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雪国をほめてくれ

外に出て「雪の匂いだ!!!!」と思った。

降っていたのは雨だったのだが、反射で雪だ!!!と思った。こうなるともう秋というより冬だと感じる。

雪深いちほーに生まれ育ったので、雪がある方が私にとってはベーシックな冬だ。私の住んでいるところはだいたい毎年1メートル20センチぐらいの積雪がある。

降らない地方の人にはなかなか伝わらないと思うのだが、積雪はまんべんなく全ての場所に雪が積もった計算だ。もちろん暮らしていく上で道路などに積もった雪はどかすわけで、その雪はそこの隣のスペースの積雪に加算される。つまり、例えば道路と歩道の間に身長を優に超える高さの雪の壁が出現するような感じになる。そのため体感としては数字としての積雪よりもうちょっと量がある気がする。

高3の年に、いつもドカ雪が降るうちの地元でもけっこうなドカ雪が降った。受験生の私たちに、先生は「今のうちに雪の写真を撮っておきなさい。春に新しくできた友達に見せて喋るネタにするといい」と言っていた。みんな素直に携帯を構えて窓の外に見える、屋根の雪と地面の雪が一体化して完全におまんじゅうのようになった自転車小屋を撮っていた。クラスの大半が、春にはここより雪の降らない地域へ行くのだ。

冬ほど、「育ってきた環境が違うから好き嫌いはイナメナイ」みたいな気分になることもない。雪国の人間は雪を良いものだとは思っていないが、ちょっとの雪を喜ぶ人間にもちょっとの雪を嘆く人間にもふ~ん、その程度でね、みたいな顔をすることをやめられない。忙しくて全然寝てないわ~、と徹夜自慢をする感じにちょっと似ている。

それはきっと、自分たちの苦労は十分に褒められたり報われたりしていない、と感じているからなのではないかと思っている。我々が雪国に生き雪をなんとか上手いことやって暮らしていることを十分に褒められていて釣り合いが取れていたら、きっとそういう気持ちにはならないのだろう。

ただ、実際積雪によってどのような不自由が生じているのかは、雪国に住まなければ理解することはできない。だが雪国に住んでしまえば、その人もきっと雪国目線で苦労をかざす人の仲間入りをしてしまうのだろう。雪国の苦労を理解し、その上で完全な他者として雪国人を褒めてくれる人は現れない。ままならないものです。

一方でこの、俺たちのことは俺たちにしかわからないのさ、わかってたまるかという連帯のようなものがたぶん、私はわりと嫌いではないんですよね。


今日はここまで。ありがとうございました。


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