スキルも昇給もない限界OLが、年収+200万を叶えた話
予定がいっぱいで一見充実していた、20代後半。
私は内心、焦っていた。かなり行き詰まっていた。
人生に、キャリアに。とくに金銭的に。
新卒で入った会社は、手取り16万からほぼ伸びない。
10こ上の先輩から言われていた。
「きなこちゃんと私の給料、変わらないよ〜」って。
1Kで1人、ギリギリ暮らしの私、絶望である。
友だちはお金を持って、どんどんキラキラしていく(ように見える)のに。
やりがいのある仕事をして、どんどん成長していく(ように見える)のに。
いつまで経っても、私は変わらない。
10年経っても買いたいものは買えず、ご祝儀を出すのも一苦労。
せまーい部屋で暮らし続ける、広がりのない未来……。
……そんなの絶対に無理なんですけどー!?
他人と比べて落ち込むなんて、もうこりごり!!
私はもっとキラキラ、ワクワクして生きたいんじゃあああ!!
このnoteは、そんな現状を変えたくてたまらないアラサーOLが、年収+200万を叶えていく話。
何かをがんばりたいのに、何すれば?
そもそも私は、給与水準が低い業界を選んでしまった。
同じ業界内で転職しても、状況は変わらない。
加えて、入社3年経っても、社内用スキルしかついてない自信があった。
転職しようにも、やりたいことも活かせるスキルもなくて、八方塞がり。
それなら勉強して、手に職つけよう。
仕事に活かせる資格はないかと、探したりもした。
ところが、仕事に直結する資格は、取得までに時間もお金もかかる。
逆に、簡単に取れる資格は、仕事に繋げられるのか自信がない。
どれもピンとこない......。
1年半ほど、何も行動を起こせずにモヤモヤしていた。
何かをがんばりたいのに、何をしたいのかわからない。
この状況が一番つらい。暗闇の中で無理やり笑いながら、もがいている感覚だった。
理想の人生と向き合った、面接官の一言
あるとき、妹が転職した。まったく新しい業界の、新しい職種についたと言う。
スキルも自己アピール力も、自信はなかったけれど。身近な人の話を聞くと自分もできる気がしてくる。(単純)
なにか道が開けるかも。
そう思った私は、早速、転職エージェントに登録した。
人生のピカーーーが起こるとはつゆ知らず.......私は、転職活動を始めたのである。
事件は、とあるベンチャー企業の面接で起きた。ゼロからトップを目指しているという熱い会社。
私にもアツアツの質問が投げかけられた。
「きなこさんの人生のゴールはどこで、その道のりのどこにうちの会社がありますか?」
???
私は答えに詰まってしまった。
人生のゴールなんて考えたことないし、そんな先のことわからないよお。
意気消沈して帰宅。家に帰ってもなお、面接官の質問がグルグルする。
ゴール?そういえば私ってどう生きたかったんだっけ?何がしたかったんだっけ?
本当にこの会社に行きたいんだっけ?
いろんな疑問が湧いてきた。
元来私は、自分を分析したり、遠い未来の目標を立てるのが苦手だった。
だけど心に引っかかる。
ぼんやりと考え続けて.......ついにピカーーーッと、本音がおりてきた。
「ない......この会社は私の人生のどこにもない!(折角お時間いただいたのにごめんなさい)
というか、私はまた海外に住んだりしたいんだった!!」
そう、私は海外が好きなのである。学生時代には留学もした。
海外に住むという、あまりに新鮮で面白い体験を、またしたいと思っていた。(その願望さえ忘れていた)
しかも、誰かに決められた行き先ではなく、自分が決めたところに好きなだけ行きたい。
それなら、キャリアの築き方は、きっと転職じゃない。資格を取ることでもない。
どこにいても、どんなに時差があっても働ける、何かなのではないか。
初めて理想の人生(片鱗だけど)に向き合って、初めて建設的にキャリアを考えられた瞬間だった。
カット、カット、カットのコロナ禍で
ちょうど同じ頃、コロナが流行り始めた。
私がいた業界は、1・2位の打撃を受けた業種。
仕事がない。できない。
当然売り上げは落ち、まずボーナスがカットされた。
2年目には、月給も3割減となった。
給料が減った一方で、時間は増えた。
政府から助成金が出るというので、週の半分くらいは休みに。
私は、今までにない多くの自由時間を手にし、ルンルンしていた。
だって.......新しいことを始める絶好のチャンスだから!
