施術代をめぐる、ぐるぐる旅

悩むなー。金額。

ふみこ、悩みます。


12000円。これは、決して高いとは、思わない。

でも、高い、安いって、比較のもの。なにかと比べて、高い、とか、低い、

とか、きまるの。

そして、なにを高いとし、低いとするかは、それぞれの人で、線引きも違う。

正解はない。

いくらでもいい。でも、ほんとは、12000円欲しい。

じゃあ、12000円払ってもらう?こわい。だって、そんなお金、ふみこの施術に価値があると、思ってもらえるかどうか、分からないもの。

迷いがあります。

500円にした方が、何回も来てもらえるのではないか。

12000円で、何回も来てもらえたらいいね。

でもさ、ふみこ、死ぬかもしれないよ。1回で。

だとしたら?


せいたいの、じかんは、おかねとか、おいておいて、すばらしいものなの。おかね関係なく。
もらわなくても、すばらしいものになる。
これは、ふみこの実感。体感。
せいたいは、それ自体、すばらしいもの。


ふみこは、よっちゃんに4万円払いたいと思った。
なぜなら、それが、ありったけ、払える額だったから。
プライスレスなアクセスバーズに、払えるだけ、払ったの。
月収7万5千円の文子だったけど、なんとか、払えたよ。

金額は、私が決めた。
私が決めて、よっちゃんと交渉した。
4万円払うから、4回受けさせて、と。

そしたら、よっちゃんは、「ふみちゃんは、お金払ってくれた最初の人だから2000円で1回でいい。だから、20回受けて。」と言ってくれた。
夢のような、申し出だった。その申し出を、受けた。
でも、ふみこの体感金額は、よっちゃんの施術1回1万円は、下らない。
だから、よっちゃんに、16万円借金したことになる。

その16万円分の借金で、わたしは、この数ヶ月、たくさんの人に施術させてもらった。借金は、よっちゃんに返すのではなく、他の人に、手当てすることで、返してきたことになる。時々、よっちゃんにも、手当てして、返してきた。

実際に動いたのは、4万円でも、わたしの体感としては、20万円動いたんだ。


払えない人は、門前払い、ってのは、嫌なのよねー。本当に払えないけど、受けたい人がいるかもしれない。
でも、だいたい、本当に受けたかったら、払えるし、受けれるよね。
無料版で参加して、見たくもない広告がついてくるのは、嫌。
そっか。ふみこの施術を無料版にしちゃうと、広告を、ふみこ、つけちゃうのかもしれない。
広告って、対価でしょう?代わりに、これ買ってね、ってことでしょう?
そういうの、やだ。

もう、これっきり。
これっきり、これっきり、もう。これっきりーですかー。


正規料金は、手切金。

これっきり会わないくらいのつもりで、設定する。
その方が、すっきりしてて良い。

今後も、このままの関係を続けるより、
一旦破壊してしまう方がいい。

人間の生命自体も、破壊することで、創造されている。

ほんとうに、欲しい、金額を、要求する。

お金って、紙ペラだよ。

バイトしてたら、万札がどんどん目の前を、通り過ぎていく。

「◯円、お預かりします。」

「△円のお返しです。」


12000円は、怖い。
怖いけど、怖いくらいの値段設定の方がいい。


でも、もし、ふみこが、フライヤー渡されて、
手当て 2〜3時間で12000円って書かれてたら、どう思う?

度肝抜かれるね。「はぁ?!」って思うね。

でもさ、いろいろ、施術受けたけど、ふみこの施術、他のボディーワークに比べて、引けを取らないと思う。
むしろ、大っきい病院で長時間待たされて、お医者さんかかって、疲れて帰るより、よっぽど身体にいいと思う。
なぜなら、ふみこが、されて、嬉しいことを、人に、するから。
じぶんのからだの、ひろがりに、アクセスして、自分の身体の中に、楽しみがあるってことを、気付く内容だから。

だから、ぜんぜん、高くないの。

でも、ふみこの技術が、12000円分あるか、と言われると、それは、わからない。
タイマッサージの資格も無いし、マッサージ店での経験もない。
でも、そういう、仕事としての経験はなくても、実際に家族や自分、自分の大切な人への施術経験は、わたしの生きた年数分だけある。つまり、30年。
30年って、年季なかなか、入ってるよ(笑)

それに、人のために、やっていないのが、ミソ。
ふみこのために、やってます、って施術、他に、たぶん、少ないよ。
でもね。
ふみこが、手さえ当てずに、自分自身のために、手を合わせた時、勝手に癒されていった3人のことを、思うと、
やっぱり、自分が自分のためにして、それでいて、幸せに感じることって、これ以上の天職は無いと思うし、これ以上の才能って、ないと思うんだ。

