往復書簡_選外_表紙

『往復書簡 選外』(14) 槍雨【小説】

「傘なんか何の役にも立たないんすよ」と助手席で尾崎が言った。舗装のされてない道をずっと運転してきたせいでハンドルを握る俺の手は痺れていた。

「あの辺だけの特殊な天気らしくって。地元のおっさんに聞いたらヤリサメ? とかっつってたんすけど、いやあれ超マジでヤバかったっすよ。うん、超ヤバい。なんつうんすか、スコーレ? 南米とかの超突然降る超すげえ雨あるじゃないすか、あんな感じのもっと超ヤバいヤツす。うん、超ヤバいすよ」そう言うと尾崎は一人で何度も頷いた後、馬鹿な犬みたいにニヤけた面をこちらに向けた。俺は、どんだけ『超』なんだよ、強調しないと死ぬ病気か、と心の中で突っ込み、こいつの喋り方どことなく大倉孝二に似てるな、と思った。ただでさえ山道は神経を使うのに、もう二時間以上もこいつの雑で頭の悪い喋りに付き合わされていた。

 道の右手側にはごつごつとした山肌が続き、左手側は奈落のような急斜面の崖。申し訳程度に背の低いガードレールはついているものの、ハンドル操作を誤れば簡単に乗り越えてしまいそうだ。

「どうすか瀬能さん、スコーレ。見たことありますか、スコーレ」尾崎はなおも諦めずに話しかけてくる。俺は前を向いたまま、仕方なく「スコールな」と訂正したが、尾崎は下品な笑顔で「あざーす」とだけ言った。噛み合わない。何があざーすだよ、何に感謝したのか言ってみろお前、そう叫びそうになるのをぐっと堪えて、代わりにぬるくなったビールを喉に流し込んだ。そもそもこの馬鹿が借りた車をなんで俺が二時間も運転しなきゃならないんだ。荷物を運ぶのは本来こいつの仕事で、どうしても自信がないって言うから代わってやってるだけなのに。運転が不安ならもっと小さい車にするか、せめて自分が運転できそうな車種を選ぶべきだろう。なんでハイエースなんだ。狭い山道との組み合わせが最悪なことくらいちょっと考えりゃ分かるだろ。運ぶのはスーツケース一個で、学生の引っ越しじゃねえんだぞ。

「あっ」また尾崎が声を発した。

「なんだよ」

「いやいや、あ、てか瀬能さん怒りそうなんで」何がおかしいのか半笑いだ。

「言えよ」苛立ちを隠し切れずに俺は言った。

「マジっすか? いや、飲酒運転、超ヤバくないっすか?」

 一瞬で頭が沸騰しそうになった。俺がなんで運転してると思ってんだコノヤロウ。さすがに顔色が変わったことは分かったようで、尾崎は慌てて弁明を始めた。

「いやいやいや、だって瀬能さん、荷物積んでるときは目立つことすんなって言うじゃないっすか。いや、別にいっすけどね、瀬能さんの言ってたアレなんで」

 つくづく神経を逆なでする物言いだったが、俺は爆発しそうな怒りをぐっと抑えた。まだ早い。腹の底をぶちまけるのはせめて沼に着いてからでいい。変に感づかれて逃げられでもしたら厄介だ。

「……こんなとこで誰が見てんだよ。だったら代われよ。お前の仕事だろ」

「はあ、すんませんした」

 そう言うと、尾崎は逆切れでもしたのか急に真顔になって窓の外を眺め出した。心底面倒くさかった。

 尾崎はこれまで俺の下に付いた奴の中でも最低の部類に入る人間だ。まあ、ろくでなしには慣れてるし、頭の悪い奴も、想像力がない奴もそれなりにいたが、尾崎はそれら全てを兼ね備えてるうえにとてつもないボンクラだった。仕事でもミスを連発し、取引の相手だけじゃなく上の人間も怒らせ、馬鹿の常であるが謝罪に行ってさらに怒らせ、結果『スーツケースを一人で沼に捨てに行く仕事』しかやらせてもらえなくなった。

 それでも肝心のスーツケースを忘れたり(俺にはまったく理解できない)ミスを繰り返していたのだが、致命的だったのは前回で、なんと荷物を捨てに行く途中に事故ってJAFを呼んだ。幸い、俺が迎えに行って事なきを得たが、尾崎はどうあっても使えないという判を押されてしまい、今回、荷物と一緒に沈めていいと上から言われたのだった。こいつにはもちろん内緒だが、俺が同伴したのはそのためだ。

「そもそも何でハイエースなんだよ」空気を変えようと俺は言った。

「……いや、俺もちゃんと考えてるんすよ。何回かそのヤリサメ? で酷い目にあったんで、ちゃんと準備しようと思って」そう言って、尾崎は後部スペースを指差した。横たわったスーツケースの隣に、長さ2m超ほどの円筒形のケースがあった。

