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乙女の心構え「ぼくたちは自身のことを「メンヘラ」などと呼ばない」

病みかわいい、って流行ったじゃないですか。
ぼく嫌いなんですよね、あれ(暴)。

理由は様々あるんですが、1番デカイのは
「別にちょっと心が弱い人が「カワイイ」などと持て囃し精神疾患をファッションにしている」
ところが薄ら寒いんですわ。

こちとら好きで精神疾患になってねえんじゃいと。

どうやらリスカだのODだのをやるのがスタンダードみたいになってますが、んなことせんわいと。
むしろ体の傷ならこの間のじんましんのかき壊しの方がひどいぞ。自前のカッター持ってないし、カミソリは怖いから必ず安全刃のものしか買わないし、薬は病院からきっちり28日分しか貰えないからめちゃくちゃ大事に飲んでるんだよ。

ぼくは必ず、自分の美学として、自らのことをメンヘラとは呼びません。
もちろん同じような疾患をもつの他の方のこともメンヘラなどというチープな単語で呼びません。
「病みかわいい」なんて言う生易しい単語でこの苦しみをオブラートに包みたくありません。
世間様の言うメンヘラとやらと、ぼくの精神疾患は違うのです。根本的に。
そして、その区別こそぼくの中の美しさなのです。

その点、アーバンギャルドの「トラウマテクノポップ」というキャッチコピーは好きです。文字通り「トラウマ」なので。

だって、なりたくてなってないですもの。
生まれつきですもの。
文字通り「障害」「疾患」なんですもの。

生まれつきのものなら仕方ないのです。甘んじてぼくは受け入れます。
ただ、そんなぼくの苦しみをわかったフリして欲しくないのです。
「病みかわいい」を「病み」ではなく「かわいい」と捉えてしまう人に、ぼくの苦しみは絶対に理解できない。
あれを救いだというのなら、君たちはインターネットに侵されていると断言しましょう。
スマホを壊しなさい。今すぐ回線を切断しなさい。

本を読みなさい、映画を見なさい、音楽を聴きなさい。
救いは君が見いだせば、どこにだって現れるのです。

ぼくは病みかわいいには救われませんでした。
病みかわいいはぼくのビョーキの紛い物だったから。誰かを傷つけていたから。
君の本当の救いは、本当にそこにありますか?
君の本当の救いは、きっとインターネットという偶像とは別の場所にしかありません。
そろそろ現実に目を向ける時です。

メンヘラという言葉に自分の弱さを押し付けてはいけません。
乙女とは、己の弱さに向き合い自制して、孤高の存在であることなのだから。
そして、本来の意味で精神を病んでしまう人ほど、ぼくの「乙女」に近いのです。
君が乙女になりたいならば、今すぐ「カワイイ=美学」にストイックになるべきです。
そこに甘えを持ち込んではいけない。
自分の「美学」に釣り合う自分にならなくてはいけないのです。
それがどんなに手間のかかることであろうと、手間を惜しんではいけません。
手間をかけてこそ「美学」は輝くのです。
そうして生きることがどんなに苦しくても、血を吐いてでもやりとげなくてはいけません。
乙女ならば、自分の「美学」を否定するものや軽視するものを、全身全霊で呪いながら生きていかなければならないのです。
カワイイは呪いだとよく言いますが、乙女もある意味呪いです。
自分を輝かせる代わり、一生付きまとう「制限」。
その不便さこそが「美しく生きること」なのです。

そして、病みかわいいにそんなストイックさはぼくは見いだせなかった。
それだけのことです。

もし君が病みかわいいが好きならば、それはそれでいいんじゃないですか?
絶対、乙女には向いてないですけどね。
だって、己の悪趣味を露呈することより、自分の中の「病み」を宝石に替える方が、断然美しくありませんか?

ぼくはぼくの美しさを、ここで呪文のように吐き散らかすだけです。

ではでは、美しく生きましょう。

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