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【ヒラタさん】

23歳。俳優。代表作無し。
受かるオーディションはチケットノルマ付きの小劇場の舞台だけ。
バイトで生活しているが、俳優という「プライド」、というよりかは
「夢」のせいでフリーターとは名乗らない。

その食い扶持も先月末、シフトのことで店長と揉めて辞めてしまった。
何とか見つけた新たなバイトは劇場の警備員。
演劇用の小ホールが2つに中ホールが1つ、他にも音楽コンサート用の
ホールなどもあり、かなりの規模の劇場だ。
大小様々な劇団が日々公演を行っている。
もちろん、私の憧れの「劇団・通勤快速」も良くここで公演をしている。
チケット代が高く、1度しか見に来たことは無いが。

今日は入ってから初めての夜勤だ。
先日先輩から妙な話を聞いた。
「この劇場は『ヒラタさん』という幽霊が出る」
「暗い40~50歳くらいのオジサンで何かをぶつぶつと唱えている」
「出会っても話しかけてはいけない」
―――あいにく、この手の話はあまり信じない方だ。
だが先輩の話しぶりが妙に気になる。
脅かそうというよりは、入った初日に日常業務を手ほどきするような、
まるで当然のことのような様子が、かえって現実味を帯びていた。

深夜0時を回った。
懐中電灯を握り、ふぅ、とひと呼吸おいてから警備室の扉を開けた。
チケット売り場も、ホール内も、楽屋や舞台裏も、
当然だがシンとしている。
昼間あれだけ人がいる空間がこうも静かだと、不気味を通り越して
妙な心地良ささえ感じる。
ある程度見回りを終え、あとは第二小ホールを残すだけになった。
そのころには『ヒラタさん』の存在感も私の中では薄れ、
この深夜散歩に胸が躍っていた。

第二小ホールの扉を開ける―――誰もいない。
「そりゃそうだ!先輩に一杯食わされた!」そう思うと
笑いが込み上げてきて、思わずプフッと吹き出してしまった。
間抜けな笑い声がホールに響く。
その中に、私の笑い声ではない音が混じっていた。
耳を澄ませ、懐中電灯を握る手に力を入れた。
音の方向をゆっくりと探り、そして一思いに、一気に音の主を照らした。
J列22番、最後列右端の席、そこに「ヒラタさん」はいた。
先輩の言っていたザックリとした特徴そのままの、
暗い40~50代のオジサンだ。ぶつぶつと何か言っている

その時、叫び声より先に好奇心が込み上げてきた。
深夜の妙なテンションのせいか、それとも静まり返った劇場の非日常感が
そうさせたのか、とにかく少しづつ距離を詰める。
照らされようが、近づかれようが、表情変えず「ヒラタさん」は
呪文を唱える。

「・・・が・・・に・・・・・だ」

言葉の端々が聞こえる距離のなった。
更に距離を詰める。

「我が命に替えても、この子犬の名はマイティモーだ」

―――?

「どうしてそんな屈強なサモア系の名前を付けてしまうの?」
「あなたはいつもそう。そうやって自分の価値観を押し付ける」

―――驚いた。「劇団・通勤快速」だ。
どうやら彼の頭には台本が頭に入っているらしい。
そしてその夜、私は仕事そっちのけで、彼の「一人舞台」に
釘付けになってしまった。

     「つづく」 作:オナイ

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