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創作ショート『動物園的。』 其の三 飛べないおとうと

■MONOがお届けするちょっと不思議なショートストーリーズ。日々の生活のすきま時間に、ひとさじからめてみてください。


【駝鳥――ダチョウ目ダチョウ科ダチョウ属に分類される鳥。草食】

 君の字はいいね。
 顔をあげると、メガネをかけたおじさんがにこにこしていた。
 そうですかあ?
 うん。うまい字じゃないけど、濃くてはっきりしてる。最近はみんな薄くてへなへなした字しか書かない。だから下敷きなんか使わないんだな。
 わたしも使いません。小学校の一年のころにちょっと使ったきりです。
 へえ。そうなんだ。そういう時代なんだなあ。
 ハンバーガーショップの中で、授業のノートを開いていたらいきなり声をかけられた。まわりのひとも、高校生の女の子にあやしい中年男が話しかけていると気づいていぶかしげに見ている。それで申し訳なくなり、わざと大きな声でいう。
「ヤマナカ先生。この前教えてもらった参考書、すごくわかりやすかったですよぉ」
 そうかと先生が喜ぶまえに、わたしはトレイをもって立ち上がった。
「じゃお先にぃ」
 頼むから、よれたポロシャツをズボンの中にいれたまま、こんなところで塾の教え子に話しかけないでほしい。余計な気をつかっちゃうじゃない。
 わたしは耳にイヤホンをさし、町を歩き出す。
 だーれーかーにー。
最近気に入っているのは弟オススメのバラードだ。夕暮れ時のきぜわしい町中をわたしはぬうように歩く。若いひとや中年や老人や店や車や自転車や無数の看板。隅に転がる空き缶。コンビニ前で煙草を吸う人。そして私は、制服姿の女子高生で受験生。生物学か医学部を目指してる。でも大学にいったらどうなるかわからない。そもそも大学に行けるかどうかだろと弟は笑うだろう。
ひーつーよーうーとーさーれーたーいー。
 曲がりくねる坂道をのぼり、石の階段をのぼる。最後の一段をやっとふみしめると、風がかけぬけてスカートが大きくひるがえった。たどりついた高台の草原には、西日がこうこうと照りつけていた。近くに養豚場や畑があり、崩れかけた『私有地』の札が立っている。
わたしは構わず、フェンスのそばのあまり抑制力のない木戸をあけて中にはいった。
見回すと、広場の片隅から黒くてまるい影がたったっと近づいてきた。
「姉ちゃん」
「おっす」
私は弟の羽毛に抱きついた。
わたしの弟は、ダチョウだ。

