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【ブタ蚊取り】

私は、そのブタの形状をした瀬戸物を、本来の使い方で使用したことが無い。何となしに可愛らしく古風な容姿から置物として、リビングの何だか目に付く場所に飾っていた。
都内で暮らしていると、近所に対し気を使い、無煙無臭で、人にも虫にも優しい暮らしを心がけるようになる。いつの頃からだろう、最近ではこういった薬品の類はあまり使わなくなっていた。

「山崎さん…辞めるそうよ」
昼食前。この後何を食べようかと思考している、平和な時間に突如飛び込んで来た、何とも驚きのニュース。オフィスの喧騒の中、隣に座る同僚の声は不思議と耳に届いて来た。
「山崎さんって、先月チーフになったばかりじゃない!」
私には寝耳に水で、素直に驚いていた。山崎さんは営業部内でも30代の期待株で、先週、営業の後に喫茶店で話をしたばかりだっただけに、何も知らなかった自分に、違和感を覚えた。
「引き抜きだって噂…」
隣の同僚が、さらに小さな声で囁くのだけれども、なぜだか自然と耳に届いて来る。まあ確かに出来る人。切れ者だ。その後、出かけた昼食では、その話の続編で華やいだ。

二日程した頃、山崎さんと営業先に向かうタクシーの中で、真相に触れることとなる。
「違うんだよね…田舎に帰るんだ…実家がね商店をしていて…店を継ごうと思ってさ」
山崎さんは、照れ臭そうに、しかし聞かれなくない話を素直に応える形で伝えた。
「そうだったんですね…」
「何かさ、東京の大学に入って上京して、そのまま就職して、で、気がつけば人生の半分を東京って街で生きて来て…そんな所で田舎に帰るって言葉を言うと、何だか、東京で頑張れなくて田舎に逃げ帰るように思う人もいるんじゃないか、なんて、本当にくだらないプライドがあってね、会社にも同僚にも言いづらい所もあってさ…」
それまでの張り詰めていた想いが、後輩の私に打ち明けたことで、堰を切ったように言葉として溢れた印象だった。
「山崎さんくらいの努力家は、そうそういませんよ!私ら後輩にも人望があって、だからリーダーにも抜擢されたワケですし!」
何か熱く語ってしまう自分がいた。
「そんな山崎さんが、逃げ帰るなんて誰も思いませんよ!」
「まあ、そんなものかな…ただね、会社という組織を抜けるって、案外気を使うものなんだよ。」
確かに、引き抜きや、リストラ、親の介護、妊娠出産、辞める理由は様々だが、本当のことを言って辞められる人は相当幸せ者なのかも知れない。

「本当のこと、正論が悪とされるからね。勝てば官軍だよ」
ハハハと軽く笑う。
「井の中の蛙大海を知らず…って知ってる?」
「もちろんですよ」
「その後は?」
「え、その後があるんですか?」
「…まぁ自分で調べてみてよ…狭いんだよね、考え方も人間も…」

「田舎…ご実家は、どちらなんですか?」
山崎さんは静かに、
「山も海もあって、人情も風情もある土地だよ」と濁して話した。

田舎に帰る。その一言で、実家のある場所、どんな商売なのか、何でこのタイミングだったのか、根掘り葉掘り聞かないことが、大人の対応だと察した。
「そうですか…残念です。山崎さんには、もっともっと色々と学ばせて欲しかったです」
「お世辞でも嬉しいよ」
「送別会しなきゃですね…」

本当は、次に何をするのか、どこに行くのかも、さほど興味が無かったのかも知れない。本当は、噂の通り、引き抜かれたのかも知れないが、私にはそれ以上関わることではなかった。
だけど何故だろう。お別れの品に、ブタさん線香の入れ物を送ろうと考えている。田舎と言う言葉の響きに引っ張られている。
ブタさん線香の居場所には、田舎と言う響きが良く似合い、本来あるべき使い道で、ちゃんと使用して頂けそうなイメージが、勝手に脳裏に浮かんでいた。

何でウチの棚に、ブタさん線香の瀬戸物が飾られていたのだろう。そのブタさんは、淋しげな表情をしていたように思える。

しばらく無言の時間があって、営業先に着く間際に山崎さんが口を開いた。
「夏には大きな花火大会があってね…そんな時しか盛り上がらない町なんだけどさ…」
この人は本当に誠実な人だったんだ。嘘ではなく、物静かで周囲に気を使って生きている人。
「良いじゃないですか。本来あるべき場所で、本来あるべき役割を果たす…理想です」
本当に、この人は田舎に帰るんだ…そう感じた時、蚊取りブタが活躍する縁側の様子が、ブワッとイメージ出来た。

     「つづく」 作:スエナガ

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