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最高な「平成最後の夏」のつくりかた

「平成最後の夏」

春でもなく、秋でもなく、冬でもない。夏だからこそ、多くの人が意識するんだと思います。

夏はどこか特別な感じがするからでしょうか。

例えば、セミの鳴く声が響く夕方はなんだかエモいですし、夏の浴衣はいつにも増して魅力的に見える気がします。

私は、住所は東京だけど山の上にある大学に通っています。そのため敷地が広々としていて季節を強く感じます。その建物で最も高い3階の教室の窓からは青々とした木々のてっぺんが見えて、目線の先にはずっと空が広がっています。

授業中、ふとその景色をみて「夏っぽいなあ、最高の夏ってなんだろう」と思いました。

条件的には去年も今年も夏は夏です。でも状況は違います。受験生は詰込みの夏だし、社会人は夏休みも与えられない。大学3年生の夏は最初で最後。それと同じくして、平成と表記される最後の夏。

夏を考えるにあたって「海辺のポーリーヌ」というフランス映画を多方面から薦められていて、それを見てからこれを書きたかったのですが、TSUTAYAの店員さんにレンタルは厳しいと言われてしまいました…仕方ないので今回はあきらめます…

少々脱線しました。

「最高の夏にしようよ!」というセリフやコピーは「夏」に対する期待を感じます。そう考えると、イベントが多く、自由の効く夏を(人によりますが…)「悔いのないもの」にするという意味があるのかなと思います。

それは人それぞれで、友達と集まって大騒ぎしたい人もいれば、趣味を極めようと思う人もいると思います。それがどんな形であっても、なにもせず最後の日に「なにもしなかったなあ」と思うのはさみしいような気がします。私は小学生の夏休み、一行日記に毎日「楽しいことをした」という内容を書きたくて必死になにか楽しいことはないか、どこかに連れていけと親に無理を言っていた記憶があります。

もう親に「楽しいことないの?」なんて聞く年ではないので、今から「最高の夏」へなにか計画を立てたいのです。

しかし、夏のイベント(フェス、キャンプ、海、祭、などなど…)は友人や家族、恋人といっただれかと参加するようなイベントが多いように感じます。
お正月や大晦日などの冬のイベントは内輪でだらだらと団らんすることが多いですが、先ほど挙げたイベントは社交的というか、人が集まる場所でおこなわれるので、参加するまでに友達を誘ったり、場合によっては気になる人に声をかけたりする前段階があります。

私それがちょっと苦手なんですよね…

私の悪いところで、相手に余計に気を回すところがあって、「みんなインターンかな」とか「その人に楽しいと思ってもらえるかな」とかいろんなことを心配してしまってなかなか勇気が出ません。

でも、これが大学3年生の最初で最後の夏、

「平成最後の夏」だから、

疎遠気味になっている友人や遠方の人と連絡を取ってみます。勇気がいるけど、知り合えたことは何かの縁です。私は大切にしたい。

久しぶりに顔を合わせる緊張感も、昔を振り返って懐かしむ会話もきっと貴重な「思い出」になると思うんです。


なんでもかんでも「平成最後の夏」という言葉にすべての理由を押し付けて、今年の夏を「悔いのないもの」にするために今から始めてみませんか。

みなさんの「夏」がかけがえのないものになりますように。



#平成最後の夏 #大学生 #夏休み #夏 #コラム #エッセイ








20年ほど生きてきて友人と話していると結構みんな映画を見ていてしかも個性があることに気づいて、映画についての感想をもっといろんな人とお話ししたいと思って初めてみました。またこれが映画を観ようか迷ってる人の背中を押せたらなおはっぴーです。(紹介文として)