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個性

久しぶりに電車に乗った。
特に都会的なその街には、とても美しい人ばかりが歩いていた。
美しい生地の服をまとい、ひらひらふわふわと歩いている。
私はそんな人たちを見るのが好きだ。
目を離しがたく振り返り、目で追い縋ること複数回。
こんな時同性で得だなと思う。
これほど暑くなければ花壇なりに腰掛けて、延々と眺めていたいものだ。
この様な往来では自分が小間使いになったかのような気がする。
美しい小間使いだっているのだろうが、なんというか脇役中の脇役のような気分。
脇役中ってこう見るとぱっと見服役中に似ている。
檻をつかんで貪欲に外を見る自分が目に浮かぶ。
そんな人たちを見ていると、悲しみとか焦燥感もわき起こる。
自分が決してそうなれない悲しみや、できるところまで努力してみるべきと思い、まだまだ努力したには程遠い自分が嫌になるのだ。
私の自己否定殿への道のりは、大通りの目抜き通りという性根なので、いとも簡単に落ち込んでしまう。
そんな中でも麗人たちはいくらでも私の目に映り、暗闇の中で観る華麗なインスタレーション作品のようだ。

華麗な街には華麗な洋服が売っている。
様々な風合いの生地を指先で味わいながら店々を歩き回る。
私の装いはいつも、何やってもちょっとダサい、である。
悲しいことに。
手に持ったハンガーの、品の良い襟元に変わりタックを施した、小花のワンピースを陳列へ戻す。

とにかく男性が途切れない女性がいた。
既婚者なので、彼女の旦那が絡んできて三角関係の修羅場になったりして、話題に登ることもしばしば。
その彼女は目を引く美人という訳ではない。
装いはごく地味な格好だ。
ただいつも靴下が変わっていた。
むしろ変。
かなり気になる。
すごく気になる。
彼女が数々の男性の記憶に、楔を打ち込んでいるのはそこなんだろうなと思う。
ファッションの大切な要素の一つに、人と違うというのがある。
私のちょっとダサいも個性になっていたりするのだろうか。
気を取り直して、柔らかな薄手リネンのトップスを手に取った。

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