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ニワトリが面白すぎて泣いた話

たまに自分の感情が分からない瞬間がやってくる。哀しいのか、怒っているのか、幸せなのか。そもそもこの感情に名前はついているのだろうか。人間はあるモノに対して言葉を持っていない時、そのモノの特定に苦労する。特に感情という主観的で曖昧なモノは、言葉で定義できないと、自分自身でそれを確かに感じているにもかかわらず、本当にその感情が存在しているかさえ疑ってしまうこともある。自分自身の複雑すぎる感情に惑わされてしまうことも、珍しくはない。

その当時私は、わけもなく気分が落ちていた。元々精神的に強い訳ではない私は、とりわけ人間関係に疲れやる気が出なくなることが多々ある。この時も一種のルーティーンのような形で、なんとなく鬱な気分だった。私は、南国のあるゲストハウスで暮らしていた。そのゲストハウスは世界有数の美しさを誇る海に面していて、誇張なしに10秒歩けば泳げる立地にあった。しかし鬱気味の時というのは、綺麗なものを見れば見るほど気分が落ち込んでいくものだ。キラキラしたものを見る気にはなれず、私は多くの時間を海に面していない中庭のバルコニーでぼんやりと過ごしていた。この中庭には手入れのされていない草木が生い茂っていて、半家畜半野生のニワトリたちがそこを走り回っていた。この少し廃れた飾らない雰囲気が、当時の私にはちょうど良かった。

「世界が色を失った」という表現をよく耳にするが、気分が落ちている時は、これが比喩表現ではないように感じる。この時の私には本当に全世界の鮮やかさが数トーン落ちて見えた。目に見えている草木は痛々しいほどに真緑なのに、脳が処理した後のその画は、グレーのサングラスをかけているかのように燻んでいる。

私はよくそこで彼と大麻を吸っていた。精神状態が芳しくないにハイになるのは、今の私からしてみるとあまり歓迎できないが、当時はそんなことどうでも良かった。むしろ、ハイになって余計なことを頭の片隅に追いやりたかった。

いつものように彼が巻いたジョイントを受け取って一口吸った。フワッとした感覚が体を襲った。慣れ親しんだこの感覚。現実からは少し浮き足立っていて、けれども夢と呼ぶには全てが明白すぎるこの感覚。よく言えば、そこはかとない不安が和らいだ。悪く言えば、不安から目をそらしていた。サングラス越しのグレーの世界は、色という概念がなくなるかのようにぼやけていき、それと同時に私の憂鬱さもぼやけていった。

そんな雲がかった世界で、庭のニワトリたちだけが、私のメランコリーな気持ちなんぞ全く気にかけずに、無邪気に走り回っていた。まるで自分以外の世界が想像しないかのように、他者には目もくれずに、彼らは走り、食べ、寝、セックスをし、生きていた。全面グレーがかったぼやけた緑の中に際立つその真っ白な体は、人の世に降臨した美しい女神のように神々しかった。

次の瞬間、私の目は涙で溢れていた。哀しかったのではない。可笑しすぎて、滑稽すぎて涙が止まらなかった。私はこんなにも落ちていた。でもそんなことニワトリたちには関係ない。彼らは、自分が1秒先に何をするかも分かっていないかのように、今を生きていた。どれだけ私が哀しくたって、世界は周り続けている。世界が周り続けている限り、ニワトリも私も前に進み続けなければいけない。

「こんな基本的なことをニワトリが教えてくれるなんて。先生も親も教えてくれなかったことを教えてくれたのは、ニワトリだった。数ある生物の中でも、なかなかに滑稽な生き物だぞ、ニワトリは。しかしそんな滑稽なニワトリにこんな重要なことを教えてもらった私も、相当に滑稽ではないか。しかもそれで涙しているなんて。なんて馬鹿げた状況なんだ。」

こんな滑稽な状況下で意味もなく憂鬱でいるのが馬鹿馬鹿しくなった。一気に気分が吹っ切れた。人間どこでスイッチが入るか分からないものだ。

あの時の涙には、私の人生の中でも一二を争うほどに複雑な感情が混ざっていた。

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