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01_みんなと「地元」をつなげる人

こんにちは、編集部の中嶋菜月です。
突然ですが、皆さんは地元好きですか?

今回、新しい「地元」の在り方を提案する“超帰省協会”発起人の守屋真一さんにお話を伺うことになったのですが、地元大好きというわけでもない私がどんなことを聞けるだろうかと悩みました。悩み、考え、まずは自分の地元への気持ちを書きだしてみました。守屋さんのインタビュー記事に入る前に、少しお付き合いください。それぞれの地元を思い浮かべながら。
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家族がいて、友達もいて。一人で泣きながら電車に乗った日も、みんなでバカみたいな大声で歌って帰った日もある。私の18年間が詰まった地元。

地元はある。だけど、そんなに好きじゃなかった。自分じゃない誰かになりたくて、山梨を出て東京の大学に入って間もなく1年。地元を思い出そうとはしなかった。

元気?連絡ちょうだい?
母からの電話は無視し続けた。
次はいつ帰ってくるの?
帰省するたびに聞く、このセリフが嫌いだ。

どうしてみんなは地元が大好きで、「地元のために...」とかって言えるんだろう。わからなかった。
だって、トウキョウは楽しい。なんでもある。(でも、私の思い出はなんにもない。だから、トウキョウが好き)

一人暮らしの日々のなか、スーパーで山梨名物のほうとうを見つけた。思わず手を伸ばしたけど、ひどく他人行儀な気がしてすぐに手をひっこめた。

これが地元と私の正直な距離。
ある人にとって地元はもっと身近で当たり前なものなんだろうけど、誰しも地元を好きでいなきゃいけないのかな。地元は1つしか選べないのかな。よくわからない。

ここまでいろいろ書いてきたけど、地元と私の近くない距離についてお伝えしたかったわけじゃない。私はきっと、好きとか嫌いの垣根を越えて、もっと自由に「地元」の話がしてみたいんだ。そう思う。

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長くなりました。今回の取材がなければ、意識的に地元について考えることもなかったように思います。
“超帰省協会”守屋さんの詳しい活動内容・プロフィールについてはこちらからご覧いただけます。

建築と街づくりと地元をつなげ、地元とみんなをつなげていく守屋さん。ほっとするような笑顔と前向きな言葉が印象的でした。
(聞き手:土谷優衣、中嶋菜月 書き手:中嶋菜月)


選んできたもの。建築と「地元」と。

高校は神奈川県小田原市の高校に通っていました。生徒会に入って体育祭の実行委員とか文化祭の実行委員とか。そういう裏方のことをやっていました。スポーツが苦手で、音楽もできなくて、何やろうかなーって思っていた時にもともと裏方みたいなことが好きだったので、企画をやろうと。

大学も高校時代の延長で、学園祭の実行委員をやっていました。「芸能人誰呼ぶ?」とか。どういうステージをすると人の流れが一番いいか、とか。そういうことをやっていましたね。

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(写真左端が大学時代の守屋さん)

建築という学問に魅了されて。

大学は建築学科でした。僕の家族は旅行が好きで、長野とかによく旅行してたんですけど、神奈川から行くと東京を通るんです。首都高から見える東京の街がすごくかっこよかった。東京はずっと好きだったし、多分それがきっかけで建築に興味を持ち始めたんだと思います。

でも、課題の度に「建築向いてないな〜」「建築嫌だな〜」ってなっていました(笑)。3年生くらいで、スランプというか挫折があって。建築向いてないかも〜って思ったのが、「空間」について学ぶときでした。どの空間がかっこいいか、っていうのをあんまり理解できなかったりとか。かっこいい空間をつくることもできなかった。

その頃、どうしても勝てない同期がいて、自分が勝てる道を探そうと考えたんです。同じ建築のなかでも、空間に何をつくるのか、という方を自分の強みにしようと思って、企画寄りに行ったっていう感じですね。例えば、美術館をつくる、という課題の時に「もっと街の人が来やすいようにカフェと併設したり、オフィスのある美術館にしましょう」みたいな。何をつくるか、に重きを置く方向性に変えました。

建築のなかでいろんな道を探しながら、それでも自分が飽きないで続けてこられたのはそれだけ奥が深いのと、建築はあらゆることに絡むからかなと。世の中の距離感とか人と人の関係性をつくっていくのも建築で、そういう意味では、全部を包括できる学問かもしれないな、って。それで、興味を持って飽きないでやってきているんですかね。

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つまずいたから、ここにたどり着けた。

実は一回目の受験は失敗しちゃって、浪人したんです。その結果、なんとか今の大学に入れたんですけど、僕にとって受験で失敗した、っていうのは一番大きな挫折だったかもしれないです。

浪人の1年間ってめちゃくちゃ早く終わるんです。それがすごくショックでした。だから大学入っても、4年間ってすぐ終わっちゃうな、って思ったんですよ。こんなに自由な時間はもうないから、とにかく詰めてやらないとすぐ終わっちゃう、みたいな勝手なプレッシャーがあって。とにかくフットワークを軽くしよう、と意識し始めたのがその時でした。

