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カフカは特効薬になり得るか

 書店に歩を進める、まず視界に入るのは思考法。
2日で読み切る。効率の悪い自分を嘆きながら社会に戻る。
今必要なのは思考法ではなく、時勢につけられた傷を癒す特効薬だ。

カフカを今読むべき理由

 フランツ・カフカの作品の醍醐味は、突然の不幸が主人公を襲うこと。
そして、足掻きだ。足掻きの描写は羞恥と痛みにまみれたものばかり。
彼の作品に慣れないうちは、何度も本を置くことになるだろう。

 しかし、それらの表現の奥には、彼の生に対する諦観や自己流の処世術が
つまっている。読者である自分と、作品の主人公を重ねて読むことで
今、自分がどうすれば楽になれるかが見えてくるはずだ。
このnoteでは2つ紹介する。

諦めは悪じゃない

 カフカの作品である「変身」では、ある日突然虫になり
「審判」では、突然訴訟され被告になる、訴状の内容は不明。
どちらも、突然、わけも分からないまま弱くなる。

 弱さを克服することで自分に自信がもてるかもしれない。
しかし、カフカはこの考え方を否定している。
虫らしく過ごさないから、訴訟の理由を明かそうとするから。

 諦めてさえすれば、虫なり、被告なりの快適さを得られていただろうに
ほら見たことか。と。

無償の奉仕を行わなず、相手にそう思わせる

 作中の登場人物は主人公の問題解決に助力してくれない。
これについては先ほど紹介した「審判」、あとは「バケツの騎士」が
分かりやすい。したとしても自己の目的達成のため。
それ以外はお節介か皮肉交じりのアドバイスだ。無償の奉仕などない。
 
 と、思っておけば、相手に対する行為には自分の利があることに気付きやすくなる。例えば、後輩にアドバイスするのは、自分の理解を深めるため。
友達が喜ぶことをするのは、その事実で自分を褒めるため。といった具合。

 見返りを知っていながら善いことをすることが偽善とされ
見返りを隠すことが善とされる。ただ、隠すことは後ろめたく感じて
刺されていないはずの背中が気になってしょうがなくなる。
どうせなら隠さない。したことを、したと言えたら楽ではないか。

もし、それが無償の奉仕だと思われたらしめたものだ。

小説は事実より奇なりだが

 断じて、事実は小説より奇なり、なんてことはない。
試しに上述した作品を読んでほしい、「そうはならないでしょ」の連続で
めまいがするだろう。ただ、その感想を抱いた理由は
自分が見聞きできる範囲ではありえないことが書かれているからである。

 確かに目の前に描かれていることはフィクションだが
「ある日突然ウィルスが全国的に蔓延し、マスクが外せなくなった世界」がカフカを馬鹿にできるだろうか。

小説は特効薬になり得るか

これまで小説として書かれていなかっただけ。
そんなイレギュラーが発生する度に、私たちは四苦八苦するけど
いっそ諦めて、弱いままに、できる偽善を尽くし満足をする。
そんな心構えを、彼は物語を通して伝えている。

私たちの特効薬は書店の入り口ではなく、本棚をかき分けた先にある。





 

まだまだこんなもんじゃない