MJ(モーメント・ジューン)について一考

モーメント・ジューン(Moment Joon)のアルバムを聞いた。

なんだこれは!? これは芸術なのか?

と衝撃を受けた。

Passport & Garcon
である。

きっと幼い頃にチョンだとか差別を受けたのだろう。虐められたのだろう。

そんなことに対する恨み言、憎悪をつらつらとラップしている。
聴いていて不快感を覚えるほどだ。

私は、芸術にするためにはもう少しエネルギーや表現を、純化・昇華させる必要があるのではないか?と思った。

ところで、モーメントジューンを検索すると引退します的なインタビューが出てきた。全文は読んでいない。
なんとなくで感じたこと。

彼に必要なのは勇気ではなくて、支援と癒やし。

インナーチャイルドを癒やすこと。
彼の言動の自由、思想の自由を守る支援だ。

例えば仮に私がアメリカでジャップと罵られながら育ったとしよう。そのトラウマに対する恨みがミュージシャンとして開花したとしよう。

私が真っ先に心配するのは、こんなFワードを使って攻撃的なリリックを歌っているが、もしこの歌詞が僕を虐めていたアイツに届いたらどうしよう? 復讐されたらどうしよう?
社会から叩かれたらどうしよう?

だと思う。

だから、彼はインタビューで自己矛盾を抱えているというふうなことを言っていたが、それはアーティストとして社会に意見する勇気と、社会から叩かれたらという不安の、2つの心の内での歪み。
それが引っかかりなんじゃないかな?

差別してきたやつらに、そいつと同じ言語でしか言い返せない不満感。

もし外国語が使えるなら、そっちでも表現するだろう。
たとえば、
Mother f@@ker!
は?今なんて言ったの?
(はっ、テメエみてえなハエみたいな脳みそには、神聖な英語は理解できねえよ、バーカ!)
と内心で歪んだ快感を得ることはできる。

彼に、韓国語のラップを日本に普及させる、とか大きな志があれば、俺は今後彼を推すだろう。

しかし現状では、ただの、トラウマと折り合いのつけられない、幼稚だと見られてしまう大人の、ちょっとカッコ悪いラップの歌手である。

だから、モーメントジューンに必要なのは勇気よりも、むしろ支援と癒やしであろう。

Passport & Garcon

今度、このアルバムを貸してくれたおじちゃんに返さなくてはな。

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