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月が綺麗ですね以外の愛してる。

きのうあまりにヒマだったので、家で夏目漱石の『坊っちゃん』を音読していた。日本最高峰の文体やリズムを感じたい。なにより「夏目漱石を音読した」とnoteに書いて「えへへ」としたいから。

夏目漱石といえば「I love you」を「月が綺麗ですね」と翻訳した逸話が有名だ。後年の創作っぽいエピソードなのだけど。エピソードはこうだ。

教師だった漱石が「I love youを日本語に翻訳してみてください」と生徒に質問した。生徒は「我、あなたを愛す、です」と答えるので「それでは直接的すぎて奥ゆかしさがない。月が綺麗ですねとでも訳しましょう」と言ったとか言わないとか。



月が綺麗ですね。


『坊っちゃん』を音読しながらこの逸話を考えると、漱石の翻訳の意味するところにイマイチ納得できていない自分がいたことを思い出した。

なぜ月が綺麗ですねと言ったら I love youになるのだろう。あなたはまるで美しい月のようです、だから愛してます、ということだろうか。意味がわからない。わからないけど、まあいいさ、当時の私はそこで考えることをやめた。


しかしきのう、『坊っちゃん』を読みながら月が綺麗ですねの解釈を考えていると「あ、そういうことか」と合点がいった。


「月が綺麗ですね」は手紙、もしくは呼びかけ、つまりは連絡なのだ。1人で月を見ていて「わあ、今日の月は綺麗だなぁ」と感じたとする。この感動を1人で味わうのはもったいないので、好きな人に連絡するわけだ。

「月が綺麗ですね(いっしょに見ませんか)」

「月が綺麗ですね(あなたと見たいです)」


こういうことならば、たしかに I love youになる。月が綺麗ですねという一文の前後に意味が隠れているわけだ。なるほど漱石め、これはなかなかわからんぞ。やるな。


さて、こうなると I love youの翻訳を私もやりたくなってくる。愛している、ということをどうまわりくどく言うか。月が綺麗ですね風にちょっとやってみよう。



「ちょっと歩きませんか」

「寒いからこれあげる」

「いま髪切ってきた」

「花火やってるよ」

「たぶんこの映画好きでしょ」

「これ週末買ったスカートなの」


まずこのあたりだろう。これら全てのセリフの裏には「あなたのことが好きだ」というメッセージが隠れている。隠れているというかもう、にじんでいる。

個人的には「ちょっと歩きませんか」が佳作だろうと思っている。確定していないんだけどおそらく両想いの1番楽しい時期に「ちょっと歩きませんか?」って言われたら、胸がトクントクンだ。


これが付き合う・結婚する・子どもが生まれるとまた変わる。I love youが持つ意味は「あなたのことが好き」から「あなたを愛してる」に変わる。セリフはこうなるだろう。


「目玉焼き、きれいなほう食べな」

「こっちのほうが冷たいよ」

「暗いところで読んだら、目悪くするよ」

「ムリして行く必要なんてないよ」

「味噌汁の味、どう?」

「このキャラ、あなたにそっくりだね」


日常は目まぐるしくて、頭の中を考えがぐるぐる回るから、人への好きという気持ちや、家族への愛がなんなのか、たまにわからなくなる。


余計ななにかを言っちゃって自己嫌悪になることもあろうが、大切なだれかを思って声をかけるとき、そのセリフの前後には必ず I love you が隠れている。


夏目漱石の時代のような奥ゆかしさが現代では失われている。ネット上ではわかりやすいキラーワードがバズり、そこには意味の類推がない。だから、こういうことを考えられるような人間でありたいね。


〈あとがき〉
こう考えるとですね、お気づきのとおりだと思いますが、最強の愛情のひとつは親が子に対して抱く愛にありそうな気がします。あれこそ見返りを求めない無償の愛です。月が綺麗ですねもいいですが「こっちのほうが冷たいよ」のほうが I love youっぽいですね。今日も最後までありがとうございました。

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