うつだからこそ、今しか描けない絵を描こうと思う
思えば、もう10年以上前から心身の不調を抱えていたかもしれない。
きっかけとなったであろう要因はいくつもある。
日照時間の多い太平洋側から、それの少ない日本海側へ引っ越したこと。
会社での事務職から、在宅での自由業になって、外に出なくなり、昼夜逆転の生活になったこと。
それにより、人との会話が急激に減ったこと。
コーヒーをがぶ飲みし、カップ麺を流し込むような食生活を送っていたこと。
4リットルのペット焼酎が、みるみるうちに無くなるようなお酒の飲み方をしていたこと。
こんな生活が災いしたのか、常に身体が重く、気分は落ち込んで、寝込む時間が増えていった。
入浴は週末だけ。部屋はぐちゃぐちゃ。
映画も、本も、アニメも、見ることができなくなっていた。
けれど、うつというほどのものではないと思っていた。
症状には波があって、比較的調子の良い時もあったし、
落ち込みやすいのは自分の気質・性格の問題だと今でも思うし、
生活を朝型に戻して、陽を浴びて、適度な運動をして、食生活を整えれば良くなるだろうと考えていた。
だから、病院に行くという選択もしなかった。
それから数年かけて環境も変わり、幸いなことに生活はほぼ朝型に戻った。
それでも、やはり調子が悪いのがデフォルトだった。
なんて自分は体力気力が無く、おまけに性格までネガティブなのだろう…と自己嫌悪するしかなかった。
人前では笑顔でいるけれど、そうしているととても疲れるので、
人が好きなのに、人を避けるようになってしまった。
昔からの友人にも身内にも、相談できるはずもなかった。
まーた怠け癖が始まったぞ、かまってちゃんが始まったぞと思われることが予想できたからだ。
なんとか最低限の生活をすることはできた。
不調をやり過ごしつつ、調子がいい時期が来るのを待ちながら、
騙し騙し日々を送っていた。
5年ほど前のある時、
家電量販店の店頭でiPadとProcreateに出会い、デジタルで絵を描くことを始めた。
不器用でアナログ画材が扱えず、絵を描くことを諦めていた人間が、
Undo・Redoを繰り返して、絵が少しずつ形になっていくことの喜び。
大好きなゲームのファンアートが描ける喜び。
学生時代に描けなかったキャラクターが、目の前のキャンバス(iPad)に現れる喜び。
ここ数年、感じることのなかった高揚感。
夢中になって練習して描いていた。その時の多幸感は、今も懐かしく、恋しく思っている。
しかし。
絵を描けば描くほど、絵を仕上げるスピードが遅くなっていった。
描いていても、常に迷いや不安が付きまとって全く筆が進まない。
バストアップの絵に何十時間もかかるのがザラになり、軽い落書きもできなくなっていた。
知らず知らずのうちに体調が悪化していて、判断力が無いに等しくなっていたから、当然と言えば当然だった。
その頃には、日常生活でも、何かを決めることができなくなっていた。
不調の原因は、絵を描き始めたことがきっかけで生活リズムが狂ったのも一因だろうけど、
環境の変化やストレスもあったので、色んな要因が絡み合っていたのだと思う。
大好きなゲームを進めることもできなくなってしまった。
ネットを開いても、目に入ってくるのは攻撃的な言葉ばかり。優しい言葉はそれ以上にあったはずなのに、そういう言葉しか見えないようになっていた。
そして、一番辛かったのは、自分の発する・書く言葉が信じられなくなったことだった。
何か言葉を打ち込んでも、表現が好ましくないような、間違っているような気がして、何度も見直した挙句に消してしまう。
メールなどが打てる状態ではとてもなかった。 返信しなくてはいけないときは、何時間もかけて文章を打っては見返して、その度に寝込んでいた。
そんな状態で、趣味の公の場(Twitterの趣味アカウント)にいることの居た堪れなさ、申し訳なさ。
かといって、体調が悪いことをオープンにするのも憚られる。
結局、ネットそのものを避けるようになった。
ある時、これではいけないと思い、
絵を描くことをすっぱり辞めた。
なんとかしてうつ抜けがしたかった。
それでもなお、医療に頼るという選択肢はなかった。
精神科は、ひどい鬱で起き上がれなくなった人、部屋から出られなくなった人が、
ご家族に引き摺られてようやく受診できる場所、と思いこんでいたからだった。
一年かけて、早起きし、運動をし、食生活を整え、気分転換を心がけて、
ストレスになりそうなものからは極力離れた。
やっぱりそれでも、気分は落ち込む。
判断力、思考力、認知機能もどんどん悪化しているように感じる。
人を避けることも、ますます増えている。
何かがおかしい。
自力では、もはやどうすることもできないのではないか。
ここでようやく、病院にかかることができた。
診断は、持続性抑うつ障害、パニック障害、ADHDだった。
診断を受けた時の気持ちは、ショックよりもホッとする方が大きかった。
やっと、改善に向けて具体的なアプローチができるという希望が見えた気がしたからだと思う。
心配していた認知の衰えも、知能検査の結果を見る限りではまだ大丈夫に思えた。
うっかりミスや物忘れは、ADHDによるものだったのだろう。
絵を描くのに一番必要そうな、知覚統合が凹だったのはちょっと凹んだけれど…
今は、薬を飲みながら、気長に病気や障害と付き合っている。
相変わらずうっかりが多いので、車の運転や字を書く時、文章を読む時、人と話す時、絵を描く時等は気が抜けないけど、
パニックは薬である程度コントロールできるようになったし、
休み休みではあるけれど、身体を起こして仕事や作業をすることができる。
家族のために動けることも、ぐっと増えた。
お酒も、週に1、2回、350ml缶1本でお腹いっぱいになるようになった。
無能っぷりに落ち込むことはまだまだたくさんあるけれど、ここ10年で一番調子がいい。
この嬉しさったら…!
少し体調が良くなったことで、こうしてまた絵を描き始めたけれど、以前のような絵は描けなくなってしまった。
大好きなゲームのファンアートを新しく描く勇気はなくて、涙を流す女の子ばかり描いてしまう。
それに、デッサンが狂っていたり、空間が歪んでいたり、色がおかしかったりするかもしれない。少し前の絵でも違和感を覚えるときがあるから、側から見たら、もしかしたらすごくバグっている可能性もある。
線を引いたり、色を塗ったりするのも相変わらずとっても遅くて、成長を実感することはなかなかない。
AIイラストと比べて、見劣りするなあと悲しくなることもほぼ毎日ある。
けれど、これでいいんだと思う。
さらに月日が流れて、色々と変化があれば、
今描いているような絵も、きっと描かなくなるだろう。
今しか描かない・今しか描けないような絵を、誰に見られなくともぼちぼちと描いていこう、と決めた。
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