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洋楽の歌詞が深くて楽しい。 Viva la Vida #3(続き)完結

前回までのあらすじ

前回(#2)と前々回(#1)でViva La Vidaの歌詞のベースになった歴史的なできごとや聖書のエピソードについての解釈を書きました。かつて栄華を極めた王様の没落と、自分の処刑が間近になって初めて国と国民の幸せを心から願う王様の姿が見えてきました。

前回(#2)と前々回(#1)はこちらからどうぞ。↓

王様の回想

今回は王様の最後の姿と、サビの部分の変化について書いていこうと思います。処刑を待つ王様の回想から2番は始まります。

It was a wicked and wild wind
Blew down the doors to let me in
wicked(=邪悪な)wild(荒々しい)風というのは、王様の回想でしょうね。Blew downも過去形なので、この邪悪な風がドアをこじ開けた、と読み取れます。

最初は王位を追われた時の話かと思ったのですが、let me in(=私を入れた)とあるので、王位に就いた時の話だと考えられます。つまり、この王様自身、順調に王位に就いたのではなく、おそらくはクーデターか下克上のような形でむりやり王位を奪ったのでしょう。

なので、1番の歌詞にあるとおり「正直な言葉(信じられるものは)何一つなかった」というのもうなずけます。当時の支持者たちが今は皆手のひらを返して今度は王様を追い落としたようなイメージが浮かんで来ます。

Shattered windows and the sound of drums
次の行では窓が割れ、ドラムの音が聞こえているので、やはりおだやかではありません。過去形なのでここも王様の回想が続いています。

「drums」はいろんな意味のイディオムがあって、どれがこの場面に当てはまるのかはわかりませんが、「軍隊を鼓舞する」とか「不愉快なものごと」が「繰り返し」などという意味がありました。わたしの想像したイメージですが、「王様が革命軍から命からがら逃れた日のことを思い出している」と解釈すると、次の行の意味がなんとなく見えて来ました。

People couldn't believe what I'd become
「人々は私の今の姿が信じられなかった」
what I'd become = what I had becomeと考えると、王様がこんな姿になったのは人々が信じられなかった(= couldn't believe)より「前」になります。

つまり、いきなり王宮を襲われ、命からがら(おそらく着の身着のまま)逃げ出したが、捕まって国民の目の前で連行されてしまい、そのときの国民の驚き、という場面を王様が今(囚われの身で)思い出している、という解釈になります。

フランス革命時、バスティーユ牢獄襲撃の報告を受けた国王ルイ16世は眠っていたところを起こされて、「ただの暴動ではないか」応じたところ、報告に来たリアンクール公爵は「いいえ、革命でございます」と答えたと言われています。「ベルサイユのばら」でいうと第7巻か8巻あたりです。

この王様も側近たちが裏切って蜂起するまで気がつかなかったっぽいですね。いつの時代も周りで何が起きているのかを王様は最後に知ることになるのだなあと思いました。

王様の運命

続く歌詞で、
Revolutionaries wait
For my head on a silver plate
Revolutionaries(=革命家)がwait (=待つ)ものは「銀盆の上の私(=王様)の首」です。「待つ」が現在形なので、王様の回想から映像が切り替わり、ここからは現在の状況になります。

「銀盆の上の首」というモチーフはマタイ福音書14章に出て来ます。イエス以前の救世主ヨハネは当時の領主ヘロデ王の結婚を非難したために処刑され、ヨハネの首は銀盆に乗せてヘロデ王に捧げられたとされます。ヨハネは自分の信者たちに「私の後に来るものが救世主だ」と言っていたので、この王様も自分の後に王になる者に望みをかけているかのように思えます。

Just a puppet on a lonely string
Just(=ただの)a puppet (=操り人形)on a lonely (=たった一本の)string (=糸)なので、この王様は実際の権限はそれほど大きくなく、革命者たちは次の王もお飾りにするつもりのようです。

Oh who would ever want to be king?
「誰が王になどなりたがる?」はフランスの王政撤廃・人権宣言の一部にある文言です。18世紀フランス革命でルイ16世は処刑され、その後ナポレオンはコルシカ島に流され、19世紀王政復古で王位に就いたシャルル7世は七月革命で亡命し、最終的に現在と同じ共和制になりました。この曲の入っているアルバムジャケットはフランス7月革命を描いたドラクロワの「民衆を率いる自由の女神」なので、全体的にフランスの激動の時代がこの歌のモデルになっているようですね。

I hear Jerusalem bells are ringing
Roman Cavalry choirs are singing
エルサレムの鐘が聞こえる
ローマの騎兵隊の歌が聞こえる

「エルサレムの鐘」は前回(#2)でも書きましたが、民衆の歓喜/王の処刑どちらとも取れます。前回はこの鐘が聞こえた時に王様は自分が処刑されることを悟ったのだ、と解釈しましたが、自分が王になった時も前王の処刑や国の混乱があったのだとすると、今回はかつて王位に就いた時の回想とも取れます。

