見出し画像

「50代から始める知的生活術」外山 滋比古 著 から読み解く“元気で長生き”のコツ 

 こんにちは、エエメエちゃんです!(^^)!

 1月末に誕生日を迎え、いよいよ50代に突入
しました。
 40代の次は50代って、頭では分かっていた
ものの、実際に自分が50歳になるというのは衝
撃的です。
 子供の頃父がよく、にんげんごじゅうねん~♪
て唄っていたなぁとか思い出して、今までにない
様々な感情が湧いてきます。
 でも何よりも考えてしまったのは、今までは遠
くの方にふわっと浮かんでいた老いや死という現
実を、これからの人生計画の中に入れていかなけ
ればいけなくなったなということでした。
 昨年夫の母親の死を経験し、一人の人間が亡く
なるというのは周りの人間の喪失感のみだけでな
く、現実的にやることが沢山あるということを思
い知ったしたばかりなので余計にそう思うのかも
しれません。
 特にうちは夫婦だけということもあり。

 そんな心境で本棚を眺めていると、数年前に買
ってまだしっかり読んでいなかった、
外山滋比古先生の「50代から始める知的生活術」
が目に飛び込んできました。

 2010年3月に刊行された本を改題・修正加
筆して2015年2月に発行された本ですから、
主な内容は外山先生が2020年に96歳で没せ
られる約10年前の、85,6歳の時に書かれた
内容かと思います。
(後半は2014年にほとんど書き直されたみた
いです)


◎ビックリするくらいボケてしまったシッカリ者の祖母

 話は変わりますが、実家で子供の頃から同居し
ていた私の祖母は晩年、ビックリするくらいボケ
てしまいました。
 働き者でしっかり者だった祖母は、毎朝毎夕欠
かさず散歩をし、パートにも出かけ、趣味の畑仕
事も一生懸命やり、プランターに植えたたくさん
のお花で玄関回りを年がら年中華やかに保ってく
れていました。
 料理も得意で、山菜料理、お漬物、梅干し梅酒
など手間のかかることも厭わずやり、裁縫も編み
物も何でも出来て、寸暇を惜しんで働きまくって
いた人でした。
 でも誰よりも元気で頭脳明晰だと思っていた祖
母は70代後半くらいから何となく言動が危うく
なり、80歳を越える頃には今さっき言ったこと
も食べたことさえ忘れてしまうようになってしま
いました。
 それでも足腰は丈夫だったため、そんな状態で
も動き回るので、父母は気が休まる時が無かった
と思います。(私はその頃には結婚して家を出て
いたのでその苦労を共有していないのですが)
 晩年は長い間施設に入っていましたが、私が時
々行っても勿論だれだか分からず、気まずさを隠
すためにいつもお得意の民謡を歌ってくれました。

 本人にとって、認知症になることは悪いとばか
りは言えません。
 そうやって人は死への恐怖を緩和しているのか
もしれません。
 ただ、周りの人間にとっては心身共相当キツイ
です。
 祖母は享年92歳。でもどんなに長生きしたと
ても、なるべくならギリギリまでボケずに元気で
いたいものです。

 その経験から私は“元気で長生きの人”の傾向を
観察するようになりました。

 長寿で活躍されている方々の出されている著書
や、インタビューなどを拝見していると、職業、
趣味や習慣、食べるものなどなど、これだという
共通点を一概には見いだせません。

 高学歴で知的レベルの高い職業の人もいれば、
子どもを沢山産み育てた方もいるし、玄米菜食の
人もいれば肉をガンガン食べてる人もいるし。
 一昨年119歳で亡くなった田中カ子(かね)
さんの好物はコーラとチョコレートだったそうで

 というところで、ご自身が96歳まで生き、
知の巨人と言われた外山滋比古先生が残して
下さった50代からの知恵とはどんなものなの
か、50歳になった私にはとても興味がある
ので読んでみました。

◎外山 滋比古 先生の経歴

 英文学者評論家文学博士
 1923年愛知県生まれ。
東京文理科大学英文科卒業後、51年に雑誌
「英語青年」編集長
に就任。
 56年に東京教育大学助教授、68年にお茶の水
女子大学教授
(うち5年間お茶の水女子大学附属
幼稚園長を兼ねる)に。
 現在(2015年当時)は、同大名誉教授。専門
英文学のほか、言語論、修辞学、さらには教育
など広範な学術研究と評論活動を続けてきた。
「思考の整理学」「外山滋比古著作集(全8巻)」
など著書多数

大変立派ですね~、
そしてこのご経歴自体がこの本の内容をある程度
表わしている
のです。

◎人生の二毛作。転機とみたら、行動する

 先生は、人生は二毛作が良いと提唱します。
二毛作とは、同じ耕地で一年の間に異なる
作物を栽培すること。
(同じ作物を栽培するのは二期作。)
 人生の二毛作とは、第一幕の人生とは趣を変え
て、むしろ第一幕をしのぐほどの楽しさと充実感
に満ちた生活を迎えること。
 老後を輝かしきものにするためには、老後を意
識し始める少し前から、まず自分の足で歩くこと
ということです。

