとスペイン語で話しながら溜息を零す。
彼は、ある理由からアッシュの体内に埋め込まれているマイクロチップから発信される情報から、宿泊予定の高級ホテルではなく、このトノの別宅に移動したことを知っていた。それだけではなく職業柄、ハルやトノ、シダラの経歴まで短時間で調べ上げていた。
電話を耳に当てたままのアッシュはリックの話を聞きながら、もう片方の手を使ってバックルを外す。続けて穿いているジーンズやボクサーパンツを脱ぎ、靴下も脱ぐ。そしてほんの一瞬電話を耳から離し、フード付の服を脱いで全裸になった。その筋肉質な身体には、左肩から肘にかけてブラック&グレーのインクでイーグルのタトゥーが入っており、数々の修羅場をくぐり抜けてきた傷痕が幾つもある。彼は幼少期から裏社会で名の知れた暗殺者だ。いまはリックと組んで殺し屋をしているが、かつてはある組織に属していた。
服を脱いでバックパックから着替えを取り出す僅かな時間で、この家の住人である三人の簡単な経歴を教えられたアッシュは、口端を引き上げる。
「へぇ、三人揃って優秀なんだな」
そう言いながら、あの三人はスペイン語が理解できないのだろう、とアッシュは悟る。
首元のシルバーネックレスを身に付けたまま、バスルームの引き戸を開けて中に入る。
「いいか、三人に勘付かれるような行動は取るなよ」
「ハルは、勘付いてるみてぇだぜ」
「オレが何者かまでは、わかんねぇみたいだけどな」
「何か言ってきたのか?」
「いや、何も。だから、あんまくだらねぇこと考えない方がいいぜ、とは言ってやった」
「間違っても手を出すなよ。面倒なことになるからな」
「社会奉仕中はルールに従うぜ。そんなことより……」
日本の風呂を見せてやるよ、とアッシュはビデオ通話に切り替えて、バスルームシェルフに電話を置いてシャワーの蛇口を開く。頭上から降り注ぐ熱い雨に打たれる。ハルが自由に使っていいと言っていたシャンプーやボディソープで、頭や身体を順に洗っていく。
「アイツが喜びそうな風呂だな」
「ドラマで見たとおりの日本家屋だ、とか言ってはしゃいでたぜ」
「だろうな。浮かれすぎて余計なことを喋らないように言ってくれ」
「もう喋っちまってるかもな。オレは日本語がわからねぇからな」
「俺も行くべきだったか……、今朝リウが、そっちに仕事で向かった」
「シッターならオレよりリウの方が向いてるぜ」
「そうだな。俺の方からリウに連絡を入れておく」
「なぁ、ソルはどうしてる?」
「お前を捜してたぞ。さっき撮った写真を送ってやる」
「Gracias」
シャワーを止めて頭から滴る雫を払うかのように頭を振ると、シェルフに載せていた電話を取った。そのままバスルームから出ようとすれば、「せっかくだ。バスタブに浸かれ」とリックの言葉に足止めされてバスタブの方に振り返る。素直に湯気が立ち昇るバスタブに浸かると、その蓋を利用して携帯電話を立て掛けた。リックと会話をしながらアッシュは、両腕をバスタブの縁に掛けて長い足を伸ばす。伊達家の面々が言っていたように180センチあるアッシュでも、もうひとり入れそうな余裕があった。
「今日行った街は面白かったか?」
「まぁな。うぜぇくれぇ女に声掛けられた」
自分の容姿に無頓着なアッシュは、日本・外国人関わらず若い女に声を掛けられた理由がわからなかった。
「そうか、何て言われたんだ」
「一緒に写真撮ってくれ。でもリウのように断ったぜ」
「いい子だ。日本食は食べたのか」
「キャンディーアップル。あれもう一回食いてぇ」
「それはお菓子だ。そういえば、お前に食べさせてやったことがなかったな」
帰ってきたら作ってやるよ、と電話の向こうで琥珀色の酒を飲んでいるリックは微笑む。
実は、キャンディーアップル(リンゴ飴)は、ハロウィンの定番お菓子として知られている。しかし、アッシュはそれさえも知らず食べたことがなかったのだ。
「さっき、あのブランド肉……」
そこまで言いかけてアッシュは、人の気配に気づいて引き戸の方に振り返る。
「どうした?」
「サムライが来るから切る」
「お前の経歴を聞かれたら、日本に行く前に教えたとおりに話せ」
そう言ってリックは人差し指を口元に立てると、その指で画面の向こうにいるアッシュの唇を軽く叩いた。「Buenas noches」と微笑まれたアッシュは笑い返して電話を切る。それを手にバスタブから立ち上がる。そのままバスルームから出ると、丁度廊下に面した脱衣所の引き戸をエディが開けたところだった。
「大丈夫か?」
「何が」
アッシュは携帯電話を持っている手の甲で、顔の汗を拭いながら言った。
「なかなか居間に戻ってこねぇから、ぶっ倒れてねぇか様子見に来てやったんだ」
「そりゃ、どうも」
バックパックに携帯電話を投げ入れて、バスタオルを棚から取る。「次、入るんだろう」とアッシュは身体を拭きながら、着替えを脇に抱えているエディにバスルームの方に向かって顎をしゃくる。
「どんな風呂だった」
「そのでかい目は飾りか。自分で見ろよ」
そう言いながらアッシュは、ボクサーパンツとスポーツブランドのジャージを穿く。続けてジップアップジャケットを手に取ったものの、長く湯船に浸かっていたこともあり熱くて着る気になれず、それを手にバックパックを肩に掛けて脱衣所から出た。
素足で歩いている磨き上げられた廊下の床から伝わる冷たさが心地いい。長風呂で火照った身体をクールダウンしてから居間に戻ろうと思ったものの、喉が渇いていることもあり客間にバックパックを置いて居間に向かう。





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