『往復書簡 選外』(8) 鸚鵡【小説】
あっさり彼女が家を出て行って、僕とオウムだけが取り残された。
六畳一間のぼろアパートで、オウムは彼女のコトバをずっと繰り返しています。
「スキヨ、スキヨ、タケシクンスキヨ」
頭にきた僕はオウムをぶん殴ろうと、勢いよく立ち上がったところで、オウムは窓から飛び出していきました。
よかったよかった清々した。ゴミでも食ってのたれ死んでしまえ。
と思ったら、夕飯時にはちゃっかり戻ってきた。
「アーンシテ、アーン。アーンシテ、アーン」
意地でも入れてやるものかと、固く閉じた窓ガラスに背を向けて強情をはってみたものの、隣の怖いお兄さんが、うるせーぞ、このボケ!と安普請の壁越しにすごむので、急いで中に入れてやると、オウムは裸電球のまわりをしてやったりとグルグルグルグル飛び続けました。
「スキヨ、スキヨ、タケシクンスキヨ」
こいつ!手羽先にして食ってやろうか!と出刃を手にしたところで、いかんいかん無益な殺生は、と僅かばかり残っていた理性を振り絞って留まりました。
オウムはこちらの怒りなどそしらぬ顔で、三角コーナーに残っていたキャベツの芯をつまんでいます。
ああ、あれはマリちゃんの切ってくれたキャベツの芯だなぁ。
僕はそんな感慨に打たれながら、明日から台所にたってキャベツを切る自分自身の後ろ姿の幻影を見た気がして、ひゅっと体温が下がりました。
いかんいかん、いらないことは考えるな。
僕はもう寝てしまおうと、せんべい布団をしいてパチリと裸電球を消しました。
しかし、オウムというのは、夜目がきくものなのでしょうか。まっくらな中でもバタバタと、羽の羽ばたく音が止みません。
「ネーェ、スキダトイッテヨゥ。アイシテルトイッテヨゥ」
ああ、僕は付き合ってから一言も、夜のしじまに愛し合っているときでさえも、彼女に愛の言葉を囁いたことはなかったように思います。
うるさい、黙れ、羽畜生の分際で!僕はまたもやカッとして黒い天井に向かって枕を投げつけました。もちろん当たるはずはありません。
殺されてーか!このボケが!隣のお兄さんが、向こう三軒聞こえるほどの大声で叫びます。
すみません、すみません、僕は心の中で謝ると布団の中で赤ん坊のようにうずくまって震えました。
「アイシテルッテイワナイナラ、ホカニイイヒト、ツクッチャウンダカラァン」
すみません、すみません。いや、なにくそ!俺を置いて出ていった女なんかに、何を謝る道理があるものか!
何を謝る負い目があるものか!
そんなことを、考えているうちに、まぶたが重くなり、僕は朝と夜の間にある、眠りという谷底に、ころがり落ちて、いくのでした。
マリちゃんのいない部屋はやけに広く感じます。朝の六時という時刻が、そう感じさせているのでしょうか。
僕はまだ世間が眠りと活動の合間で揺れ動く、朝の光の時間帯が、こんなにも青緑で、空気の薄い世界だとはついぞ知りはしませんでした。
マリちゃん。マリちゃんよぉ。
頭の中で芝居がかった声を出してみても、僅かにも何も、変わりません。
「マリチャン…、マリちゃん…」
オウムが僕の知らない声を出します。
「マリちゃん、好きだよう。マリちゃん、愛してるよう…」
オウムは僕の知らないコトバを喋っています。
「マリちゃん、ずぅっと、ずぅっと、愛してるよぉ…」
そんな言葉、僕は口になんて出来なかった!この嘘つきオウムめ!
ペテンのオウム返しの羽畜生め!
オウムはぐるっと首だけを回してこっちを向くと、僕と目を合わせて言いました。
「オマエガネゴトデ、イッテイタンダよぉ」
オウムはそう言って笑って、キャベツの芯をげぇげぇと、畳の上へ戻しました。
僕はそのすえた臭いの中でただ、あぁそうか、と思い、これからの日々の恐怖にガチガチと、歯を鳴らしているのでした。
文 / 岡本諭
表紙 / 仲井希代子(ケシュ ハモニウム × ケシュ#203)
*『往復書簡 選外』とは… 仲井陽と岡本諭、二人の作者が2014年から1年間に渡ってweb上で交互に短編小説をアップしあう企画『往復書簡』から、様々な理由で書籍化されない「選外作品」ばかりを集めたスピンオフ企画です。
書籍化された『往復書簡 傑作選』は、学芸大学にある本屋「SUNNY BOY BOOKS」さんと中野ブロードウェイ3Fにあるタコシェさんでも取り扱って頂いております。是非お立ち寄りください!
●ケシュ ハモニウム(問い合わせ)
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