見出し画像

トランジット13時間後、モスクワの空にて

モスクワにて、約13時間に及んだ地獄のトランジットを経て疲れ切った私は、朝6:30ローマ行きの飛行機にやっとの思いで搭乗しました。

そして約1時間後に、今後の価値観を変えるような男性と出会います。

当時19歳だった自分は、ヨーロッパ留学中の友達に会うために、そしてティーン最後を締めくくる思い出として、人生で初めて一人で海外へ向かいました。
友達と立てたのは、ローマで待ち合わせ、イタリアの主要都市をめぐり、フランスのパリで観光し、最後はスペインのバルセロナでサクラダ・ファミリアを拝みながら美味しいパエリアを食べる、という、11泊13日の夢のような計画。
両親には危険だと反対されましたが、現地に着けば友人に会えるし、ジェスチャーやGoogle翻訳を駆使すればコミュニケーションもなんとかなる、と根拠のない自信がありました。
それに、誰かに自慢できるような経験を持っていなかった私は、10代最後、何か周りに誇れるような経験をしてみたいと思っていました。
(ちなみに旅行するにあたって不安要素の一つである予算は、一番安い経路の便を選び、宿泊先も安いドミトリーやホステルを探し、それまで必死に稼いで貯めたバイト代(と両親にそれなりの金額の借金をして)、なんとか間に合わすことができました)

来る出発日、成田空港からロシアの機内では、ドキドキとワクワクで希望に満ち溢れていました。友達と立てたスケジュールを見返し、ずっと観たかった映画を流し、気付いたら眠りの世界へ。

現地時間17:30、モスクワ到着。往路は一番安い便を予約したので、ここで13時間過ごさなければなりませんでした。  
※長くなるので今回は省略しますが、英語が通じない、Wi-Fiが繋がらない、食が口に合わない、水が高すぎる、そして眠れない、、!、などここで過ごした13時間にもたくさんのドラマがありましたので、いつかまとめたいと思っています!

そして迎える朝6:30、待ってましたとばかりに、一番に飛行機に乗り込みます。モスクワからローマまでは約4時間。
モスクワでの13時間の間、警戒心から一睡もできなかった私は、この4時間は睡眠として充てるつもりでした。

指定された席は、最後列の窓側という、リクライニングシートを遠慮なく倒せるかつ風景も楽しめる大当たりの位置。
しかし喜んだのも束の間、隣の男性が来てからは実はハズレの席だったのではないかと思い始めるように、、、

離陸前ですが、とてつもない睡魔に襲われ、寝ようと目を閉じた時、その方が席に座りました。体格が良く、強面というだけで若干びびった私ですが、何より強い口調で(知らない言語で)スタッフに何かを訴えていた様子を見てからは、絶対関わらないようにしよう、と強く心に決めました。そのせいでその男性が気になり、寝ようにも寝られなくなってしまったのです。

無事離陸し、しばらくすると軽食としてカップケーキとサンドウィッチの配布されました。そのあたりからです。隣の男性からの視線を感じるようになったのは。13時間滞在した空港では孤独との戦いでしたが、今は恐怖との戦いに変わり、絶対に目を合わせてはいけないと確信していました。

しかし、あと3時間の辛抱、そう言い聞かせているうちに、トイレに行きたくなってしまいました。自分は窓際に座っているため、トイレに行くにはどうしても席を立ってもらい、道を開けてもらう必要がありました。もちろん、強面外国人男性相手にそう伝える勇気が出なく、我慢するか、伝えるか、で20分くらい葛藤。ついに耐えきれなくなった私は、意を決して話しかけてみることに。拙い英語で、トイレの方向を指差しつつ伝えると、なんとか理解してもらい、通路側に避けてくれました。戻ってくる時も、すぐに察知し、席を空けて立っていてくれました。意外と優しい人かもしれないと思いながら席に座った途端、思わぬ展開が。

隣から突然、「Are you Japanese?」との問いかけが。
恐怖心があったものの、「Yes」と続け、「Where are you from?」と試しに質問を返してみました。
そして会話は始まり、相手はロシア人ということが判明。自分が聞き取れた範囲で思い返すと、彼は当時の自分(19歳)と同じくらいの息子と娘がいて、ローマへ向かう目的は、留学中の息子に会いに行くためだそう。
幸いなことに、相手もネイティブではなく、スローだったため、聞き取りやすい英語でした。そして相手も、使い慣れていない私の英語を、一言一言聞き取ってくれていました。
そもそも、自分に話しかけてくれたきっかけは日本に興味があったとのこと。(そして、じっと見ていた理由は、カップケーキを食べないか聞いてくれようとしたらしかったみたいでした、、笑)
その後の話は第二言語取得の仕方(という、日本人同士でもあまり話さない話題)について語り合いました。熱心に語ってくれた中でこんなこと言うのは申し訳ないですが、13時間一睡もしなかった疲労と、話が難しすぎて、正直なところ話が2割くらいしか理解できていませんでした。
眠気と葛藤しつつも、自分も拙い英語でなんとか持論を展開し(相手は聞いてくれていた様子だが、ちゃんと伝わっていたかは謎です)、しばらくするとお互い眠っていたようでした。

客観的に二人の会話を聞いた際、話は全く噛み合ってないかもしれません。
しかし、ここでの対話はこの先の旅で出会ったどの人よりも、一番心に残っています。
13時間空港で孤独と戦った後、誰かと会話できている嬉しさ、そして何を考えているか分からない、“宇宙人”だと思っていた存在が、言語が違うだけで本当は自分と同じく大切な家族を持ち、誰かと話をしたい心を持つ“人間”なのだと気付いた喜びは、10代最後に経験できた忘れられない感情です。
日本人外国人関係なく、どんな相手でも先入観を持たず、まずは会話から始め、きちんと目を見て、ゆっくり理解していこうと思えた、10代最後の貴重な旅のお話でした。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?