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Appleに嫌悪感を覚えた日

2024年5月7日、新しいiPad Proが発表になりました。性能については予想の範囲内でしたが、悪い意味で予想外だったのはそのCMです。実際の動画を貼っておきますが、結構グロテスクです。

楽器やカメラ、ゲーム機が整然と並んでいる中、巨大なプレス機が上からどんどん破壊していくという内容。破壊美自体は旧来からあるものですが、それを名実ともに世界一のブランドが表現してしまうのは悪趣味の極みとしかいいようがありません。なぜこのような表現をOKしてしまったのか、いまだに意味がわかりません。

Appleはテクノロジーとリベラルアーツの交差点に立っていた

1984という名作CMがあります。当時世界はIBMのシステムを主に使っていました。そこに立ち向かっていくAppleの姿を描いたCMですが、立場はすっかり逆転しているわけです。その立場にあって、何かを壊していく、という表現をするのは少しというか結構ダサいし気分が良くない。Appleが一番よくわかっているはずなのに、あえてそのような表現をしているのであれば、その意図をしっかり聞きたいです。

生前のSteve Jobsは、「Appleはテクノロジーとリベラルアーツの交差点に立っている」と表現していました。音楽作成ソフトのGarageBandに収録されているグランドピアノの音源は、スタインウェイの音色をそのまま採用しています(記憶ではこのためにジョブズが購入してたはず)。
これまで人々が培ってきた文化を尊重し、それをテクノロジーとデザインの力で多くの人が使えるようにしている姿勢に惹かれAppleが好きな人も多いはず。そのような姿勢は、もうAppleの中には残されていないのかもしれません。悲しいことに文化がどんどん薄くなっている。ジョブズよ、生き返ってきておくれ。

https://www.youtube.com/watch?v=zZtWlSDvb_k より引用

ティムクックはもともと在庫管理、ロジスティクスのプロです。もちろん卓越した経営技術を持っていますし、デザインに対する理解もある。どんどん最高益を記録し、ジョブズ亡き後もずっとAppleのブランド価値を毀損することなく維持しているのはさすがとしか言いようがない。
しかし、ああいう表現を平気でOKして、自分のXにも投稿するあたり、なんとなくそこまで文化に対する深い愛情みたいなものはないのかな、と感じます。

これまでもAppleのCM、ジョブズ時代のCMでも物を壊すとか吹っ飛ばす広告表現は多く見られました。しかし今回ここまで嫌悪感を抱くのは、「これまでの文化的な製品を大切にする」という企業姿勢があったはずなのに、楽器やぬいぐるみ、ゲーム、カメラといった「そもそもこういうのがなければiPadもなかったでしょ」というものを壊しているから。別にガジェットを作る会社が古いガジェットを壊しても、もったいないなとは思いますが、ここまでグロテスクに感じることもなかったはずです。

炎上系YouTuberと一緒ではないか?

ましてや、これを企画制作した広告制作側にはもっと理解しがたいものがある。確かにインパクトはありますし、こうして話題にはなっているので広告的には成功という意見もあるかもしれませんが、大きなインパクトを与えて話題を呼び寄せるキャンペーンは10年前にその役目を終えています。
今は消費者とブランドの絆をいかにして強くするか、弱くてもその絆をとどめて置けるかに注力する必要があります。「悪名は無名に勝る」という言葉は通用しません。本質的にやっていることは炎上系YouTuberと一緒。

買い替える理由こそ「ブランドへの愛着」


現役時代のiMac G5

初めて自分のパソコンとして買ったiMac G5(いまだに箱ごと取ってある)からずっとずっとApple製品を愛用してきましたが、その愛はすっかり冷めてきています。先日MacBook Airを買い替えたばかりで、今この文章もiMacで打っているわけですし、Apple WatchもつけてiPhoneからの通知を受け取っていますが、もうほんとに全てやめてしまおうかな、と考えています。

その傾向は数年前からあります。毎年のようにiPhoneを買い替えていましたが、iPhone 12 miniから買い換えていません。昨日も研究室のメンバーと話しましたが、カメラの性能をさほど求めず、大幅な技術革新が見られない以上、同じブランド同士で買い替える理由は「そのブランドが好き」という愛着でしかない。逆にブランドへの愛着がなくなってきてしまった以上、新製品を買って応援する気はないので、いよいよ一生iPhone 12 miniでいいんじゃないかと思ってしまいます。もしくはWindowsやGoogle Pixelに思い切りスイッチする。しかし環境を全てApple用に整えてしまっていますし、なんだかんだ慣れて一番使いやすいので、なかなかその気は起きない。であれば、同じ製品をずっと使い続けるしかない。

好きなブランドがそうでなくなると、さみしい

カメラはFUJIFILMが好きなのですが、すっかりX-E4、X-Pro2、X-Pro3のような尖ったカメラを出すことはなく、どんどんディスコンにし、新製品を出しても在庫切ればかりで、(カメラ業界全体に言えることですが)欲しくても買えない状態がずっと続く。ただCanonやNikon、SONYは在庫が少し待てばきちんと復活しますし、中古でもそこそこいいものが手に入りやすい環境にあります。
新製品の発表と同時に情報解禁し、褒めることしかしないYouTuber、インフルエンサーを大々的にキャンペーンに起用する方針や、X100V、X-S20あたりから感じる「これじゃないよな…」という印象が昨今拭えず、FUJIFILM自体、カメラ文化をさほど大切にしていないのかな、とも感じてしまいます。それに伴ってカメラ自体の熱も冷めてしまいました。

好きだったブランドが、どんどん好きではなくなるのはかなり寂しいものがあります。「そんなこと言う人じゃなかったんだけどな」「こんなことをする人だとは思わなかった」と、好きだった人に裏切られる感じと似ています。
やはりブランドは企業のマーケティングや単なる売上を超えた、一種の絆を醸成します。そこをきちんと踏まえて、人との接点をしっかりとマネジメントするしか道はありません。

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