見出し画像

NZ life|横断歩道を渡るとき

ニュージーランド生活38日目。
天気くもり。気温19度。ちょっと汗ばむ、夏っぽい。

今日も今日とてお庭の手入れ。
朽ちてしまった葉っぱや伸びすぎた枝を剪定していく。


「思えば何の目標もなくニュージーランドに来ちゃったなあ」と鬱々としたり「何の線路も敷いてないからこそ選択肢は無限大だなあ」と持ち直したり、気持ちの波が激しい。


今でこそだいぶ落ち着いているけど、とある病気を抱えている。社会人1年目の頃は薬漬けの毎日で「1食につき薬を6種類飲む」みたいな日々があった。

本当は良くないんだけれど、自己判断で通院をやめてしまってから数年が経ち、今はとても穏やかに過ごせていると思う。


でもこの気持ちの波には十分注意しないといけないな、と常日頃から意識してもいる。たくさん話したり、やけに落ち込んだり、という繰り返しが一日の中に何度も起こると、それは間違いなく危険信号だ。


そして今、その危険信号の中にいる。

青は進め、赤は止まれ。その間にある、青がチカチカし始めている状態。渡るか渡らないかは自分次第だと思っていたけれど、あれは実際「急いで渡るか、それとも引き返すか。渡り始めるのはダメ」っていう意味で、やっぱり自分次第というか、自分の置かれている立場次第なんだろう。

心に耳を澄ませると、波の音がする。

気持ちが上を向いたり下を向いたりする音に紛れて、青信号がチカチカと点滅する音が聞こえてきた。




ニュージーランドに来て1ヶ月と少しが経つ。

何か目標を定めようと意気込むと、急に不安になる。家族や友人は「ダメだったら帰ったっていいんだよ」と言ってくれるけど、明確にダメだったと言えるものもわからず、始まったような始まっていないような生活に、ぼんやりとした不安だけが乗っかっている。

かといって、日本に帰るのも何だか乗り気じゃない。うっかりインスタにビーチの写真をあげて、そこが日本とはずいぶん様子が違うもので「今どこにいるの?」という会話から始まる近況報告。もっと会っておけばよかったな、なんて後悔しちゃう人も多い。

「コロナが落ち着いたら会おうねの」約束を守らずして、私は海を渡ってしまったんだなと反省する。


青信号がチカチカし始めているこの状況で、私はどっちに進めばいいか分からなくなっている。

横断歩道の真ん中で立ち止まっていては、そのまま轢かれてしまうけれど、急いで渡ることも、引き返すこともしたくないので、ここはひとつ、ゆっくり渡ってしまおうか。


いつ赤になるか分からない信号機。
間に合うかもしれないし、間に合わないかもしれない。立ち止まらずに一歩ずつ踏み出せば、ギリギリ渡り切れるかもしれない。


そんなことを考えて歩いていたら、最近引っ越してきたビーチで有名なこの町で、まだ信号機を見ていないことに気づいた。

というか、信号機がない。あるのは白と黒の横断歩道だけ。車の通らないタイミングで渡ればいいし、何なら車は必ず止まって道を譲ってくれる。


そっか、全ての横断歩道に信号機があるわけじゃないんだ。
車が来てなければいつ渡っていいし、もしも車が来たって止まってくれる。

そういう横断歩道で向こう側に行くのなら、「今すぐ判断せよ」と点滅する青信号のことも気にしなくていいのかもしれない。

私はいま、信号機のない横断歩道の途中にいる。
進むも引き返すも自由だけれど、車が来ない限り、そのまま立ち止まっていたっていいのだ。

少しだけ軽くなった心に耳を澄ませると、チカチカと点滅する音はもう聴こえなくて、波も落ち着いている。

今日も生きようね。

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?