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人として生きていく。アフリカ的幸福×教育 - B-side TOTTORI -

うわあ、なんか、不思議な気持ちだ。
心がふわっと暖かくて、何か不思議なパワーを宿している気がする。
柔らかくて優しいけど、中心には太い柱があって、心はそう簡単に折れそうにない。

2月10-13日にかけて、鳥取県の大山にあるハクナマタタに宿泊し、教育×アフリカという世界観の中3日間を過ごした。
(プログラム自体は10-12日に実施)

その世界は自分にとって、"初体験の日常"だった。
どこか懐かしく感じた情景と感情を綴っていく。


"心"で繋がる

カリブー!!

大山口駅について、ハクナマタタへ向かう迎えの車の中で、こんなことを言われた。
「迎え入れる挨拶として、「カリブー」って言いながらハグをするんだって。」「だから変質者だと思ってびっくりしないでね笑」
挨拶にハグ、そんな言葉の羅列にあまり実感の湧かない自分がいた。
(この会話がなんだか絶妙に面白くて、印象に残っている笑。)

5分くらいでハクナマタタに到着し、車を降りようと窓の外を覗くと、明らかに迎え入れる体制をとっている4~5人の集団がいた。
(これ絶対ハグされる、、)
嫌なわけではない。でも、普段そういう習慣がないからこそ、照れ臭さと緊張とで中々車を降りることができなかった。

ここでようやくハクナマタタにやってきたんだ、という実感を持つことができた。

決心がついて車を降り、思い切ってハグをした。
最初は恥ずかしさもあったが、やっと会えたことへの嬉しさが勝っていることに気がついた。
だんだん心があったかくなることに気がつくのは、もう少し経ってからのこと。

着いてからすぐいただいた、びっくりするほど美味しかった卵かけご飯

ウブンツで繋がった!

他のメンバーも徐々に集まり始め、全員集合したところで1日目のオリエンテーションが始まった。
最初のお題は、『2人ペアで「ウブンツ」を3つ見つけよう!』というものだった。

「ウブンツ」とは、「あなたがいるから私がいる、私がいるからあなたがいる」のような意味。訳すと例えが難しく感覚でイメージしていた。

私がペアを組むことになった子は、カナダと日本の高校卒業資格取得を目指していた女の子。

全く違う環境の子とペアになって、ウブンツが見つけられるのか少し不安もあった。しかし。

なんとその子とは1つもウブンツを外すことなく、一番最初にミッションクリアとなった。
びっくりすると同時に、自分の考え方と似ている人がいるのだと実感できて、少し安心していた。
まあ、何より嬉しかった!!!!

★その子とのウブンツメモ★
「アフリカのマインドセットに魅力を感じた」
「学校教育に疑問を抱いている」
「今の社会をみんなが幸せに生きることができるようにしたい」

自分自身とのウブンツ

左がウブンツタワー

その日の夜。ハクナマタタの敷地内にあるウブンツタワーの中で集団瞑想を体験した。
焚き火を囲み、みんなで手を繋ぎ、意識を集中させるのだ。

初めての体験にびっくりすると同時に、まるで夢を見ているように、2つのシーンが頭に浮かんだ。

一つは真っ暗な闇の中に窓のようなもの。そこには赤い兵隊のネジ式人形や花、観葉植物と歯車の見える紺色の時計があった。

周りには何もなく、ただそれだけが存在していた。
音を立てることなく、静かに。

もう一つは車の中から窓の外の海を眺めているシーン。
夜の海の横を走っていて、水平線がグラグラと揺れている。
もう帰れなくなったとしても、海の中に飛び込みたい、という気持ちで溢れていた。

集団瞑想が終わってから、たくさん話をして、たくさん話を聞いた。
私は、信じられないくらい情けない弱音を吐きまくった。
弱音を吐いても変わらない、とわかっている自分に苛立ちを覚えながらも、その日は眠った。

次の日、6時20分のアラームに起こされた私は、パジャマのまま上着を羽織り、髪を適当にまとめ1人で海に向かった。
外に出ると、雨が強かった昨晩とは反して、水たまりが少し色づいた空を写していた。

日の出まであと15分程度。だんだんと片方の空がピンク色に染まり始めている。
車の音も、信号の音も、人の声も入店音もない。
ただ海が波を立てる音だけが耳に入ってくる。

その瞬間、風が何かをさらい、急に心が柔らかくなった感覚があった。
「ああ、なんだか、大丈夫かもしれない」
そう思って、私は日の出の見える場所を探し始めた。

私にとって、焚き火を囲んで言葉を紡いだ結果、最終的に向き合っていたのは今まで避けてきた自分自身だったのかもしれない。
その部分に、泣きながらでも、醜い部分を曝け出しながらも向き合うことが出来たから、風に身を任せることが出来たのかもしれない、と今となっては思う。

命を食べるということ

1日目から、ハクナマタタの裏には烏骨鶏が3匹いた。
その烏骨鶏は、私たちが絞めていただく烏骨鶏だ。

「愛情をかけてはダメだよ」そう言われてから、ある程度覚悟はあった。
絞める直前、全員で目を閉じてお祈りをした。
お祈りの言葉は恐らく英語だったので、私には何を言っているのかわからなかった。
でも、「命をいただいて食べる」ことに対しての実感が湧いてきて、無意識に涙が溢れた。

実際に鳥を絞める光景を見て、案外それを受け入れられたことに驚いている。
きっと烏骨鶏がもっと苦しそうに悶えたり、暴れていたら受け入れられていなかった。
烏骨鶏がそうしなかったのは、ある意味、自然の摂理を無意識に理解しているようにも思えた。

また、絞める前は可哀想だとか、申し訳ないという気持ちが大きかった。
しかし、実際に絞めてからは、可哀想や申し訳ない、という言葉をここで使うのは違うと思った。
そう思うことが悪いわけではない。でもそれよりも、「一緒に生きていく」「魂を地球に返す」といったように、命をいただくことに対して感謝を込めて行動するべきだと感じた。

鳥に人生はある?

