働けなくても働かなくてはいけない。

現在、働いていない。
一人で住んでいるが、一人で暮らしているわけではない。自分で稼いだ金で食っていないからだ。
つまるところ、親の遺産で生活している。
派手に使っているつもりはないが、今のペースなら半年はもたないだろう。少しでも長く今の暮らしを保てるように、次回の精神科の診察で障害年金の相談をするつもりだ。

わたしはうつ病患者だ。治療は今年で9年目になる。そしておそらく、先天的な障害もある。いわゆるアスペルガー症候群だ。
ざっくりとわたしの経歴を書いておこう。
1989年生まれ。中三のとき、ノイローゼ状態と思われる状態になり登校拒否になる。卒業はしたし高校にも籍は置いたが、ささいなトラブルで通う気を削がれ17歳のとき退学。その数ヶ月前にうつ病と診断される。そのあとはアルバイトを転々としてみたり、働く気もないのに職業訓練に通って資格を取ってみたりしながら現在に至る。

並みのアルバイトにはほとほと愛想が尽きた。
しゃれではなく、障害に妨害を受けるからだ。
まず耳がひどい。BGMがある職場では思考を妨害されるため、新しい職場では必ず飲み込みが悪いとかテンパリ屋のレッテルを貼られる。BGMに慣れてしまえば多少は落ち着きが出るが、ストレスがゼロになることはない。あと、話すと手が止まる。地獄耳だ。
目もひどい。動いているものや区切りのない視界を情報として認識できないため、体を動かしながら探し物をすることができない。その上、逆に窓枠などの区切りがついてしまうと、その外を視界として認識できない。当然、車の運転なんてできない。移動はすべて家族頼み、あるいは徒歩、バス、電車だ。
挙げればきりがないが、基本的にふたつのことは同時にできない。ひとつに集中すると他のことはすべてシャットアウト、あるいはシャットダウンされる。慣れれば仕事にならないこともないが、それはパターンを読んでシャットアウトする情報を選び、メモリの負担を減らしているだけだ。
加えてアダルトチルドレンだ。働くとまずワーカホリックになって落ち込むし、障害のせいでも落ち込むし、家族も同僚もそんなことには理解がない。
求人の時点で理解されないことも多い。
とある面接では、高校を中退した理由を細かく訊かれ、すべてを根掘り葉掘り明かさせられた上で落とされた。
定職に就けない、頭も悪そうだ(中退した高校は偏差値が低い)、その上病気。他を当たってくれというわけだ。

「アダルトチルドレンって、親が頭おかしいってことですよ」と、ある人に身の上話をしたときにつっこまれたが、その通り、うちの親は頭がおかしい。外面をつくろうのが大好きだし、定型発達者だし、非定型発達に理解がない。
母は自身もアダルトチルドレンで、自分や他人の感情を感知することができない。子供を勉強させることに異常に執着するくせに、子供が学校でいじめられていても一切関知しなかった。兄は母の執着に応えきり、さらには母の手先のように動いていた時期もあった。そして死んだ父はそんなモンスターな母を制止することはなく、父自身もときおりモンスターだった。

治癒して精神的な自立を保つには、実家を出るしかないように思えた。実際、落ち込んでいるときはトイレや風呂に残った家族の体臭さえ不快だったし、眠っていてもささいな生活音で目が覚めることもあり、家族の存在自体がいやになっていた時期もあった。
実家が母校の通学路沿いだから、いまだに実家に帰って母校の制服を着た子供がぺちゃくちゃしゃべりながら歩いている声を聞くと不安になることも多い。
実家を出て変わったことは、創作意欲が増して前よりも書くのが好きになったことと、改めて自分は静かな場所が好きなんだと気づかされたぐらいだ。
その程度の変化が惜しくて、金がなくて実家に帰るぐらいなら死のうと思っていたのが先々月のことで、結局は実行する決心がつかないまま月が変わり、仕方なく医師と母に現状を話したところ、医師には障害者年金の申請をすすめられ、母にはわたしが物心つく前に作ったであろう、父が遺したわたし名義の口座の通帳を渡された。
痛いほどの愛に感謝しているが、しかし子供のころはイタい愛としか思えなかった。ことに母に関しては。

その上で思うことは、「食えるようになるまで食わせるのが親だ」ということだ。死ぬまで働けとか、産めなんて言ってないとかそんなことは思わないし、自分のような子供がわたしのもとに生まれたとして、これほどの世話をできる自信はまったくないが、それでも先々月はずっとこう考えていた。「生きられないから死ぬのだ、自殺も寿命なんだ」と。

そう、生きられないから死ぬのだ。
わたしの元カレはわたしとよく似た人で、稼ぐ力も生きる力も恐ろしく乏しい男だったのだが、彼の父親はそんな事情を知った上で彼をほとんど着の身着のままで実家から追いだした。
日常の局面における自分の態度がいかに家族を追いつめ苦しめていたか、この父親にはそんな自覚はまったくなかったようだ。父親以外の彼を含む家族は全員、向精神薬の世話になっていたというのに。
わたしの知っている彼の記憶は、実家を追いだされたあと、わたしの説得で彼の親族を頼り、親族の家で暮らしたのち就職してその家を出るもすぐにクビになり死のうとするもわたしが止めて、完全に職場を離れるまでの間に親族が父親を説得したことで実家に戻り、アルバイトでオタク趣味にはげむ金を一生懸命稼いでいたところで止まっている。
去年の12月、別れて一年以上も経つのに突然連絡が来た。すでに恋愛感情はなかったので表面的なやりとりしかしなかったが、今も生きていればいいぐらいには思っている。

わたしや元カレのような人が、いったいどれくらいいるのだろう。ふたりともすんでのところで助かってはいるが、わたしは心を病んでいなかったら売春していたかもしれないし、彼はホームレスになっていたかもしれない。
若いから働けるわけではない、稼ぐ力も生きる力も乏しい人たちに、「まだ若いから、障害もそれほど重くはないから」という理由でオーバーワークを強いれば、死にたくなるのは当然のことではないか。大きな力のせいにしたくはないが、それでも他の国のことを聞くと思う。日本は福祉が貧しすぎる。
認知も薄いし、福祉に頼るのが恥ずかしいという風潮もある。それでも生きようとすれば、アウトローにならざるを得ない。
公務員として福祉関係の課で働いていた兄は言っていた。
「生活保護をくれっちゅう人は、たいがい頭か体か心がおかしくて、親と仲悪くて断絶しとってみたいな、そんな人ばっかりや」

頭のほうはずっとおかしいが、心もおかしくなって9年経つから分かる。心から死ぬことを望んで死ぬ人なんて、どこにもいない。死にたいから死ぬのではない。死ななければならないから死ぬのだ。
他人から見ればささいなことであっても、もう生きられないと思えば人は死ぬ。そのちっぽけさを教える手段のひとつが福祉なのだ。

(※生活保護と障害年金はそれぞれニュアンスが違うし制度の中身や基準もすべて違うが、福祉として同列に挙げた)

※2015年8月17日、障害年金が「障害者年金」となっていたので修正。

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