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「放つ!」の会得

さまざまなものを抱え込み、そのストレスによって心身の不調を訴える方がとても多くなっている現代です。子らの中にも多いです。

放(はな)てば手に満(み)てり

これは、道元禅師の言葉です。
ドイツ生まれの曹洞宗の禅僧であるネルケ無方(むほう)さんは、NHK『こころの時代』の放送のなかで、道元禅師のこの言葉に触れながら、次のように語っています。

自分は何のために生きているのか?
座禅をしてひょっとして生きる意味がわかるかもしれない…。そういう思いでずっと座禅を続けたんです。でも、座っても座っても手に入れたいものはなかなか手に入らない。そんなもの、そのすべてを手放す。あれもほしい、これもほしいと思う一切を手放す。もうどうにでもなれと、命をも手放して、このまま死ぬんじゃないかとも…。そういう時、もうここでお墓に入ろうという気持ちになると、「放てば手に満てり」。そこで気づくんです。今生きているじゃないか。今まさに生きていると…。そしてそれが生まれて初めて奇跡に思えた。ありがたいことに思えた。それまでは、呪いのようにしか思えなかった。なんで親は私を産んだのか、頼んでもいないのに。
仮に自分の全財産を手放して何ももどってこなかったとしても、一番大事なものは、もうある。普段はそれに気づかない。別のものを握ってしまっていから。

放送の中の言葉による

私たちの手の中にある「いっぱいのもの」。
これをこの手から放つことができれば、手放しきることができれば、手の中に自然と満ちているものが何であるかがわかるのだ、そこに満ちている大切なものに気づくことができるのだと、ネルケ無方さんは言うのでしょう。

このことは、
さまざまなものを抱え込んであえいでいる私たちに、「心を整える」ということはどういうことなのかのヒントを与えてくれます。

放つことで心を整える

どうか、その際には、
「先生として」とか、「親として」とか、「上司として」などという表現を、この「心を整える」という言葉の前につけないでおきましょう。それこそが、今私たちの手の中にごちゃごちゃとある「いっぱい」の正体のひとつだからです。それらは、ネルケ無方さんが言う「あれもほしい、これもほしい」の心と変わりありません。「今を生きている命の奇跡」。または、これにかわる「満ちるなにか」。このひとつが手に満ちているところまで放って自分の心を整えることができたら……。そう、すこしでもいいです。すこしの時間でもいいです。すこしずつでいいです。座禅を組むとまではいかないまでも、自分らしいやり方の「放つ!」を会得していきましょう。私もチャレンジです!

ひよっとすると、
5秒、手を合わせて、「いただきます!」を言うことからはじめられるものであるかもしれませんよ。

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