歌詞の背景事情を知ることで、同じ歌詞で複数の解釈が可能になる場所を見つけるのは、歌詞の深読みをしている中でもっとも楽しい瞬間でもあります。

Be my mirror, my sword and shield
My missionaries in a foreign field
私の鏡となれ、剣となれ、盾となれ
異国の地で私の「宣教師」となれ

この箇所も同様に、複数の解釈が可能です。前回(#2)では自分が処刑された後、国の繁栄を願って「自分の思いや行いを(同じ過ちをおかさぬように)人々に伝えてほしい」と解釈しましたが、自分が王になった時に自分の権勢を広く伝えよ、という意味にもとれます。同じように国の繁栄を願っていても、ベクトルが向いているのが自分(王)なのか国民なのかが違うだけで、こうも印象が変わるのは言葉の力だなあとつくづく思います。

「鍵」とは何だったのか?

最初の1番の歌詞からずっと気になっていた「鍵」がここでようやく登場します。

For some reason I can't explain
なぜなのかは説明できないけれど
I know Saint Peter won't call my name
聖ペテロは私の名前を呼ばないだろう(とわかっている)

・・・「聖ペテロ」って誰?
何で聖ペテロが名前を呼ばないのがいけないのか?

「マタイによる福音書」第16章にちゃんと説明がありました。
「イエスは最初の弟子に「ペテロ(岩)」と名付け、天国の鍵を授けた。」

聖ペテロはイエスの後継者であり、12人の使徒の統率者であり、その亡骸はキリスト教の総本山であるヴァチカン市国のサン・ピエトロ(聖ペテロ)寺院に眠っています。聖ペテロは天国へ通じる門の鍵を持っているので、門番である聖ペテロに名前を呼ばれない=「天国に行けない」という意味だったのです。

王様は自分が王位に就いて、世界を我が物にしたと思った時「一瞬だけ」その鍵を手にしたと思ったけれど、実は自分の持っていたと思っていたものはすべて幻でしかなかった、と気が付いたのです。
その絶望感が次の歌詞で確認のように歌われています。

Never an honest word
But that was when I ruled the world

正直な言葉は決して存在しなかった
そしてそれが私が治めていた世界だったのだ

エルサレムの鐘

最後にもう一度サビの部分が歌われます。

一つ前までは I hear Jerusalem bells are ringingだったのに、「I(=私)」がとれて、「Hear」から始まっています。このことによって文章が命令文になり、意味と見える景色が変わってきます。

比べると違いがわかります。

I hear Jerusalem bells are ringing
Roman Cavalry choirs are singing
エルサレムの鐘が聞こえる
ローマ騎兵隊の歌が聞こえる

これまでは王様の居場所が塔の中の自室で、鐘の音も騎兵隊の歌も窓の外から聞こえていたようなのですが、「I(=わたし)」が取れるだけで映像がガラッと切り替わります。

Hear Jerusalem bells are ringing
Roman Cavalry choirs are singing
エルサレムの鐘を聞け
ローマ騎兵隊の歌がきこえるだろう

王様は今処刑場のギロチン台?の上、もしくは処刑場に向かう途中と思われます。とにかく塔の外にいて、自分や革命家に向かって歓声(罵声かもしれません)をあげる人々に対して自分の思いを飛ばしている映像が見えてきます。

細かい文法上の指摘とかはあるかもしれませんが、この物語の結末にはこの映像が個人的にしっくりきます。(私の解釈なのでクリス・マーティンが歌い忘れただけだったらごめんなさい。)

フランス革命で処刑されたマリー・アントワネットが処刑場(ギロチン)に向かう途中の肖像画が残っています。何度見ても悪意に満ちた絵だなと思うのですが、頭をまっすぐにあげて、最後まで毅然とした様子だったことがうかがえます。

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この歌詞の王様も最後まで王の誇りを持っていたのではないかな、と思いました。
Be my mirror, my sword and shield
My missionaries in a foreign field

鏡は神の映し鏡、剣は神のみ言葉、盾は信仰なので、「国民がこの後神の意志にそって正しく強く生きていってほしい、私と同じ過ちをおかさぬように人々に広く伝えてほしい」という王様の最後の心の叫びが聞こえて来ます。

For some reason I can't explain
I know Saint Peter won't call my name
なぜだか理由は説明できないけれど
聖ペテロはきっと私の名前を呼ばないだろう

天国に行けないと悟った王様は、その理由を最後に悟ったものの、誰にも言わなかったのかもしれません。言葉にしないうちに処刑が行われたのかもしれません。

Never an honest word
But that was when I ruled the world
そして信じられる言葉は何一つなかった
しかしそれが私の治めていた世界だったから

ということで、Viva La Vidaをよかったらもう一度聞いてみてください。

誰かが歌詞和訳して字幕付けてくださってますね^^素晴らしい。
(私の解釈が違っているところもありますがご容赦ください。)

全部お読みいただいた方もそうでない方も、ここまでお読みいただいてありがとうございました。完全に独断と偏見と妄想の世界ですが、少しでも歌詞の世界をお楽しみいただけたら嬉しいです。

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