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〜正規雇用に戻りたくて〜①

私の社会人生活は大学の契約職員としてスタートした。

2008年のリーマンショック後、就活市場は厳しくなっていた。アメリカ留学から帰国したのが2008年春。すでに私は4年生に進級していて、10月から復学予定だった。同級生は既に内定が決まっていて、一年下の学年と就活を始めるということになった。

留学して教職も取る予定だったので、卒業も同級生から半年遅れて、2009年9月となる。
就職をするにしても、9月からもしくは2010年4月から採用してくれる企業を探すしかない。就活の拠点は大学がある山口県。県内では志望する業界での就活も難しそうだったので、東京や大阪へ遠征する交通費も必要。

タイミングが悪すぎるし、条件が厳しすぎる。

が、当時は無鉄砲というか、これがどれだけ厳しい試合になるかということが全くわかっていなかった。

「留学してアメリカンな気分も味わっているし、日本なんて よ・ゆ・う⭐︎」

と鷹を括っていたくらい。

案の定、エントリーシートさえ中々通らない日々。通った後何度か筆記試験や面接に行ったが、擦りもしない。

13社くらい受けたところで、もう気持ちも萎えてきて、どうすれば良いかわからなかった。第一志望も最終面接で落ちた。(後々この会社は倒産したので、今では落ちて良かったと思っている。)

社会の仕組みとかもわかっていなかったので、とにかく自分のせいだとだけ思い続けていた。やりたい仕事とかもうないし。どうなでもなれ。もう自信も何も無くなって、面接行けたとしても、上手く話せなくなっていた。

「せっかく留学までしたのに。」

という思いだけが募った。

結局就職が決まらないまま卒業を迎え、実家のある北海道へ引き上げることに。

実家に帰ってからも就活は続く。

「せめて奨学金の支払いが始まる4月までには仕事決めないとなぁ〜。」

実家も田舎だったので、真冬の寒い中、札幌や函館などの都市部まで2時間〜4時間くらいの遠征をする日々。やはり交通費もかかった。

悶々とした中、夜中に雪が降り積もる誰もいない田舎の街を、歩きに出たことがある。1時間ほど歩いて、実家の雪捨て場に横たわって、リアルにこのまま凍◯しないかなと思った。

涙が込み上げてくる中、ふと夜空を見上げた。空気が澄んで、星空が綺麗だった。

「私が◯んでも、地球は周り続ける。生きていても◯んでも同じ。それなら、生きよう。」

雪の上から起き上がり、暖かい家の中に戻った。

しかし、仕事はすぐには決まらない。一つ違うのは、この頃になると、面接も消化試合のようになっていた。凹むことは少なくなっていたように思う。

あんなに行きたくなかったハローワークにも通った。

さらに仕事が決まらないまま、3月になってしまった。気持ちが焦る。

何枚かもらってきた求人票の中に、大学での事務の仕事があった。給料は新卒の割には悪くなさそう。ただ3年満期の契約職員。正直大学にも事務職にも、たいして興味はない。

ただ、できなくはなさそう、という思いと、お尻についた長ーい動線の火が、スレスレまで迫っているという事実だけがあった。

面接に呼ばれ、行ってみると、今までとは何か違う雰囲気だった。面接官の職員も爽やかだった。

結局3月中旬のギリギリに、契約ではあるが大学に就職することになったのであった。

ここの職場で会った方達は今でも交流のある人が多いし、その後苦労することにはなったのだが、働けて良かったなと思っている。

〜②に続く。

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