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92歳の元教授から、嬉しい便りが来ました! ~彼も三浦梅園を知っていました

こんにちは、ぱんだごろごろです。
最近、目の調子が良くなくて、眼科に行ったところ、角膜の表面の傷が治りきっていない、と言われました。
もともとドライアイのため、角膜が傷つきやすいのですが、老化のためか、治りにくくなっているようです。

医師の指示により、毎日6回、目薬を点していますが、
PCやスマートフォンの画面を長く見ていると、しばしば目が痛みます。

そのため、スキのお返しが遅くなっております。
コメントの返信とフォローのお返しも、すぐにはできない状態です。

たいへん申し訳ありませんが、長い目で見て、お待ち頂けますと幸いです。

さて、以前に、恩師からの要請で、江戸時代中期の哲学者、三浦梅園について、まとまった長さの文章を書いた、というお話しをしました。

これは、来年が、三浦梅園生誕300年に当たる記念の年のため、

*前年である今年から、生誕記念号として、学会誌を出そう
*いつもは投稿しない学会員からも、幅広く文章を寄せてもらおう

という、恩師のコンセプトに則ったもので、
40年間、幽霊会員だった私にお鉢が回ってきたのです。

そこで、自分にとっての三浦梅園というテーマで、文章をまとめ、恩師に送ったところ、OKが出て、今年の学会誌に載せてもらいました。

その後、恩師から、
「あなたも執筆者の一人だから、友人や関係者に送るなりして活用して下さい」
と、数冊の学会誌が送られてきました。

これを、友人や古い知人たちに送ったところ、思いがけないひとから、返信が来ました。

その人とは、某国立大学の元教授で、御年92歳になる男性です。

この方とは、私が学生時代に、彼の研究室でアルバイトをしていたのが縁で、親しくなりました。

偶然のことですが、私が大学で習っていたフランス語の先生に、
彼も、その昔、フランス語の家庭教師をしてもらったことがあったのです。
(彼は、フランスに留学していたことがありました)
そんなことから、フランス文学の話なども、よくしたものでした。

彼は、手紙の中で、自分も三浦梅園を知っている、と書いていました。

と言うのも、彼の研究室に、かつて大分県杵築市出身の俊才がいたからです。
その俊才(元教授は、『天才』と評していました)は、杵築市で300年(以上?)続くという名家(旧家)の出で、今は故郷を離れ、東京で、その分野では、世界的な名声を得ているそうです。

大分県杵築市と言えば、三浦梅園の出身地豊後杵築藩富永村ぶんごきつきはんとみながむら)です。

私はさっそく、その俊才(天才)のことを検索してみました。
出てくる、出てくる・・・。
教授の言葉は、あながちお世辞ではなかったのですね。

そして、私は、一番見つけたかったものを、見つけたのです。
それは、一般の方のブログでしたが、俊才のことをよく知っている方のようでした。

その俊才のお家は、有名な旧家で、その先祖には、三浦梅園と交流のあった人がいたことも、史実に残っている。

その俊才のご先祖様と、三浦梅園との間に交わされた、書簡でも残されていたのでしょうか。
あるいは、どなたかの日記に、ご城下のどこそこの会合で、二人が会ったと書かれていたとか。

同じ杵築藩の住人同士ですから、十分有り得ます。
ああもう、わくわくしてくるではありませんか。

私はさっそく元教授に、御礼の手紙を書きました。
嬉しいなぁ。
ひとの縁って、不思議ですね。

恩師にも、報告しようと思います。
きっと喜ぶことでしょう。

恩師81歳、
元教授92歳、
衰えることを知らぬ高齢者パワーに、
日本の未来は、案外暗くないかも、と思った一日でした。


今日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。
あなたに、心より感謝申し上げます。





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