そこで私は、自分が欲しい仕事の条件を書き出した。具体的には、こんな感じ。
ネット環境さえあればできる(=海外でもできる)
継続すればスキルが伸びる(=手に職つけたい)
小さく始められる(=元手をかけられない)
次に、この条件に合う仕事をリストアップした。
「個人で稼ぐ」をはじめる
「副業 おすすめ」と検索すれば、条件に合いそうな仕事はいくつも出てきた。興味のあるものを1つずつ試してみる。
輸出物販、輸入物販、プログラミング、ブログ.......。
いちばん続いたのは、輸入物販。中国のサイトでアクセサリーを買い付け、日本で販売するものである。
一時は、家の中がアクセサリーと梱包資材でいっぱいだった。
日夜、売れるものをリサーチして、原価計算し、仕入れ代行業者に連絡。商品ページを作り、売れたら梱包・発送する。
大きなお金にはならなかったけど、動けることが楽しかった。
それでも2〜3ヶ月すると飽きてくる。
プログラミングは基本的な言語を習っただけで、向いていないとわかった。
ブログは10記事で挫折した。
なんとも言えない「これじゃない」感。
私は、自分の気持ちにしたがって、次々仕事を変えていった。
「これだー!!」な仕事との出会い
ウダウダと、試行錯誤を繰り返すこと半年。ついに私は出会った。
きっかけは、ワーホリのブログを読んでいたとき。
「WEBコピーライター講座」の感想を綴った記事に、たまたまたどり着いた。
そこには、「海外にいても収入を得られる方法がわかった」「一生役立つスキルがわかった」と書いてある。
恩人である実際の記事↓
その記事にならって参加した講座で、全わたしに衝撃が走った。
もう「これだー!!」と思った。
だって、学ぶ内容が楽しそうだし、収入は青天井っていうし、一生使えるスキルだというし、私は活字が大好きだし。
とにかく楽しそう!!ビビビッ!!
他の仕事にはなかった、ワクワクが湧いてきたのである。
限界OL、年収+200万へ
ライターを始めたら、なぜかわからないけど、よく評価された。収入も伸びた。
物販をしていた時は、3ヶ月やっても数万円だったところ。
ライターを始めたら、3ヶ月後には数十万円に。
直感はすごい。ワクワクするものは、自分の資質とも合っているのだ。
仕事の幅が広いのも、好奇心旺盛な私にはぴったりだと思った。
1つの分野が合わなくても、「書く」を軸にして新しい仕事・新しい人に巡り会える。
最初は、「初心者歓迎」と書かれている簡単な案件から、経験を積んで。
その実績をもとに「面白そう」「できそう」と思うものに、次々トライした。
そうしたら、より楽しいと思える、やりがいのある仕事に出会えた。
働きながらスキルを伸ばせること、好きな仕事で人の役に立てることが、本当にうれしかった。「生きてる」という感じがする。
ライター2年目には、実績を活かして転職もした。
まったく違う業界の、まったく違う職種へ。
こうして副業収入+転職の給料アップを合わせたら、いつの間にか、コロナ前の年収と比べて200万円アップしていたのである。
今年はなんと、独立までしてしまった。自分でもびっくり。
情報が溢れるこの時代に生まれてよかった〜。
パソコン1つで仕事ができる時代に生まれてよかった〜。
もし今、過去の私のように悩んでいる方がいるなら、ビビビッと出会ってほしい!
つらい今、モヤモヤしている今から抜ける道は必ずある、と希望を持ってほしい!
そう思って、このnoteを書きました。
最後まで読んでくださり、本当にありがとうございました♡
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