見出し画像

「おすすめ」が「強要」に変わるとき

自分の好きなものは人に知ってもらいたいと思います。映画でも音楽でも、本でも、なんでも。

さらに、自分の"好き""良い"という気持ちをおすすめした相手にも感じてもらえたら、
「わかってくれるか〜」「いいよね〜」
って嬉しくなりませんか。

この共感を求めるために、「どう?これよくない?」と言って、自分の”好き”の手札を相手にみせて感想を求める。反対に、相手からも”好き”をみせてもらう。

こうして、お互いの共通するものや体験を増やしていく。

しかし、最近、"好き""良い"を共有したい気持ちを優先させて、自分の手札を押し付けないように気をつけなきゃなと思うことがありました。


先日、遠方にいる友人が私の家に来たのですが、
手には大きな紙袋が。

「くるみるくが絶対好きな映画持って来たから見て」

それは少女漫画が原作の3本の映画でした。
彼女の気持ちは大変嬉しかったし、
長い付き合いの友人です。きっと的を射ていると思われます。
彼女は早く感想が聞きたかったようで、今見よう、と。

なぜだか、
少し嫌でした。

少女漫画は好きだし、俳優さんはかっこいい。決して、その映画が嫌いなわけではありませんが乗り気になれませんでした。


※読んでくださっているあなたはこんなこと思わないのかもしれない。私の心が狭いのかもしれないです。
不快に思わせてしまったらごめんなさい。


「彼女がせっかく薦めてくれてるんだから
"良い"と思わなくちゃ。」

「内容をちゃんと踏まえて感想を伝えなきゃ。」「100%の理解を」

という圧迫感と、

彼女に私の”好きの限界”を決められているようで…かなしみに近い気持ち。

家で彼女が、私が好きだろうと考えてくれたことだけで十分嬉しいだけに、こんな感情を持ってしまうことが悲しい…私って頑固なんでしょうか…


薦められることが嫌というわけではありません。そうして出会って好きになったものはいくつもあります。
むしろそれは、おすすめというリボンで包まれたプレゼントのようにすら思えます。

でもそれを目の前で「開けて!さあ!はやく!」と言われるとなんだか尻込みしてしまう。

音楽にしても映画でも、咀嚼から味わうまで、私がしたいと思ってしまう。

お皿に盛り付けられるまではどんなことがきっかけでもよくて。映画だったら予告や、レビュー、評価、もちろんおすすめでもいいんです。


「おすすめ」が「強要」に感じたとき、それは急にざらざらとした先入観を生み出してしまう。

だから、私はnoteで映画について書くとき、それを”良い””悪い”の強要にしたくなくて、
いいと思った映画でも良くないと思う人だっているかもしれないということを忘れないようにしないとなと思っています。

おすすめの枠を出ないように。あくまでも良いかどうかの判断は相手方に委ねる。

好きを押し付けて、それが相手の嫌いになってしまったらそれこそ”好き”がもったいないです。


周りの人に知ってもらいたいからこそ、手綱を相手に委ねることに重きをおくと良いのかもしれません。

「よかったら…」の精神で。

#エッセイ #コラム #映画 #note映画部 #大学生 #好き #おすすめ

20年ほど生きてきて友人と話していると結構みんな映画を見ていてしかも個性があることに気づいて、映画についての感想をもっといろんな人とお話ししたいと思って初めてみました。またこれが映画を観ようか迷ってる人の背中を押せたらなおはっぴーです。(紹介文として)