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小松亮の今までとこれから/人生半ば諦めていたフリーターが経営者になった話

初めまして、株式会社エースの代表取締役をしております小松亮(こまつ りょう)と申します。都内にてレンタルスペース・脱毛サロンの経営やセレクトショップの運営、その他キャリア支援・不動産仲介・講演会などのイベントの開催など、多岐に渡り事業を展開しています。

最初に、よく聞かれる質問があるので、下記へ回答します。

・なぜ一歩踏み出そうと思ったのですか?
→安定思考で将来に対して不安だったから
時代の変化(IT・経済・年金・働き方)や漠然とした将来への不安から『何か始めたい』と思いました。最初は副業感覚で平日夜や土日の時間を使いダブルワークのようなところからスタート。サラリーマンとしても優秀になれる、それなら学ぶ価値があると感じました。何もしなくても不安、何かしても不安、だったら変わる可能性がある方向に一歩一歩進んできました。

・なぜフリーターから経営者になれたのですか?
→1から100まで全て教えてもらったから
ラッキーなことに元々普通のサラリーマンから経営者となった方から学ぶことができました。「大事なのは能力ではなく努力、この努力を継続した人が結果を作る」と教えていただき、学べば学ぶほど真似ができて再現性があり『今の自分には難しい、でも努力しトレーニングした未来の自分ならできるようになるかも』と感じるようになりました。

・経営者になって変わったことは何ですか?
→将来歳を取るのが楽しみになりました
どのビジネスをやればうまくいくということではなく『どんな時代になっても結果を作れる自分になる』ということを学んできたからこそ、挑戦や冒険に対する価値観が大きく変わりました。「僕にもできますか?教えてもらえますか?」というヨチヨチ歩きのところから『本当はどんな人生にしたい?一度きりの人生だからこそ最大限生きたい』と心のそこから思うようになりました。

こちらの記事では、そんな僕の自己紹介とこれからの展望を記載します。


大好きな地元九州で家族と過ごした幼少期

母の故郷である佐賀県の病院で生まれ、社会人として転勤をする24歳までを佐賀県鳥栖市で過ごしました。地元やその仲間が大好きで、当時は『地元最高』『生涯を地元で過ごす』と常に思っており、後に海外はもちろん東京でバリバリ仕事する自分なんて全く想像していませんでした。

父・母・兄と僕の4人家族で、父が23歳・母が26歳の時に僕を産み育ててくれたこともあり『僕も若くして結婚しよう』『持ち家である一軒家を建てよう』『それが立派な大人である証拠』と思っていたのと同時に、母がよく「普通になって欲しい」と口にしていた影響も受け、僕の常識はいつしか『周りと同じ平凡な人生がいい』と思うようになりました。

学生時代に打ち込んだ高校野球とアルバイト

高校時代は野球に打ち込み、休みが年間2日(盆と正月のみ)、公式戦前は五厘刈(刃のないバリカン)で坊主頭になる、早朝練習を途中で抜け進学のための補習授業を受けるという中、毎日朝早くから夜遅くまで全力プレーをしていました。厳しい環境下だったからこそ「仲間と切磋琢磨する大切さ」「チームで勝利する喜び」「一点集中する忍耐や努力が必要」といった学びが多かったものの、プレイヤーとしてはバリバリのレギュラーではなかったこともあり『ただやみくもに頑張れば必ずしもいい結果になるわけではない』『効果的な努力が必要である』と感じるようになりました。

大学時代は高校野球を頑張った反動が大きく『楽して沢山稼ぎたい』という安易な考えのもと、深夜のコンビニエンスストア、パチンコ屋のホール、治験など高時給のアルバイトに打ち込み、そのお金は車やバイク・洋服・インテリアといった自分をよく見せるものばかりに使っていました。また、効率を重視しすぎ、だらけにだらけた学生生活を送り続けた結果、大学卒業時に就職先は決まっておらず、そのまま実家に居続けるフリーターとなり、その時に『周りと同じ平凡どころか、完全に人生のレールを踏み外した・・・』と思いました。