たぶん違う道を選んでいたとしても、それはそれで楽しい人生だったと思うんですけど、浪人したり建築のなかで頑張ったり、今の選択をしたから今の自分がいる。こうやって超帰省のプロジェクトやったりとか皆さんに会えているのも、当時の自分の選択なので、すごい感謝していますし、良かったなって思います。

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二拠点生活のはじまり。昼間の喧騒と夜の静けさ。

家は神奈川の秦野という田舎だったので、ドラマや映画で観る東京のキラキラしている感じとか、人がいっぱいいる感じとかには憧れていました。大学も東京にあって、東京に住みたい気持ちはありました。ただ、私立理系で学費も払ってもらって一人暮らしも、っていうのはちょっと申し訳ないな、っていう気持ちもありました。

結果的に実家から大学に通ったんですが、移動時間が結構好きなんです。小田急線の端から端まで乗っていくので、座れるんですよ。そこでパソコンでの作業ができたので、集中できるいい作業時間でした。大学のゼミも遅くまで残らなければならない研究室だったんですけど、終電早いんで、って先に帰れるんですよね(笑)。みんながゼミをしている間に、自分は電車の中で作業ができて、課題も早く終わらせられる、みたいな(笑)。

昼間は東京の人がめっちゃいるような場所にいて、夜は静かな地元に帰る、っていうことで、心のバランスが保てたなーって思っています。ある意味、当時から二拠点居住していたのかもしれないですね。そのバランスはすごく良かった、っていうのは今でも思います。

あこがれの裏側にあった「地元」。

地元に対してちょっと嫌だなーみたいな気持ちもありましたよ。小学校も1クラスしかないような場所で、顔バレしちゃう。守屋さん家の息子、みたいに。中学校では生徒会長をやっていたんですけど、中学は6クラスくらいあったのに、顔バレしちゃった。見張られている感みたいなものがすごいあって。地元が嫌だなーっていう気持ちがありました。

地元だと「守屋の家の息子」っていうフィルターがかかっちゃうんですけど、東京だと自分自身を単体で見てもらえるな、っていうのがあって。そういう意味で、東京は好きでしたね。だから地元に目を向けるようになったのは、ここ1、2年ですね。28歳、29歳くらいになってやっとです。

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「地元」が見えてきた。

きっかけは、若干東京に飽きちゃったのと、疲れちゃったみたいなのもあって。悪い部分が見えてきた時に、地元に帰ってみたら、こっちの方が結構豊かかもなーって思ったんです。例えば、バーベキューをやろうってなる時も、東京だといろんな場所を調べて予約して、何千円っていうお金を払って狭いスペースでやらなきゃいけない。でも、地元だと河原でバーベキューをやろうと思えばできちゃうし、風景もいい。

同じ気持ちを持った友達が地元にできてきて、それもきっかけになりました。地元面白いよね、っていう仲間が増えてきた。その辺で、地元でもっと面白いことができるかもしれない、っていうふうに思ったのもあります。

あとは、実家が神社なんですけど、そこを継がなきゃいけないタイミングが来るっていうのもあって。実家を継ぐことに対しては、できたら誰かやってくれないかなーって思っていましたね。ずっと嫌だったんですけど、ポジティブに考えてみると、神社って街づくりのキーマンになれるな、って。お祭りをやっていたりとか、みんなの拠り所になれる場所かなって。こう考えると、今までやってきた建築とか街づくりとかのスキルを活かして、地元に何か貢献することが出来るかもしれない、っていう風に頭を切り替えたら、地元に戻ってみようかな、っていう風になりました。

「地元」って家族みたいだ。

地元って切っても切れないものだから、家族に似てるなーと思っています。血の繋がった親と育ての親が違います、ということもありますよね。生まれの場所はここだけど、育ったのはこっちですとか、結婚をして違う場所に移り住むとか、新しい家族ができるみたいに、新しい地元ができてもいいな、って。拠りどころ、帰りたくなる場所みたいな、何か切れないものだなーとは思っていますね。

超帰省をやっていると、東京在住の人に「地元があっていいね」って言われることがあります。でも東京も地元だと思うんですよ。転勤族で地元がないって言う人もいますが、そんなにかたく考えずに自分で地元を設定していいんじゃないですか、みたいな話もしています。
生まれ育った場所じゃなくても、思い出や思い入れがある場所、も地元だと思うので、地元を自分で設定できるようにしようよ、っていうのが超帰省の1つの提案です。

福岡すごい好きで、3年間住んでいたから僕の地元は福岡です、なんて勝手に言ったら地元の人に怒られるかもしれない、みたいな感覚。あれをなくしたい、そう思っているのはたぶん自分だけだよ、って。福岡の人の中には、福岡が地元です、っていう発言に対して、喜んでくれる人もいるじゃないですか。むしろ、嫌な人ってあんまりいないんじゃないかな。変な縛りみたいなものをなくそうよ、みたいなことを思っています。

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(第2回はこちらから)



ありがとうございます。 列島ききがきノートの取材エリアは北海道から沖縄まで。聞きたい、伝えたい、残したいコトバはたくさんあります。各地での取材にかかる交通費、宿泊費などに使わせて頂きます。そして、またその足跡をnoteで書いていければ。