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「私のこと覚えているかな」という不安が失うもの

「私のこと覚えているかな」という不安が私の交友関係を狭めているな、と思うことが増えた。

先日、いつものコワーキングスペースにこもっていたら、
以前、働いていた会社の顧問をお見かけした。

ワインを片手に、何やらおしゃれそうな分厚い写真集のページをめくる。
会社の前線を退いてもう何年も経つはずだが、相変わらず情報のアンテナを立てて行動しているさまが流石だと思った。

大好きな方だったので、お話ししたいと思ったのだけど、
「私のこと、わからないかもな」と頭をよぎる。

話しかけて困らせてしまったら。あるいは、不審人物に思われたらどうしよう。話しかけるとしても、何と話しかければいいんだろう。

ぐるぐる考えながらためらっているうちに、顧問の姿は見当たらなくなってしまった。

1カ月たった今も、話しかければよかったと後悔している。話しかけていたら、次またお会いすることもできたかもしれない。

最近の気づきなのだけれど、私は人と関わるとき「私のこと覚えているかな」と考えやすい。私という存在だけではなく、私との思い出や記憶を覚えているかな、と。今、関わっている人たちとの思い出で私との記憶は上書きされていて、改めて連絡を取ったりしたら迷惑にならないかな、と考えてしまう。そうやって旧友と連絡を取らなくなり、疎遠になるケースが幾度とあった。

だいたいが杞憂なのはわかっている。私だって、久しぶりに会いたいと連絡をもらえたら嬉しいはずなのに。だけど、こと自分となると話が変わってしまう。

また先日、新卒で入った会社の同期にたまたま会った。正直もう関わることはないと思っていたのだけど、思わず「今度ごはんに行こう」と誘ってしまう。いざ飲みに行ったら、とても楽しくて、思わず同期全体のLINEで「今度はみんなで会おう」と声をかけた。ほとんどが転職していて、今はお誘いを受けることもなくなった。みんな各々の環境で楽しくしていると思っていたから、みんなから前向きな返事が返ってきて嬉しかった。

みんなも私と同じで、記憶や思い出は自分だけのものになってしまったのかも、と思っていたのかもしれない。ギャンブルに近い感覚だったけど、勇気を出して誘ってみてよかった。

コンプレックスのせいで「私のこと覚えているかな」「他の人といたほうが楽しいんじゃないか」とつい思ってしまう。だけど、自分だけが特別だと思わず、もっと客観視して、自分の気持ちを大切にしていけたらいいな。

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