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家族・フェミニズム・クィア

わたしの部屋には、家族論、フェミニズム論、クィア関連の本が120冊20万円分積み上がってる。
なぜなら、これらの問題は地続きだと考えたから。まだこれらの本は斜め読みしたものがいくつかあるだけできちんとよめてない。なのにメモを先行する意味があるのか。いやその本を手にした理由が自分のなかにあるわけなので、先にそれをメモしてみよう。
ここでは脳内に澱のようにたまっていた、じぶんなりに気がついたことを、言語化するメモをつくってみる。まだ論文の形にもなってないし、そもそも論文を書きたいわけじゃない。もしかしたらいま書いてる小説のネタになるかもしれない。
ただぼちぼち澱がたまりにたまって、こぼれそうなので、わすれないためにメモをする。
書いてあることは間違えてるかもしれないし、引用先がないものもある。それはのちほど査読して付け足す。
かんがえてたことはこういうことだ。

家族と結婚の歴史

動物だって家族をつくるものはいる。鳥類はそうだし、哺乳類もそうだ。
人間に近い類人猿は、オスをトップにした一夫多妻制の家族をつくる。ただしオスは入れ替え可能というところがポイントだ。このことをみて、そもそも人間も一夫一婦制は不自然だっていう論文を読んだことがある。
一般的に、狩猟時代、男が狩りにいき、女が子育てをすると考えられていた。だから男は道にまよわないように地図が読めるようになり、女は子育てをしながら女子会のようにおしゃべりするから人の話を聞くようになったという理論がある。
しかし、ペルーでは、女が狩りに行き、男が子育てをしてる民族の発掘があったらしい。もしかしたらこれは特異事例なのかもしれないけど、決めつけはよくないということだ。
9000年前に女性ハンター、「男は狩り、女は採集」覆す発見
農耕時代になって、男も女も農業に従事するようになったら、組織としての男女格差はあっても、労働者としては男女の格差がなくなる。子育てや家のことは、長老がおこなう、すなわち祖母祖父そして、兄弟夫婦など一族といっしょに暮らす「拡大家族」が基本になる。
白川郷などでは、結婚しても長子以外の子どもは家をでず、通い婚が基本だったらしい。そうやって養蚕の労働人口を確保していた。にたような家族形態がアジアのいくつかで見ることが出来るらしい。
そして、時代は産業革命がくる。工場という場所にあつまって労働をすることになり、働ける人間が通勤をするようになる。そうすると、出産がある女性は家にいて子育てをするようになり、男性は働きに行くようになる。家族は通勤の便利な場所に引っ越し、祖父祖母と別れて暮らすようになる。いわゆる「核家族」の登場だ。
工場をつくるには沢山の「資本」が必要になる。経営者が死んでも事業が継続できるように組織、すなわち会社が必要となり、資本を広く匿名で出資してもらい、利益を配当できるように「株式」が産まれる。会社の登場の歴史などはきちんと調べてないので、間違いがあるかもしれない。あれ、東インド会社が最初だったっけ、あれは貿易のためだよね。海運と保険が連動してるんだよね。
男だけの「会社」が産まれ、「産業」から女性がこぼれ落ちていく。なんかの本で読んだことがあるんだけど、過去、女性がリーダだった社会はいくつも存在した。女性天皇も、卑弥呼も、女王もいた、しかしそれらはすべて、祖父や叔父といった長老の男性によって担保された一代だけのもので、男系相続のような、女性が全てを支配した社会はまだ存在してないという論文を読んだことがある。動物ではシャチなどは母系社会らしいので、生物学的に無理というわけでもなさそうだ。
母系制 - Wikipedia

フェミニズム運動の始まり

ここに、男性社会への女性の参加が無効化されていた理由があり、それを再度とりなおすための活動を第一次フェミニズムという。実際、日本において女性が参政権をえてまだ70年しか経ってない。みんなのおかあさんやおばあちゃんが生まれて時は女性は参政権もない二級国民だったのだ。
フェミニズムについての詳細はまだ勉強中だけど、以下の様な時代背景がある

