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RADWINPSに感染して

今日はただ私の好きなものの話。
ちょっとした自分語りを。

RADWINPSとの出会いはガラケー

私がRADWINPSと出会ったのは、16歳の高校1年生の時。

高校生になったと同時に初めて携帯を買ってもらった。
当時はガラケーが主流。
自分の携帯が手に入ってすぐ、既に携帯を持っていた姉に進められるがまま着メロサイトから適当な楽曲をダウンロードした。

「デフォルト着信音じゃダサいから」と、そんな理由だった気がする。

好きなアーティストも曲も特になかったので、何となくサイトの人気ランキングかなにかに表示されていたRADWINPSの「おしゃかしゃま」をダウンロード。

バンド名も曲も、これまで一度も聞いたことがなかったが、まあいいかとそんな程度の気持ちだった。

私がダウンロードした「着メロ」は、曲がそのまま流れる「着うた」とは違い、ファミコンみたいにカクカクした音がそれっぽく流れる仕様となっており、聞いたことのある曲でもない限りメロディラインはよくわからない。た。
(RADWINPSを知った今だからこそ分かるが)「おしゃかしゃま」みたいに早口のラップ調ような曲ならなおさらだ。
その時は、まあそんなものなのかという気持ちで設定を変えることもなかった。

そんなこんなでしばらく経ったある日、ふと自分の着信音が一体どういう曲なのかが気になりだした。

丁度YouTubeという存在が世間に知られだしたか出さないかぐらいの当時、なんとなくYouTubeの検索窓にRADWINPSの文字列を入力し、同じ曲名を探してみた。

「おしゃかしゃま」のMVを発見。

サムネの荒廃感や野田洋次郎のニヒル感に怯えながらも再生してみる。

瞬間、衝撃。

いままでアニメのポップなOPや、絞り出してもユーミン、YUI、オレンジレンジくらいしか聞いてこなかった邦ロック初心者の脳みそに、ゴリゴリのロックサウンドが流れ込んでくる。

歪んだ鋭いギターリフ、メロディというメロディのない歌、激しいドラム、ベースのスラップ音、どれもが初めての経験だった。
「ロックに目覚める」という表現をよく見かけるが、私にとって「ロックに目覚めた」のはあの瞬間であることは間違いない。
再生ボタンを押して3分47秒後から現在に至るまで、私の心はRADWINPSに取り込まれてしまった。

気づけば重度の洋次郎感染者に

RADWINPSを知れば知るほど、作詞作曲を担う野田洋次郎にハマっていく。
彼の思考や表現に感激し、共感し、染まっていく。

世間的なRADWINPSのイメージとして、「ラブソング」「メンヘラのような重い歌詞」「君の名はで売れたバンド」なんて書き込みを見るケースがあった。

確かに、野田洋次郎の書く詩は独自性が強く、ある種の重たさを纏っているのは事実だ。
しかし、それをただの「メンヘラ」の一言で片されるのはファンとして非常に悲しい。

「好き」「愛してる」という言葉は一般的に、「性愛」や「恋愛」という意味でとらえられがちだ。
もちろん初期のRADWINPSのアルバムは多分にその傾向がみられたが、その最初期ですら単なる「瞬間的」「刹那的」な恋愛感情を歌っているのではなく、その好きには「永続性」が覗き見られていたと私は感じる。

最初期の楽曲でこそないが、映画「君の名は」の主題歌にもなっている「前前前世」はまさにそんな曲で、今世を超えて君と出会いに来たというような永続的な愛が歌われている。

そして、2013年発売のアルバム「×とマルと罪と」以降、根源的な愛(アガペーや人類愛とでもいうのだろうか)をテーマに、心を見つめさせる曲が多くなっていく。

神聖すらも纏った洋次郎の世界観。
偽善さを一切感じない、嘘のない歌詞が好き。

そのなかでも私が好きなのが「愛にできることはまだあるかい」という曲。

「天気の子」の主題歌として、「前前前世」同様にRADファンならずとも聞いたことがある人は多いはずだ。

愛に対する自己問答と世間への問いかけを兼ね備えた曲。

愛とは何なのかということを、真摯な言葉と力強いコーラスワークで訴えかける。

愛にできることはまだあるよ 僕にできることはまだあるよ

タイトルへの答えは、曲の最後に見い出される。

洋次郎が自分自身に対して見出した答えは、翻ってこれを聞いたすべてのリスナーの問答ともなっている。

そんな彼の感性に染められて、私はとっても幸せだ。

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