8才が鳥を孵化させる話。
「車庫を作る」と父が言い出したのは、
私が小学校2年生くらいのときだったと思う。
北海道の田舎で暮らしていた我が家では、たいていの物を私の父が作った。
それは例えば、自宅の裏の大きな物置や、リビングに物を飾り付けるための棚、庭の柵だったりで、多くは父が図面を作り、木材を仕入れ、電動ノコギリで加工し、ネジを取り付け、長い時間をかけて作ったものだった。
「車庫を作る」と父が言ったものの、どんな車庫を作るのか、私を含めた兄妹たちは想像もつかなかった。
私が住んでいたのは、北海道の豪雪地帯であるから、当然、冬は大変な量の雪が降る。つまり、この積雪にも耐えうる設計をしなければならない。
父はリビングで車庫の図面をひき、必要な物資をリストアップしていた。毎週日曜日に少しずつ少しずつ素材をそろえ、そうして車庫づくりを開始した。
車庫は木で作ることになっていて、私が覚えているのは全部で6本の木の支柱が立ち始めたこと。太い木の支柱を支えるために地面に穴を掘り、父がセメントを流し込んで、支柱の土台を作っていたこと。
耐震構造のことはよく分からないけれど、父は「この世で最も強い構造は三角形なんだ」と言って、6本の支柱に「×」の形で木をくみ上げる。三角形が組み合わさって「×」印になる。
どれくらいの期間、車庫づくりをしていたのか、記憶は定かではないが、いつのまにか図面通りの車庫が完成。
父は汗を垂らしながら、
車庫にこげ茶色の塗装を施す。
最後に車庫の正面上部に「17-49(仮)」という住所の枝番を、これまた木で作り、それを貼り付け、とうとう我が家オリジナル、というか父オリジナルの車庫が完成した。
驚くべきは、これを父たった一人で作ったこと。そして、北海道の豪雪にもきちんと耐えられる構造であったことだ。
以来、この車庫は10年以上、私たち家族があの家を離れるまでずっとそこにあった。
冬になり、雪が一晩でドカッと降ると、朝起きた父は「車庫の屋根の雪下ろしが必要だ」と言って、屋根の上にのぼって雪かきをした。
私たちは、上にのぼらせてもらえなかったので、父が落とした雪をせっせと運ぶ。
雪かきをする妖精のように。
夏になると、木の車庫には鳥たちがやってきた。
リビングの窓からは車庫が正面に見えるので、鳥を観察する。
ある日、セグロセキレイというスズメサイズの鳥が、車庫上部のミゾに植物の枝や葉っぱをくわえて消えていくことに気づいた。
子どもながらに一発でわかる。
巣を作っているんだ。
鳥が巣を作る、という行為への子どもの好奇心というのは、アップルが新作を発表するときの大人の好奇心と同じくらいのもの。
鳥が、我が家の車庫に巣を作っている。
見たい。見たい。
「よし、見てみよう」と言って父がまず確認する。車庫の上部のミゾには絶妙なスペースがあった。いつもセグロセキレイが消えていく場所にハシゴをかけ、まず父が確認する。
みんなで確認した。小学生だ。
巣があった。
枝と葉っぱと鳥の羽毛、まあるい形になっていて、想像したとおりの巣ができている。セグロセキレイはスズメくらいのサイズなので、おそらくここには天敵のカラスも入ってこれない。
巣の中には何もなく、親鳥はどこかへ行っていたのか、それとも遠くで心配そうに私たちを見ていたのかは分からない。
それからどれくらいの日数が経ったか忘れたが、またある日、その巣をみんなで見てみた。もしかすると1か月以上が経過していたかもしれない。とにかく思い出したように見てみた。
すると、
タマゴが1個だけあった。
タマゴだ。タマゴがある。すごい。
…
気がかりだったのは、その1個だけのタマゴが巣の中にあるにも関わらず、セグロセキレイが巣に飛んでくる姿をぱったり見なくなったことだった。
何かがあったのだろうか。
今になって思えば、もしかすると、すでに他のタマゴは孵化済みで、子育ても終わり、孵化しなかったタマゴを残してどこかに行っただけのことと思う。
少年だった私は、
1個だけ残されたタマゴが不憫に思えた。
だから、
ある日曜日、家族みんなで札幌へ買い物にでかけるタイミングで、巣をのぞき、残されたタマゴを取り出して、手の中でやさしくにぎることにした。
温めれば孵化する、と思ったのである。
車の中で一人、家族のだれにも言わずにタマゴをにぎる。うずらのタマゴより小さくて、乳白色の小さなタマゴ。ほのかに命が漂う。
よしよし。とにかく温めよう。
そっとそっと。車の中でも、買い物先でも、私の体温でこのタマゴを温めよう。そうしたらヒナが孵るにちがいない。
…
1日中、タマゴを温めた。
まだかな、まだかなと思って温めた。
が、
なんの拍子か、タマゴを強くにぎってしまった。
といって、
手の中でタマゴが割れたのがわかった。
うわ、やってしまった……。
1日中、温めたのに。
手のひらを、そ~っと開く。
そこにあったのは割れたタマゴと、
その中からは、透明な液体。
いまならわかるんだけど、どうやらこのタマゴは無精卵だったみたいだ。中には最初からヒナなんていなかったのだ。
なーんだ、なんか損した気分。
と思って、手のひらの匂いを嗅いでみた。
もう、めちゃくちゃにクサかった。
それはそれは、悲しかった。
タマゴを割ってしまったのは、
小学校低学年のときだった。
次の年も、その次の年も、セグロセキレイは我が家の車庫にやってきた。
枝を運んで、巣を作った。何羽も何羽もそこから巣立っていったものと思う。
私は18歳になるまで、毎年のように車庫に飛んでくるセグロセキレイをずっと見ていた。
タマゴ、クサいんだよなぁ、と思いながら。
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