  • 第一次フェミニズム:女性参政権

  • 第二次フェミニズム:女性らしらからの開放 ウーマンリブ

  • 第三次フェミニズム:らしらの肯定と多様性

  • 第四次フェミニズム:インターセクショナリティとSNS

フェミニズムの4つの波って何? - フェミニズム運動の歴史を漫画で復習してみた|マンガでわかるLGBTQ+ / パレットーク|note
大体前のフェミニズムの否定から次のフェミニズムが生まれている。男性社会に無理くりはいっていって、いえば男っぽいかっこをしてた第一次、第二次に対して、フェミニンなかっこだっていいじゃない。黒人だって、レズビアンだって、トランス女性だってみんな女性でしょっていうのが第三次以降の流れだ。この辺で、フェミニズムがクィアと接続していく。
フェミニストとじゅっぱ一絡げに言うけど、いろんな流派がいる。主張している論もそれぞれまたったくちがい、むしろおたいががぶつかってるのが現状だ。たとえば、トランス女性の女子大への入学を許可した一派から、トランス女性のトイレへの侵入を非合法化しようとする一派もいて、これらはがっぷりぶつかって喧嘩してる。それが現状だ。
ちなみに**男女共同参画社会基本法**なる法律があって、内閣府の号令で各市町村に男女平等参画センターというのがつくられた。最初は女性解放が中心だったのが、男性の問題もすこしづつ力をいれはじめ、最近ではジェンダー平等ということで、地元のLGBTQ+団体はこのセンターに登録して活動の場所を借りてる。もともとフェミニストの居場所だったセンターが、セクマイに開放されているのは印象的だ。とはいえ、ゲイのひとたちが集まってるかというとそれはない、ゲイはゲイで発展場が伝統的にあり、なにもそんなところに行く必要がないからだ。以外とおおいのはノンバイナリーのようなジェンダーに悩んでるひとが相談似くることが多い。
たとえば、ある論文にはフェミニズムにはこんな種類があるってかかれてた、わたしもなんのことかわからない。

  • ラディカル・フェミニズム

  • マルクス主義フェミニズム

  • 社会主義フェミニズム

  • ポスト構造主義フェミニズム

  • エコロジカル・フェミニズム

  • グローバル・フェミニズム

  • カルチュラル・フェミニズム(文化派フェミニズム)

  • ブラック・フェミニズム

  • ポストコロニアル・フェミニズム

  • レズビアン・フェミニズム

東大名誉教授で著名なフェミニストの上野千鶴子さんはマルクス主義フェミニズムの影響を受けたって聞くし、とあるコンテストではトランス女性に大賞を授与する場の審査員だった。でもどういう影響を受けてるのかわわからない。でも、家族、産業革命、資本主義が連動してることを考えると、本質的には資本主義からの脱出が女性解放の根本論にある可能性は否めない。
「あなたのセックスが楽しくないのは資本主義のせいかもしれない」なんて過激な21世紀のフェミニスト宣言もあるぐらい。この辺は、web3周辺でDAOやNFTというポスト資本主義を模索しようとしてる動きとも連動するし、わたしはこっち側の専門家でもあるので、連動して読み解きたいとおもってる。
あなたのセックスが楽しくないのは資本主義のせいかもしれない
一方、TERFとよばれるトランス女性否定派は、トランス排除的ラディカルフェミニストと呼ばれる。代表的なメンバーはオオム問題で有名な「男性」の弁護士だ。ややこしい。
レズビアン・フェミニズムなんて、もうセクマイ(みんなマイノリティだとおもうけど)というか、LGBTQ+(あまりこの言葉は好きじゃない)、いい言葉がないな、クィア(ほんとはこれも自虐だったよね)そのものだ。だれをスキになっても良いじゃないって事自体は、当然、裏側にはゲイ・マスキュリズムやホモソーシャルもあるし、スキとかセックスとかしたくない、アロマンティック、アセクシャルも、男性女性ってきめつけてほしくない、Xジェンダー・ノンバイナリーも、複数のひとスキになっていいじゃないっていうポリアモリーもいる。
ミソジニー(女性嫌悪)、ミサンドリー(男性嫌悪)を表明する人も多くなってきて、こうなってくるともうフェミニズムの枠では語りきれない。
だから、東大社会学の授業では、クィア・スタディーズっていう公開講座が、2018年から開催されるうようになったのだ。これはなにも女性解放とか、男女平等とか、そういうことじゃなくって、ジェンダー平等についての話なのだ。男性も女性もそうでない人もみんなが解放されて、幸せに生きるにはどういう社会をつればいいのか。場合によっては資本主義をリセットしたほうがいいのではないのか。迎え来る高齢化社会を考えたら、そういう多様性をうけいれる共同体主義な社会へ緩やかに移行したほうがいいんじゃないか。
そこまで脳内では考察がすすんで、LGBTQ+フレンドリーシェアハウスに短期滞在するなどの実証実験をしてみたりしたのだった。
こんな話関係無いと思ってる人に限って、うまれた子どもにカミングアウトされたり、親友から告白されたりするんです。人口の8.9%はセクマイで、人口の半分は女性なんです。10年セックスしてない夫婦もある意味マイノリティ、もうマジョリティないんてどこにもいない社会なんです。

