五感で味わう初オペラ~オペラシアターこんにゃく座 オペラ『神々の国の首都』~
オペラというものを、生涯一度も見たことがない。「イエイエ私のような若輩者にはまだ早いのでございます」と、誰に対してか分からないような言い訳をして遠ざけてきた。その理由の一つとして、「恐れ」がある。もし自分が、その作品を理解することが出来なかったらどうしよう、という恐れだ。
私は東京都武蔵野市の公共劇場「吉祥寺シアター」に勤めている。当館では3月8日(金)から、オペラシアターこんにゃく座 オペラ『神々の国の首都』が上演される。本作はラフカディオ・ハーン(のちの小泉八雲)が、妻となるセツと暮らした松江での日々を通し、ハーンの生きざまを描き出す作品である。上演するオペラシアターこんにゃく座は、[新しい日本のオペラの創造と普及]を目的に創立され、日本語のオペラ作品をレパートリーとしている。少なくとも、言語の壁はなさそうだ。
公演の稽古に先駆けて、こんにゃく座で小泉八雲についての勉強会を行うと聞き、私もお邪魔した。勉強会は、八雲の曾孫である小泉凡さんが講師を務めた。会場には出演者やスタッフ、おおよそ30人ほどが集まっていた。
“小泉八雲”というと一般的には『耳なし芳一』や『貉』など怪談のイメージが強いが、実は紀行文も多く残している。八雲はギリシャに生まれ、アイルランド、イギリス、フランス、アメリカ、マルティニーク(カリブ海)、日本と、世界各地を訪れた。そして、地球半周を超える旅の中で異文化を体験し、「オープン・マインド」の心や「五感力」を育んだ。「オープン・マインド」とは、多様性をみとめる開かれた精神のことだ。八雲は島根県への滞在中に出雲大社に3回訪問し、神道に触れた。彼は著書『知られぬ日本の面影』で次のように語っている。
八雲は出雲大社への滞在で、体感的に異国の地の宗教を理解したのだ。
「五感力」とは、文字通り五感で感じ取るちからの事だ。八雲は訪れた土地を、五感を最大限働かせて味わってきた。同著にて、八雲が日本をはじめて訪れた際の驚きが緻密に描かれている。
これは八雲が桜を目にしたときの記述である。そこには、私たちが普段生活する中で見過ごしている日本があった。毎年咲く桜に、私たちは美しさこそ感じるけれど、それを「美しい」という言葉に収めてはいないだろうか。
勉強会を終えると、第一回目の稽古が始まった。こんにゃく座の座付作曲家である萩京子さんが作った楽曲を、はじめて全員で歌う。ピアノの音が滑り出す。歌役者(出演者)が一斉に足を踏み鳴らし、リズムを作り出す。柔らかく昇っていくピアノの音色は土のにおいがした。足取り軽く、探検しているようだ。八雲が日本の地に足を踏み入れた際の感動が想起させられる。歌役者たちが歌いだす。歌に乗せて様々なシーンが繰り広げられる。中でも、八雲の妻となる小泉セツが、思わずといったようにうきうきして、日本の民話を語り聞かせる曲が印象的だった。そして、何と言ってもことばが聞き取りやすい。こんにゃく座は、よく聞き取れて、内容の伝わる歌唱表現の獲得を目的としているという。オペラにあった、自分には理解できないのではないかという恐れはすっかり萎んでいた。
私が吉祥寺シアターに勤め始めて一週間ほどたったある日。支配人と「舞台作品を見る前に、その作品が分からなかったらどうしようという不安がある」という話をした。支配人は「理解する必要はないと思うよ」と話した。私は「はい」とうなずきつつも、全く納得できていなかった。実際、舞台を見に行って、よく分からずもやもやした経験が何度もあるからだ。
今回、八雲の考えの一端に触れて、「理解」はしなくても五感で感じ取ればよいのかもしれないと思った。劇場は暗く、狭い。視覚情報を絞り、舞台に五感を集中させるための空間だ。私のようにオペラを遠ざけてきた方も、ぜひ劇場で五感を研ぎ澄ませてオペラを味わってみて欲しい。
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