「なんだ?」

「アウトドアとかで使うパラソルっす。あの、ビーチとかで使うヤツあるじゃないっすか。あれのもうちょい分厚いのっす」

「は?」

「いや、だから超ヤバいって言ったじゃないすか、雨が。マジ超凄いんすよ。沼までちょい歩くじゃないすか。そん時に降られることも超あるんで、そうなると運べないんで」

「それレインコートでよくね?」

「いや、だから……」尾崎は鼻で笑うと溜息をついた。まるで人を小馬鹿にしたような態度だ。

「念の為っすよ。あのー、着いたらスーツケース、俺が運ぶんで、パラソル持ってきてもらっていいすか?」

 俺は出来るだけ感情をフラットに保つため、尾崎を意識からシャットアウトしようと前を見続けて言った。

「え、じゃ、あれ積むためにこの車にしたの? SUVでも充分だったんじゃねえの?」

 後部スぺースにはスーツケースと円筒ケース以外何もなく、まだまだソファでもベッドでも積めそうながらんとした空間が広がっていた。

「いや、そこは俺の仕事なんで。てか、いや、ちょ、もういいすか?」

 だったら自分で運転しろよ。俺は返事の代わりにもう一度ビールをあおり、煮えくり返るはらわたへと流し込んだ。そして、もしかするとほっときゃ勝手に事故って死んだんじゃないか? という疑いを振り払うため、もう一口飲んだ。

 額をパックリと割られた尾崎の死体はゆっくりと沼の中へ姿を消していった。沼は底無しで、今まで捨てた幾多のスーツケースと共にあの馬鹿も永遠に沈み続けるだろう。ただ不意打ちに近い形だったし、怒りのあまり渾身の力で鉄パイプを打ちつけたから下手をすると即死だったかもしれない。正直、あっけなく事を済ませてしまったので俺は少々不完全燃焼だった。出来れば屈服させ、心からの反省を聞きたかった。もう遅いが、半殺しの状態で沼に放り込み、自分がどういう人間なのかを思い知らせたうえで泣きながら命乞いをさせ、その後沈めた方が腹の虫は治まったかもしれない。馬鹿で無礼で無自覚なボンクラは命がけの贖罪をするべきだ。ともあれ、もう過ぎたことなのだが。俺は血のついた鉄パイプを沼へ投げ、続いてスーツケースを放り込んだ。パラソルの円筒ケースも一緒に捨てようかと悩んだが、そんなに嵩張るわけでもなかったのでとりあえず持ち帰ることにした。尾崎の言うことを真に受けたわけではなかったが、濡れて風邪でも引くと面倒だ。

 そうして円筒ケースを拾い上げようと手を伸ばしたとき、その手の甲に激痛が走った。小石のような固い物がぶつかった痛みだった。ただ小石にしては痛みが強く、見ると手の甲に痣が出来ていた。例えばエアガンで至近距離から撃たれたような、小さな丸い痣だ。しかし何がぶつかってきたのか見当もつかず、そうしているうちに首筋、肩と間を置かず同じ痛みが襲った。反射的に空を見上げると、今度は頬に激痛が走った。

「いってえ!」

 顔を押さえてうずくまった俺はようやくその正体が分かった。これは水だ。拭った手が濡れている。信じられないが、高密度の重い水がもの凄い速度で落ちてきたのだ。まさか、これがヤリサメか? 次の瞬間、轟音と共に無数のそれが滝のように降ってきた。

「いてててててて!! 痛い! 痛い! 痛い!」

 冗談じゃない。雨どころかまるで攻撃だ。風邪なんて呑気なことを言ってられない。頬じゃなく目に当たっていたら確実に失明していただろう。それにこの全身を打ち据える銃弾のような痛みには片時も耐えられそうにない。スコールだって? あのボンクラ、雑な説明しやがって! 

 俺は急いで円筒ケースを拾い上げ、蓋を開けた。痛みから守るため出来る限り目を細めつつ、しかしどれだけ覗き込んでも中には何も入っていなかった。空っぽだ。説明書らしき紙切れだけがあっという間に濡れてケースの内側に張り付いた。中身を入れ忘れやがったのか! あの野郎、死んだくせにまだ足を引っ張りやがって……!

 とにかく屋根のあるところへ行かなければ。しかし視界が限られている上に、水の弾幕と巻き上げられた水煙によって周囲の状況もよく見えない。絶え間ない轟音のせいで平衡感覚も怪しい。車の置いてある場所はどっちだ? 走れば何分くらいで行ける? 俺はパニックになっていた。とにかく車の方へと当たりをつけ、両手で頭を覆いながら走り出したその時、突然地面の感触が無くなった。そして気づけば腰の辺りまで水に浸かり、足が泥にはまって動かなくなっていた。

 俺は、水の一斉射撃を浴びながら、ゆっくりと底無しに沈んでいった。


文 / 仲井陽

表紙 / 仲井希代子(ケシュ ハモニウム × ケシュ#203)

*『往復書簡 選外』とは… 仲井陽と岡本諭、二人の作者が2014年から1年間に渡ってweb上で交互に短編小説をアップしあう企画『往復書簡』から、様々な理由で書籍化されない「選外作品」ばかりを集めたスピンオフ企画です。

書籍化された『往復書簡 傑作選』は、学芸大学にある本屋「SUNNY BOY BOOKS」さんと中野ブロードウェイ3Fにあるタコシェさんでも取り扱って頂いております。是非お立ち寄りください!

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