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生物多様性条約も愛知目標もSDGsも、国際会議における妥協の産物

先日、ある方から「何で生物多様性条約に突然女性参画が出てくるの?何の関係があるの?伝統的な知識って何?今の技術の方がいいんじゃないの?」と質問を受けたので、十数年ぶりに生物多様性条約(CBD)全文を読み直しました。
そういえば、業務の一環で生物多様性の担当者になって右も左も分からず純粋に猛勉強😀していた当事に何となく違和感を覚えたことを思い出しました。
あれから10年以上経って読んでみたら、自分でも驚くほどすっきりと腹落ちしたので以下整理してみます。

ジェンダーや伝統的知識はCBDの序文の他に、愛知目標のいくつかの項目、SDGsの序文にあります。そして、なぜかSDGsの13番(気候変動)にもありました。なぜ!?ジェンダーの項目じゃないのに。
この時点でだんだん臭ってきます…🐶

さて、CBDについては1992年にできたものなので当時の経緯は分からないのですが(高校生でしたσ(^_^))、NGO(IUC○、WW○等かな?)の意見を受けてジェンダーや伝統的知識に関する文言が入ったということをかつて聞いたことがあります。

NGOの理屈を想像すると、「途上国の自然や生物多様性の現場では女性が深く関わっているのだから女性を無視した保全はありえない!生物多様性の保全のためにもまずは女性の地位向上!」と言ったところでしょうか。男性はスーツを着て都市部に働きに出て、女性が頭に籠を置いて果物や洗濯物を運んでいるようなイメージ戦略なのかなと想像してしまいます。

これって、貧困やジェンダーの条約ならまだしも、本当に生物多様性の保全に資するのでしょうか。
10年前の自分では全く理解ができませんでしたが、今は何となく想像ができます。

環境系だけかもしれませんが、国連(連合国)の中心にいる欧米先進国はキリスト教的価値観の持ち主が大多数なので、ジェンダー論争に極めて弱く、弱者から訴えられるとすぐに盛り込んでしまう「癖」のようなものがあると感じています。
聖書に女性は男性の所有物と書かれているので男尊女卑の歴史が長く、現在の価値観でジェンダーを訴えられると贖罪の意識から受け入れざるを得ない。もちろん労働条件など適切な訴えならいくらでも盛り込んでよいと思うのですが、何でもかんでもこじつけられているような気がします。

一方、伝統的知識や原住民の生活様式については、15世紀の大航海時代から戦前までの植民地政策によって欧米列強がアフリカ、南米、アジア各国で資源を収奪し、働き盛りの男性を奴隷貿易で売買し、女性を暴行し、言語・文化・文明を破壊し尽くしたためにほぼなくなってしまいました。
よって、今かろうじて残っている伝統的知識や原住民の生活様式について訴えられると、これも盛り込まざるを得ないのではないでしょうか。

こちらは列強国側にも動機があって、本来なら途上国の経済発展は旧宗主国が責任を負わなければならないのに、日本など他の先進国にも世界共通の社会課題と称して共有し、資金を出させるために国連を利用して条約や議定書等に盛り込むことが癖(または慣習)になっていると思います。

国連などの国際会議では、どうしても期間中に成果物として条約や共同宣言を取りまとめたいという主催側の思惑があるため、発言者のメンツを立てて様々な項目を盛り込み賛成票を集める必要があります。CBD、愛知目標、SDGsと、時代を下るごとに資金動員戦略などの記述がどんどんと色濃く反映されているような気がしてなりません。

SDGsを企業や学生に無理やり広めようとしているCSRの専門家が多いのですが、このままではかつての列強国による植民地政策の穴埋めを日本企業や未来の日本の若者が肩代わりさせられるのではないでしょうか。

繰り返しになりますが、SDGsがビジネスチャンスなら世界中に広めるのではなく旧宗主国の企業が独占すればよいのですから。そして日本企業が「何をやればいいんだろう」「うちはどんな貢献ができるのだろう」なんて悩むはずがないのですから。

やはり、持続可能な社会の道標は国連やSDGsにはなさそうです。おそらくその答えは古事記、日本書紀、風土記をはじめとする日本の歴史にあるように思います。もっともっと勉強して、自分なりに考えていきます。

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