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伊藤佑輔作品集2002~2018

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2002年から2018年にかけて書いた詩や小説やエッセーなどをまとめたものです。 ↓が序文です。参考にどうぞ。https://note.mu/keysanote/n/ne3560…
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#シュルレアリスム詩

散文詩 キリスト(2004年)

キリストは讃美歌を歌いながら小人になって、分解しきって液状になり、スポンジ状になった空気の無数の穴の中に、浸されていった。ぎゅうっと絞ると、そこから出ていき、テーブルに置かれた、チーズの無数の穴の中に滑り込んでいった。冷蔵庫に容れられて、冷やされて、切れ込みを入れられ、スライスされた。パンに載せられトーストされて、苦痛の記憶を綴じ込めた、オレンジ色のコンフィチュールを塗り込められて、キリマンジャロのコーヒーと一緒にわたしに食べられていった。その日は雪が降っていた。窓際にもたれ

小説 虹(2004年)

 ああ、わたしたちの意識の奥底には、黒い無意識の宇宙が広がっています。そしてその宇宙の片隅にある銀河の何処かには、地球の青くて美しい飴玉が転がっているのです。この蒼と白の鮮やかなまだら模様のついている球体の表面を、上空からよく見ると、ところどころで微小な虹たちが、まるで鮮やかな玉虫色をした蛇のようになって、縦横無尽に這い回っています。  その下界では、まるで新種の地衣類みたいな白い街が、大地を覆って広がっています。そこでは砂粒みたいな、大人や子供が、若者たちや婦人たちが、ビ

小説 球体関節の幻視(2007年)

力もなしに、ぐったりとした様子で、コンクリートの壁にもたれかかって、鋼鉄のようにひきしまっている、皮膚の表面に、紫朝顔の蔓草を、びっしりと纏わりはびこらせている、まだうら若い、黒い肌をした女の剥き出しの裸体は、強引無残に、その中心部を切り開かれて、サフラン色や桃色の腸を朝のひなたに肌理鮮やかに見せびらかしていた。――蔓草の繊毛のところどころから、色のない粘液が、てらてらと流れて、光沢していた。――女は生きてはいないようだったが、それにしたって、血は一条も、見当たりはしなかった

小説 ステーション(2007年)

 真昼だった。風は道行く人たちの全身に思い切り体を衝突させて、そのシャツやワンピースやスカートやらの襞という襞を、ぱたぱたと急かしていた。湿気を知らない空の波たちが次から次に寄せては返して、おもむろにめぐってくる初夏のおとずれを、自由気ままに告げていた。その鉄道駅はアール・デコ調のデザインで建築されていた。花崗岩のブロックで敷き詰められた広場の中心には、大きな欅の木が植えられていた。風に吹かれて、ぐらぐらと揺れだしたわむ様子は、まるで着飾った若い女が――その虚無的でがらんどう

小説 調布市の野川のスケッチ(2006年)

 昼下がりは、真鍮のような静寂を、空の青みと水音のせせらぎにそえあわせながら、自分ではどんどん希薄になって、遠のいていくようだった。気持ちだけ少し伸び過ぎた、目の前の前髪は、陽光のせいで軽やかに化学変化して、きらきらきらきら、光耀していた。まるでのどやかな温度がやわらかいうすものに変化して、あたりをつつみこんでくれているようだった。そうして、仕事の疲労に困憊しきっている、ほこりまみれのわたしの体は、ひとりでにうるおいを取り戻していき、しなやかな湿り気を、そこらじゅうから摂取し

散文詩 2008年の2月20日の詩(2008年)

 真っ赤になった宇宙を唄っていた、口移しでメロディーたちがいっせいに流れた、雲を信じる子供たちが白い影になって、影も形も無くしていって、ほどけていって、ぼくの背中に積もっていった、雪のように、黒い宇宙は乗り物になって、何にしようか、船になって?虫たちになって?兎たちになって?狐たちになって?長い尾をひく、不可能にかがやく線条たちになって。ぼくたちは旅行した、たくさんの、星に変わった生きものたちと一緒になって。リズムはリズム、音色は特徴、効果は意味だ、やっきになって、体中の葉脈