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第7話 孔舎衛坂の巻

【いっしょに〝記紀〟を旅しよう!】第7話 孔舎衛坂くさえのさかの巻

 3月10日、河内国かわちのくに 草香邑くさかのむらに到着した皇軍は、兵器を整え、4月9日 竜田たつたに向けて歩いて進軍を開始したが道が険しく引き返しました。

 一旦引き返した皇軍は、今度は一気に生駒山地を越えて内つ国うちつくに(大和)へ入ろうとしたんですが、それを察知した長髄彦ながすねびこ軍が全兵力を動員して待ち構えていて、孔舎衛坂くさえのさかで激戦となりました。

 皇軍が山を越えようとした道が日下直越道くさかのただこえみちで、途中に神武天皇の兄 五瀬命いつせのみことが負傷した場所の石碑、傷を癒やしたとされる霊泉龍の口れいせんりゅうのくちや、孔舎衛坂顕彰碑くさえのさかけんしょうひなどがあります。

 それらは、生駒山地の主峰 生駒山の北に位置する 饒速日山にぎはやひやま日下山くさかやま)にあります。饒速日命にぎはやひのみこと哮峰たけるがみねに天降られた後、この地に宮を築いたという伝承が山名の由来になっています(他にも宮の伝承地有)。

日下直越道くさかのただごえみちは登り口がいくつかあります。私は大龍禅寺のほうから登りました。写真は龍鳳洞にある道標。
善根寺春日神社 こちらにも登り口があります。
境内には古戦場の石碑もありますが、
彦五瀬尊御負傷の地と書かれた石碑
霊泉 龍の口
神武天皇聖蹟孔舎衛坂顕彰碑
ふもとの日下神社くさかじんじゃ前の公園から写真を撮りました。写真中央が饒速日山にぎはやひやまと思います。ひょっとしたら住宅でよく見えない左の峰かも知れません。あやふやですみません。

 流れ矢が五瀬命の肘に当たるという悲運に見舞われ皇軍は進軍を止めます。その時に神武天皇が、

「いま私は日神の子孫であるのに、日に向かって敵を討つのは、天道に逆らっている。一度退却して弱そうに見せ、天神地祇をお祀りし、背中に太陽を負い、日神の威光をかりて、敵に襲いかかるのがよいだろう。このようすれば刃に血ぬらずして、敵はきっと敗れるだろう」と仰せられ、一同そのとおりですと言った。

全現代語訳 日本書紀 上 講談社文庫

古事記は神武天皇ではなく五瀬命が、

「我は、日の神の子孫として、日に向かって戦うことは不吉であった。だから賤しい奴から深手を被ったのだ。もはや今は向きを変え遠回りして、日を背中にして敵を撃とう」と誓った。

新版古事記 角川ソフィア文庫


〝記紀〟の違いが現れている個所ですね。「日本書紀」は最初から神武天皇じんむてんのうが天皇として描かれていますが、古事記はこの時点では神伊波礼昆古命かむやまといはれびこのみこと天皇すめらみこととは記していませんし、上記記述から軍の司令官は長兄の五瀬命いつせのみことであるかのようです。

ちなみに先代旧事本紀の当該部分も載せておきます。

瓊瓊杵尊ににぎのみことの孫の磐余彦尊いわれびこのみことが西の宮から出発して、みずから船軍を率いて東征された時、方々で反抗する者が蜂のように群がり起った。いまだに服従しない中つ国(大和)の豪族 長髄彦ながすねびこが軍勢を集めて抵抗した。天孫は戦い続けたが勝つことはできなかった。

先代旧事本紀 現代語訳 批評社

 

 さて、草香津くさかのつまで退却してきた皇軍は、盾をたてて雄叫びをあげました。そこでこの地を改め盾津たてつと名付けたと記します。

住宅街の一角に神武天皇聖蹟盾津顕彰碑が建っています。
位置的には日下直越道からまっすぐ下ってきたところにあります。

 

 盾津の記述のあとに、「ある人が大きな樹に隠れて、難を免れる事ができた。それでその木を指して恩は母のようだといった。時の人はこれを聞いて、その地を母木邑おものきむらといった。今飫悶廼奇おものきというのはなまったものであるという地名の由来が記されます。

 唐突に挿入された感がありますし、孔舎衛坂くさえのさかの戦いで隠れて難を免れたある人って誰? 母木邑おものきむらってどこ? なぜ「はは」ではなく「おも」なの?など疑問の多い記述ですね。

 それぞれについて地元伝承も含めて調べたんですけど、かなり長くなるし、東征ストーリーに影響を与えるものでは無いので、また別の機会に書くことにします。

大阪府八尾市に神武町という町名があります。神武町にあるので神武跨線橋。町名の由来となった神社伝承等も調べましたが、、

 
 次回は、日本書紀には茅渟ちぬの海 山城水門やまきのみなと、古事記は血沼ちぬの海 男水門おのみなとと記さをれる地を訪れます。お楽しみに〜!

  

ランチタイム

東大阪市日下町から京阪電車萱島駅(寝屋川市)まで車で移動して、駅近くの食堂 ねぼけ(根保家)さんで煮魚定食を頂きました。

ご飯おかわり自由、これで750円(税込)は安いですよね!




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