弱者男性と言う言葉

女性が苦しいと言う言葉は社会では良く聴く。女性参政権、男女雇用機会均等法等もできて、それを改善しようとしているが、起業のおける女性役員の割合は先進国で最低で、国際ジェンダーギャップ指数120位と低い状態なので、まだまだ改善の余地がある。政治家の女性比率も少なく、これはクォーター制とよばれるような、男女の議員を同数とする方策も検討すべきだと個人的には考える。
しかし、一方、自殺率の高さは男性がトップだ。男女の幸福度の差も、日本は世界でもっとも格差があり、男性は女性に比べて幸福度が低い。世界にまれにみる男性社会の日本において、そこで支配してるように見える男性は実は幸福だと自分のことを考えてないのだ。
幸福度の男女格差世界一は日本だった 「男なんだから俺が稼がなきゃ」が生きづらくさせている | 文春オンライン
フェミニズムに対する、男性学をマスキュウリズムという。おそらくその言葉を知ってる男性はほとんどいないだろう。いまの日本の男性社会において、その言葉を扱うこと自体が、男性として負け組と認識され、競争から離脱してるように周囲から思われるからかもしれない。
しかし、Twitterという匿名社会のなかでは、この「非モテ男性」「弱者男性」とよばれる人たちのツイートが、フェミニズムでいう#MeToo / #KuTooというハッシュタグでのツイートに負けないぐらい存在する。
彼らは自分達のことを、女性から見えない存在だと考えてる。見えないものは選ばれない。だから結婚して家族を作る事が出来ないと考えている。なぜならば、女性は本能的に、経済的にある程度裕福な、能力のよいオスを察知する能力があり、そこからこぼれる自分達は、そのレーダーにすら察知されないと自虐しているのだ。
40代、非正規、低年収。それが「弱者男性」のスペックだと思ってた。それは彼がわるいのではなく、うしなわれた30年のなかでこぼれ落ちた被害者だ。もちろん、キャリアを重ねられずこぼれおちた「弱者女性」もいるが、嫌な言葉でいえば、女性そこそこ「かわいければ」、専業主婦、水商売、風俗といった手段によって、ホームレスになることだけは回避できるじゃないか(いや女性のホームレスもいるが)それにくらべて、自分達はいつホームレスになるかわかない。そんなんじゃ、結婚や子どもを育てるなんて夢、自分達より女性は恵まれてるし、セクシャルマイノリティなんて連中も色々支援されて自分達の地位を犯してる敵だ。そういう思考になってきてる。
ある世代の男性特有の考え方なのかと思っていたが、そうでもない。非正規じゃなくって上場企業につとめるある意味「強者男性」も、それが30代、20代男性のなかにも、自分のことを「非モテ男性」だと認識してる人たちがいる。場合によってはすすんで「非モテ」になってる感がある。
すなわち、女性を口説き、デートに誘い、セックスをして、結婚して、子育てをする。それにかかるコストや手間、めんどくささを考えると、性欲は水商売や風俗で割り切った仮想恋愛ですませ、余ったお金は、初音ミクのようなバーチャルな推しに投資したほうが見返りが多い。そもそも女性なんて面倒。と言う考えだ。そういうかれらは、いま居る地位や収入を脅かされたくないので、フェミニストやクィアな人たちの運動にたいして否定的だ。そして政治的に保守であり、資本主義のなかで生きることに疑問はなく、非婚であることだけが社会的にマイノリティで、場合によっては偽装結婚してでも、自分の趣味を優先する。そういう生き方を選ぶ男性(いや女性も)増えてないだろうか?

