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病気の子どものきょうだい支援⑨

今回はきょうだいの死別の経験について触れてみます🍀

どの年代であっても家族との死別は人生の中で大きな経験ですよね。
本来であれば、この項目だけで本になるくらいのボリュームになる内容なのですが、今回はなるべくマイルドに触れてみたいと思います。

病気や障がいのある兄姉弟妹との死による別れは、きょうだいにとっても辛いでき事であり、その後の人生に大きな影響を与える体験となります。
子どもの「死」の捉え方は、年齢や認知発達により程度は様々であり、一概に全てが一致するものではありません。しかし、どのきょうだいにとっても、その後の成長発達の過程でその時に感じた思いやその後に抱く思いに大きく影響することは予測ができるかと思います。
死の捉え方については、例として自分の経験になるのですが、幼稚園生の頃に祖母が病院で亡くなった時、普段泣くことがない大人たちがみんな声をあげて泣いていて、「何で泣いてるの?」と泣いている母に聞いていたことがあります。祖母が亡くなったことを母の説明で理解したものの、もう会えない、話せないということがその時はまだわかっていなかったように思います。(どこまでがその時の記憶で、どこまでがその後に成長してから理解したことなのか曖昧ですが、、、)

死の理解に関する4つの性質

① 生きている者が一度死ぬと、 その体は二度と生き返ることはできず、以前の状態に戻ることは不可能であるという不可逆性
② 肉体機能、新陳代謝、感情、動作、思考など、生きている時に行っていること全てが死によって終わるという最終性(身体機能の停止)
③ 生きている者は皆、いつかは必ず死ぬという不可避性、普遍性。自分を含め、全ての人が持つ死の運命、歳を取ること(加齢)は生物学的成長の流れであること
④ 死は肉体的・生物学的な要因があるという因果性

といった、4つの理解によって死を捉えると言います。
特に、④の因果性は子どもにとっては理解することが難しい内容です。

成長発達による子どもの死の理解と大人の対応

死に対する子どもの認識や理解を明らかにしようと、これまでいくつかの研究が行われています。子どもの成長発達に合わせて説明してあげることが大切です。6歳程度で死について認識できるようになってくると言われています。

・乳幼児:死を認識できませんが、周りの大人が抱える不安を強く感じ取ります。情緒が不安定になることもあるので、安心できるように関わってあげましょう。
・2〜3歳:寝ていることと亡くなっていることの違いが分からないと言われています。そのため、不安な気持ちになることがあります。「眠っている」や「遠くへいった」と曖昧に死を説明するのではなく、「死」という言葉を使うことが大切と言われています。大切な人が死んでしまったことを知らされても、この年齢の子どもは、「どこにいるの」と繰り返し聞きます。そういう時は、「~は死んでしまったんだよ。だから、もう帰ってこないのよ」と、穏やかな態度で、質問に答えて安心させてあげましょう。子どもは同じことを何度も何度も繰り返し聞くことで確認し、一生懸命理解しようとしています。発達段階における必要な行動なので、繰り返し伝えてあげましょう。
・3〜5or6歳:死と眠りを混同することが多く、死は一時的であるもの、徐々に起こる事として捉えていることがあります。そして、死が逆戻りできないこと、死んでしまったら二度と生きている状態に戻らないこと(不可逆性)や、肉体的な生の終わり(身体機能の停止)であることが理解できないと言われています。「電池が切れたおもちゃのように再び元に戻せる」といった感じに、死んでも再び生き返ると考えていることがあります。また、「自分が言うことを聞かなかったから〇〇が死んだんだ」というように、自分の行動がその死を招く原因になったと考えてしまうことがある年齢なので、子どもの心が不安でいっぱいにならないようにゆっくりとお話しをしてあげてください。
・6〜10歳:死を敵として、擬人化して捉えると言われています。子どもが死を擬人化して捉えると、死から回避することも可能だと考えるそうです。そのため、「家族みんながお母さんと仲良くしているから、お母さんは死なない」というように捉えることがあります。また、「死んだらどうなるの?」「どこにいくの?」「どうやって人が死んだってわかるの?」など、死について強い好奇心を持ち、詳しいことを知りたがることもあります。その時は、丁寧に子どもの質問に答えるようにしてあげましょう。また、死を悲しみ、亡くなった方を懐かしむ大人たちを見ることで子どもは死を少しずつ理解していきます。身近で大切な人が亡くなったときは、子どもがその人を思い出し、静かな時間を過ごせる場所を作ってあげましょう。この年齢の子どもたちには、安心して思い出す事のできる習慣的行為が助けとなります。
10歳以上:死は最終のことであることや誰にも訪れるものであることを認知できるようになります。しかし、その理解はまだ完全なものではないとされています。
11~12歳頃:周囲の人の気持ちを察し、死に関わる質問はしてはいけない、質問をすることが、周りの人の痛みをもたらすことを理解します。子どもの成長や経験を大人が把握して説明する必要があります。

大切な人が亡くなった時、残された人が自分を責め、罪悪感に駆られることがありますが、一般的に子どもの方が大人よりも罪悪感を覚える度合いが大きいと言われています。死の理解には、経験や認知の発達が必要になってきますが、子どもが因果性を理解できるように、周りの大人は「どういうことがあって、何が原因で亡くなった」ということを、わかりやすく伝え、子どもの苦しみを和らげてあげましょう。
最近では死を身近に感じる機会が昔よりも減ってきているので、いざという時にどのように子どもたちに対応していいかわからないこともあるかと思うので、参考になれば幸いです。

では、病気の兄姉弟妹が亡くなる経験をしたきょうだいはどのような心情を抱いているのでしょうか。

きょうだいの死別経験とその心情や感情

病気の兄姉弟妹の瀕死の状態を目の当たりにしつつも、最後まで「死ぬとは思っていなかった」、後から「もっとできることがあった」と感じていることがあるそうです。また、悲しく辛い思いを持つ一方で、どこかほっとしたり、これからは親が自分を見てくれることに期待し、嬉しさを感じることもあるそうです。こうした感情も当然起こり得るもので、大切な感情です。ですが、きょうだいはかけがえのない兄姉弟妹をなくす喪失と、自分の元に戻ってきてくれると期待していた親が悲嘆の中に突入するという「二重の喪失(doublu loss)」を経験すると言います。
また、子どもの方が大人よりも罪悪感を感じることが多いこともあり、自分が生きていることに対して、罪悪感を抱いているきょうだいもいます。(feel guilty just for being alive:サイバーズギルト)このような状況で、きょうだいは悲嘆の中にいる親に負担をかけないように努め、支える役割を担うことも少なくなく、自分自身の悲嘆過程を進めることができないことがあると言います。また、きょうだいの中には親のためにと生きるなかで、知らないうちに我慢を重ね、自身に強い負担をかけていることもあるようです。

これらの状況を少しでも軽減し、きょうだいも自身の悲嘆過程を進めることができるように、医療者は早期からきょうだいを含めた緩和ケアを実践していくことが求められます。また、周囲の大人がきょうだいが死別を経験するかもしれない可能性と見通しを持ちつつ、病気の兄姉弟妹の生前から関わっていくことで、その後の状況に活きてくる可能性があると言われています。親もきょうだいと悲嘆を共有することが困難さを感じていることもあるため、周囲の援助が必要と思われます。

医療者が知りたい?グリーフケアについてはまた頃合いを見て、私なりにまとめて見たいと思います🌸


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