ピアスをするために耳に穴をあけるという発想。
飛行機に乗ると、CAさんがキラキラしたピアスをしていた。後ろ姿を見ると、そのピアスはしっかりと耳たぶの裏で固定されている。
歴史上、人間がピアスをいつからしているのかという疑問に対して、私は回答をもっていない。
装飾のためのピアス。
耳に飾りをつけるというのは歴史的に見ても凄まじくクリエイティブな着想からきた発明だと思う。この世界には、だれが発明したのかわからないが、でも現代でもみんなが当たり前に使っている素朴な発明品があるわけで。
それはたとえば、
・ベルト
・洋服のボタン
・ドア
・窓という発想
・鍵
このあたり。もう上記のラインナップだけで1本ずつエッセイが書けそうな気もするんだけど、その中でも「ピアス」の発明は群を抜いてクリエイティブだ。
ピアスには「機能」がないのである。
どういうことか説明しよう。
ピアスがつけられる耳は、頭つまり顔についているわけで、私たちは人と会うときに絶対に顔を見る。よく見られる場所にすてきな飾りをする、というのは発想としてすばらしい。考えたヤツはマジで美的センス抜群。
飾りである。
そしてお気づきだろう。
もう機能がない。
飾りだから。
そしてさらに思うのだ。
ピアスをするために耳たぶに穴をあけるという発想がすごい。この発想……たぶん古代人がしてるでしょ? ピアスを初めてしたのはどうせ古代人でしょう?
そうだと仮定して。
穴をあけるのはおかしい。だって痛いじゃん。シールじゃダメだったの? イヤリングもあるじゃん。あの耳たぶをクルクルしてはさむタイプのやつ。
穴をあけるのは痛いでしょ。
現代の私たちからすれば、ピアスをする=穴をあける、というのがある種の常識になっている。そりゃそうだよね。ピアスをするには耳に穴をぶちあけないとダメだよね。じゃないとピアスじゃないもんね。
いや、たぶんピアスを最初にしたのはどっかの古代人だと思うんだけど、これを最初にしたやつの勇気というか、美的センスというか、執念というか、ほんと感服する。
一瞬の痛みと引き換えに、永遠なる装飾。最初に耳に穴をあけたやつは、人生をわかってる。人生は痛みをともなうもんね。
そもそも耳ってのは音を拾うためのものだ。
それ以上でも以下でもないはず。
なのにある日だれかが気づいたんでしょ?
という着想をする時点で、もうビジネスの才覚がある。広告的発想だ。すばらしい。
シールじゃダメだったんだろうな。粘着性の何かだといつか取れるもんな。イヤリングもダメだよな、いつか取れるもんな。ピアスはどう?
取れないもんな。
で、着脱可能になって色とりどりで形状さまざまで、ふりふりしたりピタッとしたり、ほんとバリエーションは無限に近いもんな。それは全て、耳に穴をあける、という発想があったから実現できてるわけで。
大いなる力には大いなる責任がともなうことを教えてくれたのはスパイダーマンのベンおじさんだ。
ピアスは、何かを得るためには痛みをともなう、ってことを教えてくれる。私はこの人生でピアスの穴をあけたことはないから、ちょっと想像するだけでも怖い。
それを飾りつけるためには必ず痛みをともなうものって、ピアス以外にないんじゃね? と思ったら、そういやタトゥーもそうだった。
そう考えるとタトゥーを最初にしたヤツって。
もうやめておこう。
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