「はいお土産。マックのポテト。漫画ももってきた。こないだの続きね」
「やった」
 ヨウは器用に嘴でポテトをついばむ。漫画は一人の時のお楽しみだ。
わたしは塾の先生がださいこと、母さんがまたパートをかえたこと、クラスの男子から告白されたことを次から次へと喋り続けた。弟は律儀に「へえ」「すごい」「やったねえ」と長い首で相槌をうつ。そしてわたしたちは、いっしょに沈んでいく夕陽を見つめる。
弟はわたしより大きい。大きな目をもち長い脚と長い首。ふかふかと黒っぽい羽毛でおおわれた身体は丸く筋肉質だ。
弟は最初からダチョウだったわけじゃない。
生まれたときはニンゲンの赤ちゃんだった。いつもピイピイ泣いてばかりでヘンな生き物だと思っていた。しばらくすると、歩いたり喋りはじめて、やっと自分と同じ種族だとわかりはじめた。お父さんとお母さんは、お姉ちゃんなんだから弟の面倒をよく見てあげてね、とよくいっていた。
弟はドジでばかで弱虫だった。わたしがいないとどこにもいけない。なにもできない。それでわたしは弟を家来にすることにした。弟のおやつは姉に半分あげるものだと教え込み、イタズラの犯人はなんでも自分だと申し出よと洗脳した。角のクリーニング屋のおばあさんは魔女で、学校では忍術を教える。姉にさからうとUFOがきて宇宙に捨てられると教え込んだ。そして素直な弟は、姉たるわたしのいうことをことごとく信じた。
 なかでも、訓練すれば背中から翼がはえて空を飛べるという嘘は秀逸だった。飛べるのはがんばった人だけで、しかも一時期だけ。お父さんたちも昔は飛べたけど、今は飛べない。でも背中に名残の骨がついてるでしょ。わたしがいないときは飛んでるはずだから、一人でおするばんしてな。
 それからだ。弟は必死に訓練するようになった。両手を広げて坂道を走りおりたり、鳥のように木の実や野菜しか食べなくなった。虫を食べておなかをこわしたときは、さすがにそれは訓練としてよくないと弟をさとした。
 いっしょにお風呂に入るたびに、背中を見せて、どう? 翼がはえてきた? と何度も聞いた。まだまだだね。修行が足りないね。わたしはくすくす笑いながらいった。
なかなか翼がはえてこないので、弟は飛ぶために勉強もはじめた。ひとりで図書館に通うようになり、ついに有力な情報を入手した。
進化の話だ。かつて魚だったものが、陸地にあがり、水陸両用の爬虫類となり、さらに四つ足になり二本足になった。その進化の分かれ目で、翼をもち空を飛ぶものがあらわれた。たしかこんなことをとうとうと説明した。
姉ちゃん。なんで動物が進化したか知ってる?
たぶん食べたいものがあったからでしょ。きりんは木の高いところにあるものを食べるために首がのびたし、花の奥にある蜜を吸うために口がのびたハチもいる。
そういうのもいるけど、それは個々の変化で、かなり前向きの理由だよね。
後ろ向きの理由があるの?
そう。逃げ出すためだったんだよ。
弟は鼻の穴をふくらませていった。
生き物は生き延びるために必死だった。とりわけ敵に追われて逃げ延びるために自分の身体を変えちゃったんだ。
敵にとらわれないよう周囲にあわせて色を変えるカメレオン。枝や枯れ葉に姿を似せる昆虫たち。海から陸にあがった生き物も、海でコワイ敵に追われてつい浜辺にあがってしまい、少しずつ陸上でも息ができるようになった。そのなかで木の上に逃げ込んだアーケオプラリクスがでてきたんだけど、あいつはまだ翼をはばたかせて飛ぶことはできなかったんだ。
 だからね。と弟はいった。
 まずするべきことは、ひたすら逃げることなんだ。
空を飛ぶと楽しいだろうななんて甘い観光気分じゃ翼なんてはえない。生き延びるための気合いがいるんだ。それをしないと死ぬってくらいじゃないと、翼がはえて空を飛ぶことなんてできないんだよ。
大丈夫か。弟。
 そう思ったけれど、そのころのわたしはもう、弟といっしょにお風呂に入らなくなっていたし、中学受験が控えていたし好きな男の子に告る準備中でもあった。自分よりの空想世界の構築にも飽きていた。それに弟は、いいかげん姉の嘘に気づいてもいい年齢に十分なっていたはずだ。
 なのに弟は、その後も自分の仮説を実証すべく突き進んでいた。
まず学校から逃げた。