就職・転勤・出世からの転職

大学卒業後、運送会社の倉庫で2年間アルバイトをする中、野球で培った忍耐力と考えて作業効率を上げる動きが評価され、24歳の時にはれて正社員として働くことができるようになりました。その後毎月100時間を越えるような残業や、熊本・鹿児島への転勤を経て、26歳で係長・27歳で課長となり、出遅れはしたものの周りとは引けをとらないような社会人生活を送ることができるようになりました。

ただその一方、出世をきっかけに「残業が多くて時間がない」「家族サービスも出来ず奥さんと喧嘩になる」「仕事ができる上司ですら僕と大きく収入が変わらない」「仕事以外の友達や繋がりはほとんどない」といった上司や先輩の見えなかった部分が見えるようになり『本当に今の延長戦上の未来が最高か?』というところから転職を決意。5年間付き合った彼女とも別れを告げ『一度きりの人生どうせだったらチャレンジしよう』と上京をし、ベンチャー企業の営業マンとして東京生活をスタートしました。

人生の転機が訪れ、まさかの経営者の道を志す

しかし東京に出てきただけ、仕事先を変えただけでは何かが劇的に変わることもなく、会社員としてひたすら日々の仕事に奔走していました。そんな中、28歳の時にとある経営者の方と出会い『この人に営業できないかな』という不純な動機で近づき話を聞かせていただいたことが、のちの人生の転機となりました。

「仕事が最高にお面白いし、未来にワクワクするんだよね」
「目指すことはもちろん、描いたことが形になる人生はやみつきになるよ」
「海外は年6回・国内は月2-3回ぐらい飛び回って仕事してるよ」
「働く人も場所も選択できる人生、仲間と切磋琢磨する喜びは最高だよ」

「人生思った通りになるし、思った以上になっていくよ」
「どこまでよくしたい?どうなったら最高?それはいつ?」
「明確に決めてる?決めてないと周りに流される人生になるよ」
「収入は能力の差ではなく仕組みの差だよ、わからないなら勉強しよう」

『そんな世界があるのか、経営や事業に興味はないが、もっと世の中のことを知りたい』と思うと同時に『自分の人生を切り拓いていく生き方がカッコイイ、こんな人みたいになりたい』というところから、まずは座学で勉強ををし、一から百まで全て教えてもらいながら、会社員をやりながら平日夜や土日を使いダブルワークのような形で立ち上げてきました。

現在の事業・活動

その後約3年間、会社の仕事と並行しながら起業準備をし、イベントやキャリア支援をメインとして独立。今はレンタルスペース・脱毛サロンの経営やセレクトショップの運営・不動産仲介・人材育成。講演会の講師業など、複数に渡り事業を展開しています。

イベント

今まで出会いの場を提供する『30対30の合コン』『プロの芸人をゲストとして呼んだ100人規模での飲み会』『東京タワーや夜景が見える屋上BBQ』や、運動する機会を提供する『100人規模の運動会・体力測定』、キャリアやお金について学ぶ『講演会』、『300人規模の誕生日会や忘年会』などの企画・運営をしてきました。人と人とがご縁で繋がり、新たな発見や学びがあり、笑顔溢れる世の中に貢献できていることに喜びを感じています。

キャリア支援

自分自身がフリーター・アルバイト・正社員・個人事業主・経営者と様々な働き方と向き合ってきたからこそ、その経験値をもとに転職・起業や個人事業主として働きたい方へのサポートをさせていただいています。

今後のビジョン

22歳の大学卒業時、怠癖が激しくフリーターとなり『楽して生きること』『今がよければそれでいい』『人生こんなもの』と思っていた僕が、約10年後に自分の会社を立ち上げ『努力最高』『今も未来も全部取り』『人生思った通りになる』と180度変わる人生になるとは思ってもいませんでした。

人生は「出会い・学び・気付き」そして「そこからの行動次第で何が起こるかわからない」何よりも『本当はどんな人生にしたいのか?どんな生き方をしたいのか』という自分に正直に生きれば大きく変えていける。

だからこそ、挑戦したい方への初めの一歩を踏み出すきっかけや、誰かの勇気付けになればと思います。

人の可能性は無限大、自分の可能性を信じて最大限チャレンジしましょう。

最後までお読みいただき本当にありがとうございます。

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