少子化と生産性と言う言葉

家族の定義をしらべると、家族とは「生殖」と「子育て」のために同じ家に暮らす血族という定義がある。もちろん詳しく調べると、子どもが居ない家族(つくらない、もう終わった)も家族としての定義にあるのだが、基本は生殖と子育てだ。
この定義にもとづいて、クィア(セクシャルマイノリティ)は生産性(子どもをつくらない、育てない)から認めると、国が滅びるという意見が保守の政治家からあるのは知ってるひともいるだろ。あぁあの議員ねみたいな。そもそもあの議員は1人しかお子さんがいないので、生産性はマイナスですw
しかし、わたしのまわりにはりっぱに子育てをしてるセクマイの仲間がいっぱいいる。もとの異性愛パートナーから引き継いだことでも、AIDや借り腹であたらに子どもを迎えた家族、養子縁組で迎えた家族、いろんな形態はあるにせよ、セクマイに生産性がないというのは大間違いだ。
むしろ、むかしはやったDINKSや、非モテ男性・非モテ女性の問題はなぜ浮上しないんだろう。もしかれらが結婚したいけど出来ないと思ってる1つの理由として、決定的に教育費の高さがある。東大は国立だから授業料がやすいけど、東大生の親の年収平均は900万以上で、450万以下の家族は1割にもみたない。
鉄緑会、SEG、平岡塾など、おそらく私立やそこそこの進学校に行かないとその存在すらしらない、東大・早慶専門の中高一貫塾が存在する。そこでえられる教育レベルは、商業的に有名な塾の何倍も高く、そして何倍も授業料が高い。東大に入学したら、緑鉄会の同級生ばっかりだったというのはよくある話だ。そこにアクセス出来てるってことは、すくなくとも小学校4年生ぐらいから進学校にかよい、筑駒とか麻布といった中高一貫校に通うというのが基本になる。
ココで見えるのは、学校教育だけを無償かしてもなんの解決にならないということだ、そもそも落ちこぼれた子ども達を救う、無償に近い補習塾の存在は必須だし、学びたい人間が高い学歴をえられる教育もまた無償で近い費用でえられる社会にしないと、真の平等社会は生まれない。教育の問題は社会の一丁目一番地だと思う。
非正規でも、こういう無償の教育支援があることで、非モテ男性と非モテ女性がであって、家族をつくって子どもをつくることもありうるのだ。
ただ、純粋にこどもが増えれば本当にいいだろうか。実は明治時代にくらべればいまの現代は人口爆発だ、世界レベルでも人口は増えすぎて困ってるのに、いまさら富国強兵のために人口を増やすことになんの意味があるんだろう。
作りたい人がつくるればいい。作りたくない人はつくらなければいいし、コミュニティでみんなの子どもを育てるっていうのもありだと思う。そろそろ、無理に人口を増やして、うさぎごやに高い家賃を支払うのはやめて、じぶんらしい暮らしをすることを社会がみとめればいいのじゃないかとおもう。そもそも結婚って必要?とか、LOVE SEX LIFEはわけて考えてもいいんじゃないってかんがえもある、シェアハウスなんてLOVE/SEXのないLIFEだけの家族だもの


このテキストは脳内にあった澱を、順番も考えず言語化してみたメモでしかない。
だからなんどもいうけど間違ってることもあるだろうし、思索がたりないことも多い
ただわたしがきがついたのは
結婚ー家族ー子育てー近代的自我ー資本主義ーフェミズム / マスキュウリズムークィア(セクマイとかLGBTQ+)
は全て繋がってるってことに気がついたって事だ。
これらは分断して論じられてきたし、その言論については優秀な論があるので、それぞれを深掘りすることはわたしの能力と時間では無理だろう
そこでわたしはこれらの関係性を考えることを、何らかの形で伝えたいと思ってる。 それは論文やエッセイかもしれないし、小説の形になるかもしれない。
そのメモをまとめてみて、賛同や異論反論を一度もらいたいともったのでこのメモを晒すことにした
男性とか女性とかもうウザいよね 自分らしくだよね それを認める社会にしたいよね

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家族が苦しい人、セクマイ家族、機能不全家族に暮らす人だけではなく、無自覚にいまの家族が幸せを疑わない人にも読んで欲しい。結婚、家族、夫婦、子育て、介護はすべて連続したものなのです。

生殖と子育てのためにつくられた、家父長的な家族が崩壊しつつあります。それは資本主義のほころびと同時進行なのかもしれない。家族の脱構築と、ア…

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