烏骨鶏を捌き、調理して食したあと、自分がそれを通じてどう感じたか、命の教育をするときに大切にしたいことは何かモジャモジャで話し合うことになった。

「モジャ」とは、スワヒリ語で「1」という意味。「モジャモジャ」とは「1対1」という意味になる(らしい)。

私と話すことになったのは、昔アフリカに滞在したことがある女の子。
2人で話しているうちに、いつの間にか自分の身の回りの人の話になったり、変な方向に脱線したりして、とても楽しく気が合う子だった。
(盛り上がりすぎて正直ほぼ脱線話しかしていなかったなんて口が裂けても言えない。あ。)

2人で話している途中、女の子のある言葉が頭に残った。
みんなで話していた部屋に戻ってからもその言葉が頭に残っていた私は、みんなに聞いてみることにした。

「鳥に人生っていう概念はあると思う?」

一緒に話していた女の子の「鳥も人生幸せだったなーって思うかもしれないし」という言葉から思った疑問。

この議論は白熱し、
「鳥はその瞬間を点として認識していると仮定すれば、人生という概念はないのでは」「人生という言葉じゃないかもしれないけど、そういうものならあるかもね」「鳥は全てを欲求や遺伝子に委ねていて、それに従っているから、、」「じゃあ母性も反射なのかな」「すべてを本能としてこなしているから母性も本能なのでは?」「でも人間が認識できない意識がある可能性もあるよね」
などなど、様々な意見が上がった。

生きるということだけでここまで話が広がるとは思ってなかったので、とても楽しかった。日常から得られることだけでここまで学びを広げられるのだと思うと、暮らしに対しての探究心もくすぐられた。

寝っ転がった芝生の上で

3日目は、朝から豆腐づくり、蕎麦打ちと涎が止まらないイベントが盛りだくさん。

その合間で、いろんな人といろんな話をした。
2日間の雨が嘘だったみたいに、晴れ渡って地面も乾いていたので、芝生に寝っ転がって話をしたりもした。

私の至った結論は、「アフリカのマインドセット、いわゆる『アフリカ的幸福』と教育を掛け合わせることができれば、みんなが生きていることに喜びを感じられる世の中になるのではないだろうか」ということ。

もし、本来の日常から学びを得られる機会があれば、自分をそのまま認めてくれる場所があれば、子供たちはどれだけのびのび生きることができるだろう。

「〇〇のようにしなければならない」「〇〇しないといけない」「〇〇性を持たなければならない」
これらを考えることが悪だという訳ではない。社会的に成長できるし、いい側面もたくさんある。私も、この考え方から学んだことはたくさんある。

ただ、この考え方を持って、心と体が満たされた経験はあるだろうか。
私の主観でしかないかもしれないが、焦ってしまい自分が満たされているかどうかなど気にもしていなかったように思う。
そのような状態で「Wellbeing」に辿り着くことができるのか、私はずっと疑問だった。(今となって、「だからWellbeingって言葉が嫌いだったのか!としっくり来た。」)
だったら、アフリカにいた方がよっぽど幸せになれそうだ、と思ってしまった自分がいる。

もし人は、自然と成長するものだとしたら。生きているだけで生産性があるのだとしたら。
そもそも、なんのために成長しなければならないのだろう、生産性を産まなければならないのだろう。
「幸せになるため」なのだとしたら、これで苦しんでいる時点で本末転倒だと思ってしまうのは私だけだろうか。

今回のB-sideで何より学んだのは、「私らしさ」を大切にすること。
今回、私が身の回りのわくわくに真っ直ぐになることが、自分だけでなく他の人の未来も変えるのだと改めて実感した。
だからとりあえず、私は私のまま、素直に生きていきたいと思う。

これから

この4日間というもの、日常から学ぶことは数えきれないほどあって、全て私の心を喜びで満たしてくれるものだった。
でも、私は今その日常からはかけ離れた生活をしている。
だからこそ、どの日常を選んで生きていくか、どう思って、感じて、生きていくのかすら、全て自分次第なのだろう。

「生きる」とは何か、「幸せ」とは何か。
私がずっと求めてきた問い。
ここにはそのヒントになるものもたくさんあった。

そして、とある本で読んだ「歓喜して生きる」という言葉。
今なら意味が理解できる。

さあ、これからどんなふうに生きていこうか。


Special Tanks : Qulii & ア福リカ (敬称略)

Hakuna Matata (ハクナマタタ)https://www.instagram.com/hakunamatata.daisen/


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