学校をさぼるのはいつものことだ。不思議にも成績はよかったようだが、教室でじっとしているのは苦手らしい。それで親や教師に問われると走って逃げた。生意気だと先輩に目をつけられても、戦うより走って逃げた。脚が長くて目が大きく女の子にモテたけど、やっぱり走って逃げた。本当によく走っていた。その逃げ足の速さときたら、インターハイに出たと自称する体育教師も、お巡りさんもうなるほどだった。有名な陸上クラブからスカウトがきたこともある。もちろんその申し出からも弟は走って逃げた。
弟はあらゆる義務と責任と大人になるためだといわれたすべての通過地点から逃げまくった。
ある夏の日、弟が姿をくらました。
両親は今までの経験から、次は何から逃げているのかと頭をかかえた。でもわたしにはわかっていた。弟は自らのたてた仮説を実証しようとしているのだ。
翼をもつために。
かなりたって遠く離れた県の警察から、見つかったと連絡があった。母につきそってわたしも迎えにいくと、弟は栄養失調と軽い肺炎ですっかりやせ衰えて点滴を受けていた。道端の草を食べたり、行く先々で食べ物をもらったりしながら日本中を走り続けていたという。いろんなひとにお世話になったけど、その人たちからも逃げてきちゃったと弟はわたしにだけこっそり打ち明けた。
 背中がうずうずする。きっともうすぐ翼がはえてくるよ。
 わたしは弟に泣きながら訴えた。もうこんなことしちゃだめだよ。どうしたって翼なんてはえない。わたしがいったことは全部嘘だったんだから。
すると弟は、やせてぎょろりと浮き出た目でわたしを見つめていった。
 知ってた。
だって姉ちゃんは嘘ばっかいうからさ。最初はまたかって思ったんだ。
あどけない顔をして、なんでも信じているふりをしていたのは弟のほうだった。
でも、見ちゃったから。
なにを。
弟は長いまつげをふせて静かにほほ笑んだ。
翼だよ。姉ちゃんの背中にたたまれた翼が見えたんだ。それでぼくは、自分も翼をもたなくちゃって思ったんだ。一緒に空を飛びたかったんだ。
弱虫でこわがりでいつもわたしのあとばかりついてきていた弟。
でもね、やっとわかってきた。翼があっても、飛べるひとと飛べないひとがいるんだね。ぼくは――飛べないらしいや。
 そういうと、弟は満足したように目を閉じた。仙人のような横顔をして。
 それが、弟が人間だったときの最後の会話だ。
 次の日弟はダチョウになっていた。翼はあったが、飛べる翼じゃなかった。そのかわり遠い危険を察知する視力と並外れた脚力はある。その姿をみたとき、本当に弟は小さいころと変わらず、ドジでまぬけだと思った。望み半分じゃないか。
 両親の髪は三日で白くなり、四日目に毅然としてこの事実を受け入れることにした。弟がダチョウとして自由に生きていけるよう、この高台の農地を丸ごと買い取ったのだ。
 いま弟は、この地でのびのびと走ったり漫画を読んだりしている。空は飛べないけれど、この身体とこの生活は気に入っているようだ。
 そしてわたしはここで弟とひと時を過ごす。いっしょにおやつを食べおしゃべりをする。弟の背中に乗って走ることもあれば、弟の羽毛にもたれて夕焼けを見ることもある。
弟がダチョウになってから、時々わたしにもうっすらとひとの翼が見えるようになった。学校や塾、町中で、家で。みんなの背中に翼が見える。どの翼も飛べるほど大きくはなく、壊れそうなほど繊細だ。でも自分のは、ちっとも見えない。
「ねえ、まだあたしの背中に翼がある?」
「あるよ」
 弟はやさしく答える。
「飛べるかな」
「姉ちゃんなら飛べるよ」
「ほんとうに?」
「飛べるよ」
 視力のいい弟のいうことだ。きっと未来も見渡せているはずだ。
今日もノートを開いてしっかり強く濃く文字を書く。褒められたからじゃない。どうかわたしの翼がもっと強くなりますようにと願をかけて。
 そしていつか――。
 心底生き延びることを望んだとき、わたしの背中から大きく広がる一対の翼があらわれるだろう。翼ははばたき、やがて空へ飛び立つだろう。そのとき見下ろせば、はるかな地平にわたしの影を追うように走る黒い点を見つけるだろう。
 あれはわたしの弟だよ。誰よりも速く地を駆ける奇跡の子だ。
 空と地でわたしたちはいつまでも並走する。


★タイトル画は「みんなのギャラリー」からお借りしました。Thanks.

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