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心に棘が刺さったまま、他人を傷つける大人たちへ

これまでの25年間の人生で、「心に棘を抱えた女性」に攻撃される的になったことが2度あった。
1回目は学生時代の友人から。2回目は職場の上司から。
どちらも非常に似ているパターンであった。

いずれも、私には「回避」しかできなかった。私の主治医である精神科医は「その手のタイプは回避が最善」と言っていたけれど、円満に別れられなかった気まずさは今でも残っている。
事の顛末を振り返ることで、私と同じような被害者の助けになるエッセンスを伝え、第二のわたしを救いたい。それがこの記事の目的である。
また、この記事を読むことで、加害者になる人間が少しでも減ることを祈っている。

学生時代の友人

学生時代の友人であった彼女は、彼女自身の比較意識が強すぎたがあまりに、劣等感を拗らせてマウンティングの塊になってしまった人だった。

誰も何もマウンティングしていないのに、勝手に自分に恋人がいないからといって恋人がいる人を嫌い、自分が輪に入れないからといって親睦を深めている人たちの悪口を言い、そんな調子で目に映るすべてを自分と比較して、自分と相手のどちらが優位かを品定めして、相手が優位だと認識した場合は徹底的に悪口を言うような人だった。
彼女の中で「自分以下」だと認識した劣等感を刺激しない相手とだけつるみ、その相手のことさえも自らの優越感のために悪口を言うこともあった。

私は彼女の中で優位だと認識され、徹底的に攻撃されまくった。恋人の悪口を言われる、顔に文句を言われるなど、すべてに文句を言われ、一挙手一投足を否定された。
結果、私は自律神経失調症になって彼女と縁を切った。この時に受けた傷は癒えるまでに2年相当かかったんじゃないかという気がする。

現状、彼女は私が出会った中で人生最悪の人間である。彼女が最悪たりえる所以は、彼女の醜い物差しを間近で当て続けられたことによって、その物差しが私の脳内にインストールしてしまったことによる弊害が大きいからだ。私自身の性格まで醜悪になってしまった。
まるでマルウェアのように、彼女の物差しを当て続けられた人間にまでその物差しが感染して、増殖する。その事実を鑑みると、やはり精神科医の言う通りこの手のタイプは「回避」が最も有効で、なんなら相手のその素性が判明した時点で、可能な限り迅速に、物理的に距離をとることが必要不可欠なのだと思う。
ここで、昔は仲が良かったから、ほんとは悪い人じゃないから、などという情は一切切り捨てなければならない。私はこれができなかったために病気になってしまった。どれだけ酷いことをされても相手の良心を信じ続けていて優しすぎたし、自分を守るために長年の友情を切り捨てる度胸がなかった。(まるでDV被害者だ)
自分を傷つけてくる相手に優しさをかけるのではなく、勇気をもって、自分自身に優しさをかけてあげるべきだったと深く後悔している。
危害を加えてくる相手のことは、バッサリ斬ることでしか己を守れない。

職場の上司

職場の上司だった彼女は、口を突いて出るのはいつも自慢話か、悪口か、批判ばかりで他人の話に対しても碌に相槌を打たず、自分の話をするような人だった。
物事のネガティブな面に意識が向く脳になってしまっており、ポジティブな出来事には反応せず、粗探し系のタスクではいつも発言が多かった。
まだ30代だったが、若干認知症の気があり、気に入った特定の社員の話題をほぼ毎日口にしたり、同じ自慢話を何度も若手に聞かせたりした。
人見知りの内弁慶で、最初こそ丁寧であるものの、彼女の中で何かを超えたら一気に相手への言動がキツくなり、叫ぶ怒るは当たり前の、思いやりも配慮も一切欠いてくるような人だった。
結果、私はうつ状態と診断され休職した。ここでも私は、学生時代の友人のときのように、最初の印象がよかった情に引きずられ、相手は悪い人ではないと思い込み、相手を嫌わないよう努力し続けてしまった。優しさの使い方を間違えていた。
しかし進歩した点として、前回の経験があったため自分を守るために距離をとる休職という決断が比較的早期にでき、傷は浅く済んだ。

彼女たちの共通点

彼女たちのどちらも、心の傷が「私を愛して認めてよ!」とうずいているのがわかる人たちだった。
痛々しかった。心の根っこではほんとうは自信がなく、寂しさを感じていることが伝わってくるからだ。

しかし当たり前だが、自分が心に傷を抱えているからと言って、それが他人を攻撃していい理由にはならない。

大人は皆、何かしら傷を抱えながらも、それでも他人に愛と思いやりをかけながら生きている。そこに人の尊厳がある。
思いやりや気遣いは「社会を回す潤滑油」であり、人が人たりえる「理性」の産物だと思う。オイルなしに剥き出しの負の感情を他人にぶつけてしまう大人は、理性を欠いた野獣、人以下の動物だ。子供ならまだしも、大人には到底許されない。

繰り返しになるが、この手のタイプは「回避」が最も有効で、相手のその素性が判明した時点で、可能な限り迅速に、物理的に距離をとる必要がある。そこに情や遠慮は一切無用である。

自分以上に大事にすべきものなんてないのだ。
わたしは、自分を大切にしてくれる人を大切にするし、自分を大切にしてくれない人を大切にする必要はない。
自分に愛と思いやりを真っ先に注ぎ、その余剰で他人に愛と思いやりをかける。そうしないと、心の傷が膿んで、彼女たちのように他人を攻撃し傷つけてしまいかねない。
自分で自分を認めて、自分に水やりをしながら、人は生きる。

私の知らないどこか遠いところで、彼女たちの心の傷がいつか癒えますように。そしてこれ以上、彼女たちによる被害者が出ませんように。
私はただ、祈るばかりである。

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