為せば成る、為さねば成らぬ何事も

10月も後半に入り、ようやく秋らしい日が続くようになりました。所用で後楽園の脇を歩きましたら、銀杏並木から強いにおいのぎんなんがたくさん落ちていました。紅葉の美しい季節です。

今回は昔からよく言われる慣用句を取り上げてみようと思います。何かを成し遂げたい、成功させたい。と思うとき人はどうするでしょうか?食べたいものがあれば、それを作ってみますか?それとも手っ取り早く食べに行きますか?テストでよい点を取りたいと思ったら時間をかけて勉強しますか?どこが出るか先生に聞いてみますか?ビジネスアイディアがあったら、起業しますか?すでに似たようなことをやっているところを探して買い取りますか?

自分で作った料理、食べに行った料理。どちらが美味しいでしょう?より美味しく感じるでしょうか?時間をかけて勉強したとき、先生から出る問題を教えてもらったとき、どちらが大きな達成感を得られますか?自ら起業し、苦労しながらもなんとかそのアイディアをビジネスにできたとき、うまく行っている既存ビジネスを買い取ってまわすとき、どちらが楽しいでしょうか?充実しているでしょうか?

そうです、あえて比べてみました。自分の心と身体を使って何かをするときと、だれかのものを借りてきてやってみるときと。かける時間、苦労は大きくなりますがやはり、自分の心と身体を使って成し遂げたほうがより大きな達成感や充実感を得られますよね。

餅は餅屋。という言葉もありますのでなんでも自分でやればよいというものではありません。しかし最近、あまりにも自分の心と身体を傾けて何かをする機会が少ないのではないかと感じています。勉強から趣味、仕事まで。誰かに何かをやってもらうだけで、自分から試行錯誤しながら1つずつ組み立てていく、という経験がなかなか出来ないのではないでしょうか。別の言い方をすれば、常に何かを消費する側にいる。ということも出来ますし、常に結果だけを急いでいる。とも言えるかもしれません。

プロに任せれば客観的によりすばらしいものができるのはよくわかります。では自分自身は何のプロになりますか?世界一番にはなれなくても、それを使って誰かの役に立ち、生活を成り立たせるくらいには十分なれるのではないでしょうか。時間をかけて一つのものに取り組めば、必ず結果がついてきます。たとえ少し時間がかかっても、遠回りになっても、自分で工夫してやってある結果を得る。為せば成る。という経験が人を育てていくのではないかと思います。

今年のノーベル医学生理学賞をとった京都大学の本庶先生の研究も、最初の分子の発見から、実用できることが確認できるまで10年以上、最初の分子の発見にかかった期間も考えれば非常に長い年月をかけて行われたものです。それが評価されるまでにもまた、15年以上の時間がかかっています。もちろんみんながノーベル賞を取れるわけではありませんけれどもね。



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