【千玄室 大宗匠インタビュー】お茶(茶道)を通じて、日本人の精神を世界に伝える
学徒出陣から復員し、京都に帰ってきたが、しばらくは大きな虚脱感にとらわれ「ぼーっと過ごしていました」と語る大宗匠。
同じころ、進駐軍の米兵がジープで兜門(裏千家の表門)の前に乗りつけ、「お茶を飲ませてくれ」と上がりこんでくるのをたびたび目にした。
平和と調和を重んじる日本人の精神を世界へ
千玄室 大宗匠(以下、千):私は戦争で亡くなった仲間のことを思い、快く思っていませんでしたが、父は「来る者は拒まず」と、迎え入れておりました。同志社で学んだ流暢な英語で、日本の礼儀作法も知らない米兵に堂々と応対しています。
しかし、中には行儀の悪い者もおりました。すると父は「go away(出ていけ)」としかりつけて追い返してしまうのです。父の威厳に驚いて逃げるように出ていく米兵らを見て、私は納得したのでした。
「武」では負けたけれども「文」には勝つ。「文武両道」というけれども、「文」の力、すなわち、お茶をもって平和を説く。世界の人たちにお茶の心を伝えていくことが、生き残った私の使命であり、やらなければならないことなのだと気づいたのでした。
―その後、実際に茶道を通じて平和を説く活動に邁進されるわけですが、その嚆矢となったのが昭和26年(1951年)のアメリカ行きでした。
千:若宗匠となった翌年、CIE(連合国軍総司令部の民間情報教育局)から渡米して茶道紹介を、という話が来ました。当時はパスポートもない時代です。ハワイ、そしてロサンゼルスを知人から知人、都市から都市へとホームステイをしながら茶の点前のデモンストレーションや解説をしながら、全米の大半を巡りました。
その道中には得難い経験もいくつかありました。昭和24年(1949年)にノーベル物理学賞を受賞された湯川秀樹博士に、ニューヨークのコロンビア大学へ招かれたのです。コロンビア大学でもデモンストレーションをさせていただき、湯川博士の奥様であるスミさんをお客さまとして私がお点前を披露して、湯川先生がそれを英語で説明してくださるというぜいたくな趣向になりました。
そしてもう一人、鈴木大拙先生(日本の仏教学者、文学博士。禅についての著作を英語で著し、日本の禅文化を海外に紹介した)との出会いも忘れられません。サンフランシスコ講和条約が結ばれたのを記念して、開催中の日本美術展に関連して私がデモンストレーションを行ったのです。そのとき「禅と茶道」をテーマに、茶道の精神について講演をしてくださったのですが、それはすばらしいもので大評判になり、私も大いに感動しました。
―パスポートもない時代のアメリカ行脚はご苦労も少なくなかったと思いますが、その原動力となった思いは?
千:やはり特攻隊員となりながら生き残ったという私の経験が大きく影響しているように思います。戦友たちも戦いたくて戦ったのではなかった。そんな多くの仲間の無念を晴らすためにも、茶道を通じて、平和と調和を重んじる日本人の精神をアメリカの人たちに伝えたいと思ったのです。
反対する声も少なからずあり、生き残った仲間からは「アメリカなんかに行くな」と止められたりもしました。しかし、地獄(戦争)から命をもらって帰ってきた以上は、「自分の使命を一盌のお茶によって果たしていかなければならない」とその思いを強く感じていました。
戦国時代に、私の先祖は織田信長や豊臣秀吉といった権力者に一盌のお茶をもって、和を説きました。朝鮮征伐を諫めたために利休は切腹を命じられたわけですが(※切腹を命ぜられた理由は諸説有)、一海軍中尉であった私には戦争を止められなかった。でも、復員して最初にアメリカに渡り、その後世界各国に行き、まさに「一盌からピースフルネスを」の思いで、世界のさまざまな国を巡ったのです。
自ら求めて動き、視野を広げることが大切
約2年間に及んだアメリカでの茶道行脚の間、ハワイ、ニューヨーク、ロサンゼルス、シアトルに裏千家の各支部を設立。後に中南米やヨーロッパ、アジア、オセアニア、アフリカへと、世界に広がる端緒となった。
現在(令和5年8月)、世界37カ国・地域112カ所に海外出張所・協会が設けられるまでに、そのネットワークは拡大されている。
―まさにインターナショナルに活動されているわけですね。
千:昭和26年(1951年)に、ハワイに初の裏千家海外支部ができたのを皮切りに、私が世界各国を回って撒いた種が少しずつ芽吹いていきました。各国代表が集まって定期的に会議をしていますが、共通語として用いられているのは英語です。そういう意味では、英語は重要だと思いました。
―これまでに世界70カ国に行かれているわけですが、英語以外の言語はお話になられるんですか?
千:英語が通じる国では、基本的には英語でやり取りしていますが、どこの国の言葉でも、挨拶くらいはできるようになりました。大学ではドイツ語も取っていましたが、少しは役立ちましたかね。
ドイツのヴァイツゼッカー元大統領がお茶が好きで、親交があったのですけれど、彼の家に泊めてもらったことがあります。そのときに彼から「あなたは、5歳児のドイツ語だね」と言われましたけど(笑)。でもね、語学においては、現地に行って、実際に話してみるということが大切なのです。
さっきも言いましたように、私も「一盌からピースフルネスを」の理念で80年近く活動してきましたが、国際的なことというのは、やはり自ら求めて行動し、視野を広げていかないといけないと思います。
―つまり、英語を大学で学んでいるんだったら、アメリカやオーストラリア、イギリスなど英語が使われている国に出かけろと。
千:そうです。日本人は島国の大事さということを忘れてると思うのですよ。では、海洋国の信条は何かというと、やはり外へ、他国へ出かけて行くことです。その姿勢を忘れないでほしいですね。
さいごに
戦国時代、武士が茶室に入るとき、身につけている刀を外した。茶室では武士も商人もなく、皆平等だからだ。
大宗匠が若かりしころ、サンタフェ西部のお茶席で、白人の弟子たちが黒人を差別的な目で見ている際には、「一緒ですよ。人間を色分けするのはおかしい」と話し、皆に納得してもらった経験もある。
千:お茶は誰にでも平等です。私はユネスコ親善大使もしていますが、ユネスコの精神もオール・トゥギャザー。「国際性」といっても、特定の国や地域だけを見ていてもダメで、みんなが一緒にやらなければいけません。
―日本人が外に出ていくときはもちろん、国内の在留外国人も増えているので、その考えは今後ますます大切になってきそうですね。最後に、学生たちにメッセージをお願いできますでしょうか。
千:私は今もハワイ大学の教授として、また世界のいろいろな大学で講義を行っていますが、本当にみんな真剣です。ノートを見せてもらったら、私が言ったことを書き留めるだけではなく、そこに自分のオピニオン(意見)もしっかり書いている。
その根底にあるのは、「なぜ?」という好奇心で、質問・疑問が浮かばなければダメですね。その姿勢を忘れず、大学では専門性を磨くとともに、自らの人間性、価値観を大きく育ててください。
そして国際性を考えるのであれば、まずは自国に目を向ける。私にはそれが「茶道」であったわけですが、世界に向けて発信できるものを身につけたら強いですよ。
―そういった学びを国際日本学科で実践できればと考えております。
千:期待しています。よろしければ、お声かけいただけましたら、いつでも講義に上がりますよ(笑)。
日本人の生活の中に何があるのか。それは「和やかさ」です。「茶道」とともにお茶の心もお伝えしたいですね。
―ぜひお願いいたします! 本日はありがとうございました。
(おわり)
【国際日本学科・特設サイト】