うつになる過程⑥

そこから母方の祖母の家へ移動した。

苗字も変わった。

祖母は喜怒哀楽が激しく
日によって人格が違うような
デパスをODするような人だった

私たち姉妹を旦那の血が流れたけがれた
人間といい、妹は女狐と呼ばれていた

私たちは濡れ雑巾と呼ばれていた

私は祖母の機嫌を伺うようになった

母屋にやってくるドアを閉める音で
今日の機嫌がわかる。

バシッと閉めてくるときは
もう最悪。一緒にうぉーーーっと雄叫びまで
引っ付いてきたりする。

そのまま祖母は祖父の仏壇の鈴を鳴らし
般若心経を唱え、泣き散らしたり
怒鳴り散らしたり、、、

その声や音に怯える。

怖い怖い。


朝起きたら私のドアに包丁が
ささっていたこともあった。


私は泣くこともほとんどせず
毎日その生活に耐えた。
妹を守らなければと思う自分だった。

祖母の機嫌をとるため
家中を掃除したり
声をかけたり
いろんな行動をしていた

部屋の家具を壊されたり
振袖に塩をまかれたり
いろんなことがあった

祖母の機嫌をとるようになったが
私は1年で専門学校で寮生活を始めた

夏休みなんてものは最悪だった
ずーっと家に居なければならない
そんな辛いことはない。

母、妹、私、祖母の4人の生活は
苦しかった。

今私は無職療養中で収入源はありません。Twitterやnoteで鬱と向き合う自分を発信することが今一番生きがいがあります。もう少しこの場に居続けたい。サポートよかったらお願いします(>人<;)