桐の花
ずっと、山に緑に点在する紫の花は、藤なのだと思っていた。
しかしこれは、桐の花らしい。嫁入り道具で知られる桐箪笥の桐。なかなか間近で花を見たことがなくて、今回、桐の花の写真を調べてもピンとこなかったのだけれど。いつも気になっていた、藤にしては直立する大振りな幹や、垂れ下がるのでなく立ち上がるような花の様子の違和感に、なるほど、桐もこのような見事な紫の花をつけるのだと、誰も教えてくれなかったことをまた一つ知ることが出来たのだと、こっそり嬉しく思う。これも、日々、季語を学んでいる賜物の一つ。
北原白秋の有名な歌集に、「桐の花」がある。暫く、読書から遠ざかっていて、いまだ名作すら読めていないのだけれど、偶然やらいろいろなきっかけやらで、少しづつ学んでいきたい。
実はGWに、「推し、燃ゆ」を読んだ。21歳、芥川賞受賞。現代の小説だった。電子機器と、多様な通信手段、2.5次元に生きる現代の小説。生活の描写は、どれもリアルかつ、ウェットで。こんな些細な日常のことを、小説に閉じ込めてよいのだと驚いた。ただ、例えばスマホを持たない人、もしくは配信ライブを見たことがない人、時代のエンタメに興味がない人には、伝わり辛い感覚があるのではないかとも思った。私は、その生活感にぎりぎりついていけた。それでも、主人公の推しへの傾倒具合は、若さが成せるものだとも思った。一般的には分からないけれど、私には、多分そこまで他者に依存できる情熱はもうない。(念のため、双方向の愛情は別として。)
まあ、でも結論、何が言いたいかというと、多分私が書く文章も、今しか書けない言葉選びで出来ているのだと思う。正直、これまでも校正する時間もないままnoteに投稿していたから、使い方や漢字が間違っている言葉も多々あったと思う。ちなみに「藤」は春の季語らしい、とか。
それでも、その時だったからこそ意味があって、10年後、もしくは1年後でさえ、同じ季語からでも違う物語や言葉選びが生まれるのだろうと思う。
今日の投稿も、考え事を少しずつ吐きだしている。
今年もまあどこにも行けない年だけれど、何か目に見える証があってもいいよね。
桐の花(きりのはな)
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