自信は無いです。
やっぱり、無い。12000円分の価値って、わからない。これから、わかるのかもしれないし、わからないかもしれない。

あー。やっぱり、わからない。
12000円が、正解とは、思えない。
8000円でも、3000円でも、500円でも、しっくりくる時がある。

12000円にするのは、それだけあれば、たくさんやるほど、はやく儲かって、
次に、やりたいことに、つながるから。
次にやりたいこととは、もっと、手当てが身近な存在になるような、なにかを、つくること、女子のための深夜ドーナッツ屋さんを作ることと、女子のために、1人になれて、1500円で泊まれる、静かな一棟貸し施設を作ること、薪ストーブを作ること、遅刻欠席自由な、女の子のための会社を作ること、美術館に好きなだけ行ける稼ぎがあること、バーンロムサイに行くこと、台湾に行くこと、性のこと・身体を温めることを世の中に広めて、心も身体もあったかい、体温がちょっと高めの社会をつくること、大人が何度でもリスタートできる社会をつくること、障害者も女性も病気の人も、関係なく、みんな対等で、やりたいことをして、それを応援できる社会をつくること、もっとつらいときに、つらいっていえる自分をつくり、その波が、広がること、そういう夢を描きつつ、ぼーっとしたり、リラックスしたりする時間を、猫のように、いちばんに大切にできる世の中にすること。


うん。

ふみこは、ふみことして、あることしか、できないから、

だれかに、なにかの役に立とうとして、できることは、ないから、

ふみこが、ふみこで、あることを、応援してくれる、お金が、施術代という名前で渡されると思っています。

なので、うん。もう、いくらでも、いいです。はい。
いくらでも、いいです。


いつも、応援してくれて、ありがとう。

励ましてくれて、ありがとう。

叱ってくれて、ありがとう。

微笑んでくれて、ありがとう。


それでも、やっぱり、ふみこは、12000円だと、嬉しいです。怖いから。
12000円もの数字、もらうのは、こわい。
大きいお金です。その人の1ヶ月の所得の、何分の一か。
それだけのものを、賭けていただくなんて、こわい。
こわいから、12000円がいいです。

ほんとうに、欲しい額は、12000円。


誰かから、12000円いただくのが、こわい。それだけの価値があると、思っていただけないかもしれない。
ふみこが、経験してきたことと、ひとが経験してこられたこと、ちがう。


もし、めのまえに、ジーニーがやってきて、好きなだけ、お金をあげよう、と言われたら、
一生、好きなことを好きなだけやれる分だけ、お金ちょうだい、って言う。
つまり、無限に欲しい時に、欲しいだけ、ちょうだいって言う。一生そばにいて、ほしいものを、ほしいだけ、ほしいときに、ちょうだい、って。

なるほど。

では、いまは?→いらない。深夜だし。もう、寝るし。

もし、ジーニーから、毎日、1億円もらえるのなら、他の人から、お金貰わないで、施術したいと思う?→思わない。お金も一つの、交流。遊び道具の一つ。これを活かさない手はないよ。

じゃあ、ジーニーから、毎日、1億円もらって、それで、誰かを施術するとなったとき、いくら、もらうの?→それでも、12000円かな。

それは、なぜ?→12000円が、こわいから。12000円に正解も間違いもないよ。だれも来てくれないかもしれないし、来てくれるかもしれない。それは、わからない。だけど、12000円がいいの。

でもさ、12000円って、人に言える?要求できる?→できない。こわい。強欲って思われる。ケチって思われる。

よっちゃんに1万円払えるのに、ふみこは、受け取れないの?→受け取ることは、できるけど、要求は、できない。だって、一万二千円だよ。だれも来ないよ。割りに合わないもの。Sさんの黒豆、何袋分だよ。

たしかに。Sさんの黒豆も、プライスレスだ。→じゃあ、1万円払う?→払・・・えない。黒豆に1万円は、高すぎる。おかしい。→でも、Sさんの黒豆だぜ?→うん。Sさんの黒豆がほしいの。いくらでも、払う。払える分だけ。→でも、黒豆500gに1万円は、アホらしいぜ。その額で、他にいろんなことできるぜ。お寿司も食べに行けるし、下着も、靴下も買える。→たしかに。でもいま、お寿司はいらないし、靴下も下着も、欲しいものがないよ。→じゃあ、Sさんの黒豆に1万円払うの?→払ったろーじゃないの!大事に煮てやろうじゃないの!!→そっか。1万円だと、大事に煮るのに、500円だと、大事に煮ないの?→・・・うわー。ほんとだ。なんだろう。この違い。でも、このやりとりを経て、Sさんの黒豆はプライスレスってことが、分かったよ。→たしかに。でも、あなた、その黒豆、既に、500円で買ったけど、1万円の黒豆として、扱う?→うーん。1万円の黒豆なら、見る目かわるだろうか。いや、変わらないでしょう。黒豆は、黒豆。黒豆自体の存在価値は、値段をつけられないことに、変わりはない。1万円でも、500円でも、変わりない。

じゃあ、お金ってなんなの?!

もう、わかりません。

買い手にとっての値段

売り手にとっての値段

相対的値段

絶対的値段


絶対評価と相対評価とあるように、値段にも、絶対評価と相対評価とある。
みんなより、たくさん売れたいから、安くしたり、わかる人にだけ買ってもらいたい場合は高くしたり。
相対と絶対、両方を加味して決めることは、できるのか。


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