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病気を乗り越えたその先の自分


今の自分にとって大切なこと


それは、
「今の自分でも十分なんだ」と気づくこと


そして、いつだって、たくさんのことを乗り越えてきた“今”が一番幸せだと気づくこと


でもそれは、決して
現状維持でいいというわけではない





私は、今から11年前の11歳のときに
腎臓の病気を患った


病気になる前の私は、
運動が得意で、
男子も含めて学年で1番足が速く
勉強もがんばっていたから
成績表は(A・B・Cの3段階評価で)
常に「オールA」だった
クラスの議長もやっていた
よく仲の良い友達と遊んでいた


4歳からスピードスケートやっていた私は
小学生から地元の大会で優勝を繰り返して、
今思えばめちゃくちゃ楽しそうな人生だなぁと、他人事のように振り返る



でも、病は突然、私を襲った

夏休みのある日の朝

寝ていると、突然お腹に激痛が走った
経験したことのない痛みだった
なんとか起き上がって階段をくだり、
お腹が痛いと泣きながら
リビングにいた母に訴えた

母も、相当動揺していたとは思うけれど
すぐに病院に連れて行ってくれた

腹痛は続き、とにかく不安でいっぱいだったけれど、母が大丈夫だよと背中をさすってくれていたのをなんとなく覚えている

病院に行ったものの、「ここではみられません。大きい病院で診てもらってください」と言われ地元の大きい病院に移動した


着いてすぐに採血をした
試験管3本分くらい取った

取り終わったときには意識が朦朧として
後ろに倒れそうになったのを看護師さんに支えられた
ギリギリの状態で看護師さんの肩にもたれかかりながら、なんとか病室まで歩いて
そのままベッドに倒れて気を失った



そこから入院生活が始まった

入院について色々と説明されたけれど、
話は何も頭に入ってこなかった

渡された「入院の手引き」と書かれた冊子を両手で握りしめながら、
泣くことしかできなかった
近くにいたおじさんが心配そうに私を見ていたのに気づいたけど、構わず泣いていた


いつ退院できるの?
学校は?
スケートは?


先は不透明だったけれど
それでも入院中は
前向きにがんばっていた

退院すれば、また普通の生活に戻れるだろうと漠然と考えていた

休んだ分の体力を戻すために
がんばらないとな、と思っていた


そして3週間くらいで退院できた


でも実際には
退院してからの現実の方がよっぽど辛かった

退院したものの
その後、何度も再発を繰り返して
結局5年間、薬を飲み続けた


この薬の副作用がとにかく辛かった


ステロイド剤を長期投与しており
体は思うように動かなくなっていた

ムーンフェイス(顔面が満月のように丸くパンパンに腫れ上がったような顔)になり
自分の顔が大嫌いになった
常に下を向くようになった

骨粗鬆症や白内障、
肺活量低下のリスクも負った

食欲が増して急激に太った
その時にできた
下半身の肉割れの跡は今でも残っている


歩いて学校に行く体力もなくなり
両親に毎日学校まで送り迎えをしてもらった

体育の授業もできなくなった


医者には
スケートはもう諦めた方がいいと言われ
スケートもできなくなった


生きがいを失ったような気がして
毎日辛かった

生きていてもこの先辛いことばかりなんだろうなと思うようになっていた


そして気がつくと自分が嫌いだった
大嫌いだった


そのうち人と関わることも嫌になった
なんで私だけこんなに辛い思いをしなければいけないのか、と

大嫌いな世の中で
大嫌いな自分で生きるようになっていた


かつて何事にも積極的だった私は
もうどこにもいなかった

すべて失ったような気がしていた



大好きなスケートができなくなって
何もすることがなくなった私は

そこそこ得意だった勉強をすることで
時間を潰していた

小学生にして、もらったお年玉を使って
辞書を4冊買って読んでいた


ゲームもYouTube もひたすらやった


絵を描くことも好きだったから
中学校に入学してすぐに
美術部の見学にも行った


スケートを忘れるために
スケート以外の何かに熱中しようとしていた


でもやっぱりスケートを忘れられなくて、
諦められなくて、
体調が良いときに少しだけスケートを滑りに行ったこともあった


そしてやっぱり競技に復帰したい
という思いが強くなり、
できる練習を少しずつ始めていった


ただ、変わってしまった体は
簡単には元に戻らなくて
思うように動かない体がとにかく悔しかった


必死にがんばってみても、また病気が再発して
その度に枯れるほど泣いていた


「病気になる前の自分に戻りたい」
とばかり考えていた

なくしたものばかりを考えて
自分の中は悔しさと苦しさでいっぱいだった


それでも、
何度病気が再発しても、
何度心が折れそうになっても、
その度に立ち上がって前を向いた

「スケートがしたい」と思ったから


だから
中学生になっても、高校生になっても、
病気と戦いながらスケートを続けた


スケートを諦めるように言った医者も
いつしか応援してくれるようになっていた


そして
大学生に進学してからもスケートを続け、
現在、全日本の大会で戦える選手にまでなった


かつて時間を潰すためにやっていた勉強は
大学の成績優秀者として
学費を免除してもらえるまでになった


スピードスケートの3次元の動作解析をした大学の卒業論文は、今後学会で発表されることになりそうだ

いろいろなことが報われ始めた気がした


これからは
世界で活躍できるスケーターになって、
病気と闘う人たちを、少しでも励まして勇気づけられる存在になりたいという目標がある

今の自分じゃまだまだだけれど
オリンピックに出場してたくさんの人に影響を与えられる選手になりたいという思いがある

(そのためにはまずスケートを続けるための
スポンサー探しが必要ですが、、汗)


そして、スポーツも勉強も
どちらもやるからこそ感じられる楽しさを、
たくさんの人に伝えられるようになりたい






振り返って気づいたことがある

どれだけ苦しくても支えてくれる家族がいた
両親にはたくさん迷惑も心配もかけたけれど
どんな時も一緒に戦ってくれていた

応援してくれる仲間もいた

復帰を待っていてくれる人たちもいた


失ったものばかりを追い求めても
きっと幸せにはなれない

今いる自分を受け入れて
そこから少しずつよくしていくのだと

足りないわけではない
ただ、より良くしていこうと
ちょっとがんばってみるだけなんだ


そしていつか花開くその時を信じて
今できる準備に最善を尽くす



ここまで来るのに
人より遠回りをしているかもしれない

でも、無駄な経験なんて
何一つなかったと思う


そう思いたいだけなのかもしれないけれど
何一つ無駄じゃなかったと思える今を過ごしていきたい


過去を悔やむ自分はもういない

どんな経験も、これからの糧になるんだ






最後に

現在、コロナ禍の真っ只中

失った時間も、
やり切れない思いもたくさんある
苦しいこともたくさんある

でもきっと
今ここにあるものだってたくさんある

足りないものを
埋めようとするのではなく

今の自分を良くするために
少しずつ積み上げていきたい


今の自分は、
今の自分で十分だということを
忘れないでいたい


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