 外山先生が東京教育大学の助教授だった当時、
後の筑波研究学園都市への移転の話が持ち上がっ
たそうです。
 多くの教員が反対し、外山先生も覚悟を持っ
て反対運動の一員に加わっていましたが、移転
が正式に決定してしまいました。
 先生はお一人、反対運動の責任をとって大学
を辞める決心をしました。

 ひとりで歩き始めるのは最初は心細いもの
ですが、思い切って職を辞したことによって
いくつかの大学から声がかかりました。
 家から通いやすいお茶の水女子大学に、自
らの交渉によって若いながら教授の座につく
ことが出来、働くことになりました。

 お茶の水に行ってから、それまでやっていた
英文学だけでは飽き足らなくなり日本語の勉強も
やることにしました。
 周りからは批判も受けましたが勉強を続け50歳
を前に「日本語の論理」という著書を出しました。
 するとそれ以来、日本語やことばについての
講演依頼が増え、その後「我が子に伝える“絶対語
感”」という本を出すと子供のことばの教育に関心
を持つ人たちから注意をひくようになったそうで
す。

◎資金作りも大切

 輝かしい老後を送るためには、安心して生きて
いけるだけの資金作りも大切です。
できれば30代から。
 先生は実直なサラリーマンの父のもう一つ顔で
あった株好きに影響を受けて、若い頃から株式投
資をやられていたそうです。
 投資スタイルは「買ったら長く持つ」
時代の良さも手伝いかなり資産を増やされたとの
こと。
 ただしくれぐれも、欲をかき過ぎず、信用取引
には手を出さないこと、50代なかば過ぎからの
投資は要注意とのことなので、あくまでも自己責
任で。

◎一般企業で働く人は50代なかばで意志的決断を

30代で...将来を見据えた資産形成の第
       一歩。

40代で...自分を生かせる「もうひとつの
       仕事」の発見。

50代で...もうひと苦労する。
       
 苦労のない人生はありません、苦労せずして
充実した老後もありえません、と厳しいお言葉
と共に、50代のまだ力のあるうちの転職、転身を薦められています。

“ 五十にして天命を知る ” by孔子

◎脳を生き生きとさせるには


・無心で歩く習慣(万歩計などシャラくさい。
 自分で数えて一万歩w)
・一日一度は外出(図書館に行って原稿を書く)
・料理は思考、調理はエクササイズ
 (男子、厨房に入るべし)
・新しい習い事(老いて学べば死しても朽ちず)
・放談、雑談のススメ(敢えて違うジャンル人
 達と話す場をつくる)

◎つき合いの作法

・賞味期限切れの友情より新しい友達を。
・淡交仲間をつくる。
・年をとったら浮世のしがらみを振り切る
 勇気を持つ。

◎知的生活の知恵

・自分で考える
(知識の習得ではなく考える力をつける)
・真似はしない
(知識に頼るのではなく自ら思考力を育てる)
・本当の読書力をつける
・「生き方」を学ぶ
(時には、ものの考え方が含まれている良質
 なエッセイを読む)

◎新しい人生を切り開く

・マイナスから出発する。
・ゆっくり急ぐ。
・第二の天性( “Habit is second nature.”
 習慣は第二の天性。
生まれ持った第一の
 天性は失われる、そのあとに自力で第二
 の天性を作る

・好きなことをする。
・前向きに生きる。(良くない過去は忘れて
 新しい目標を立てる)
・欲を捨てる
・自分のことは自分で
( “Heaven helps those who help themselves.”
 とは、「天は自ら助くる者を助く」という
 意味ではなく「天は、人の手を借りずに自
 分のことは自分でする者を助く」
という意味)
・ギブ・アンド・テイク
(これまで自分のために仕事をしてきたのを、
 世のため人のためになることをしようと頭を
 切り替える。人生二毛作はギブ・アンド・
 テイクによって実りをつけることができる!

 ・・・人生100年時代とも言われる昨今、
いかに老いて死んでいくのかを一人ひとりが
人任せにせず自分の頭で考えて、自分のこと
は自分でやるという気概を持って生きること
が大切だと思いました。

 知の巨人と言われた外山滋比古先生。
 ご自身は早くから自立自尊の道を歩まれて
いたので、決して二毛作の考えによった人生
ではなかったにも関わらず、膨大な知識と知恵
の中から、老いていくことに対して希望の持て
る提案を読者にしてくれています。

 最後の章の最後の項目、「残照夢志」という
言葉が印象的です。
残照とは、
日が沈んでからも雲などに照り映えて残ってい
る光のこと。
当時91歳のご自身のことを指していると思われま
す。
は、自分自身の目標や願望
は、周りを幸せにしたいという想い
 90歳を過ぎてもなおおごらずに、やり残し
たテーマを倒れるまで追求するという誓い。

 この姿勢こそが“元気で長生き”のコツですね、
と教えられました。
 
最後までお読み頂きありがとうございました(^^)/


この記事が参加している募集

読書感想文

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?