往復書簡_選外_表紙

『往復書簡 選外』(17) ルール【小説】

 なあ。
 お前には誰にも言えずに心にしまっていることはあるかい?
引き出しに鍵を掛けて、その鍵をまた隠して、隠したことすら思い出さないように、頭の中で気を使って、目を反らし続けているようなことがさ。
 俺にはあるよ。
 でもそういう類いの物事ほど、忘れられないんだ。
 なんでだろうな。

 言いたいのはさ。
 俺とあいつのことなんだよ。お前も薄々感づいているとは思うけど。
お前は無口なくせにやけに勘が鋭いところがあるからな。いや、無口だから鋭いのかな、まぁどっちでもいいけど。

 あいつと結婚してもう一年経ったよ。順風満帆、平和な夫婦生活さ。セックスだってうまくいってる。驚きだろ? あいつと初めてやったのは高校の時なんだぜ? 別に他の女と寝てないわけじゃないけど。いやいやいいよ、いま他の女の話はさ。

 ……駄目だ、俺、緊張してるわ。こんなにビールを飲んでも全然酔わない。

 どっから話せばいい? なんて、お前に聞いても分からないよな。

 阿呆だわ、俺。

 駄目だ、ちゃんとしよ。

 まず、言いたいのはさ。あいつと俺はうまくいってる、心も体も。それはお前もご存知のとおり。そして、俺は仕事がますます順調だし、あいつは日々手料理が美味くなってる。そこもオッケー。たまにケンカもするが、仲直りも早い。あちらの親御さんの受けも良い。オールオッケーだ。

 ……おい、こっち向けって。話はここからなんだ。

 なあ、お前は愛情のバランスって考えたことあるか? 俺はあるよ。
 醒めた言い方をするようだが、愛情には多寡があって、お互いの関わり合いの中でどちらがどちらをより深く愛しているか、天秤は傾いていると思うんだ。
 その傾きの上で俺たちは暮らしている。分かるかな?
 俺とあいつの関係で言えばさ、俺があいつに対して持っている愛情より、あいつが俺に対して持っている愛情のほうが強いんだ。
 いや、強いんだよ。俺には分かる。
 だから、俺たちはうまくいってる。あいつの愛情のお陰で俺たちはうまくいっているんだ。
 それが分からないほど俺は馬鹿じゃない。


 俺とあいつが出会った頃の話はしたことあるよな?
 そうそう、田舎での話さ。
 あの頃、俺たちはまだ小学生で、俺は下の毛も生え揃っていなかった。
 同級生のあいつはまだおかっぱ頭で、キティちゃんかなんかのナップサックを背負っていた。けろけろけろっぴだったかな? んなこたぁどうでもいいが。


 田舎は何の特徴もない町で、俺たちはそこら辺のどこにでもいる馬鹿な糞ガキだった。少し自転車をこいで町の外れまでいくと、水門があってな。やけに馬鹿デカい水門で、そこにはよくみんなして遊びにいっていた。釣りをしたり、エロ本を持ち寄ったり。よくあるだろ? 秘密基地みたいなものだったんだ。
 事件はそこで起こった。

 誰か色気づいた奴がいたんだろうな。普段は男連中しかこない場所に、誰が声をかけたのか女の子のグループがやってきたんだ。その中にあいつもいた。俺たちはしばらく他愛のないお喋りをしていたが、その内の男一人がいきなり水門を開けてやるよと言い出したんだ。調子に乗って、女相手にいいところを見せようとしたんだろうな。
 そいつは水門の上に立って、錆び付いた鉄のバルブを掴むと力一杯に回そうとした。当然だがびくともしない。だが、放っておけばいいものを、馬鹿な男達は次から次へと丸い赤褐色の輪っかに飛びついていった。みんな顔と二の腕の筋肉を震わせて踏ん張っていた。まあその中に俺もいたんだけどな。すると驚いたね。本当に水門が開いたんだ。みんな目をまるくしてた。女の子達も声をあげて水門の上までやってきた。あいつはあまり乗り気じゃなかったみたいだが、友達に手を引かれて連れてこられていた。あいつは泳げないどころか、水が怖いくらいだから、そんなところに行くのは嫌だったんだろうな。
 せき止められていた水が勢いよく放たれていった。

 俺たちはしばらくその光景を眺めていた。だが運悪く、土手の上に巡回中の警官が現れた。そして大声でこちらに向かって何かを叫んだんだ。
 俺たちは慌てふためいて一斉に逃げようとした。水門の上でもみくちゃになりながらも、俺はいち早くそこから駆け下りて、少し離れたところに止めてある自転車のほうへと走り始めた。男も女もみんな散り散りになって逃げ出そうとしていた。
 背後で水のうねりとは違う、大きな水音が聞こえた。
 振り返ると、弾けた水しぶきがゆっくりと落ちていくのが見えた。
 誰かが川に落ちたんだ。
 灰色の水におかっぱ頭が押し流されていくのが分かった。

 俺は反射的に地面を蹴って、川へと飛び込んだ。俺は泳ぎには自信があったから恐怖心なんて微塵もなかった。それ以外にも理由はあったけどな。
 俺は水門から吐き出される濁流の間を縫って、必死に泳いでいった。おかっぱ頭は手足をばたつかせて、流されながら浮いたり沈んだりしている。こりゃ危ないと思ったよ。パニックを起こして水を飲んでるのが分かった。俺も溺れたことがあるから分かる。そういう時は心の中に恐怖しか無いんだ。真っ黒な恐怖しかない。一刻も早く助けてやりたいと思った。俺は水をかき分けるスピードを上げて、おかっぱ頭に追いつき、脇の下に手を入れてぐっと持ち上げてやった。水面に隠れていた顔が現れて、俺と目が合った。その時初めて、まだ少女だったあいつの顔を俺は見たんだ。俺はあいつを岸まで引っ張っていった。
 幸いなことにあまり水は飲んでいないようだった。意識もはっきりしていた。しばらくすると警官がやってきて、無線で救急車を呼んだり、方々に連絡を入れたりしていた。俺はただ呆然としてその様子を見ていた。あいつはずっと俺の手を握っていた。冷えたあいつの手が段々と暖かくなっていくのが分かった。

 これが、俺とあいつの出会いだ。
 それから俺たちは中学にあがった頃から何となく付き合うようになり、高校の時にお互い初めてセックスをし、大学で別れ、それからまた何となくヨリを戻した。
 俺たちがうまくやっていけてるのは、あいつの俺に対する愛情の底に、この時の思い出があるからさ。自分の命を助けてくれた男に対して、無償の愛のようなものが流れ出してくるからなんだ。まさに開けっ放しになった水門みたいにな。俺はその恩恵を一身に受けて幸せな生活を築いている。
 いい話だろ? ここまではな。


……他人の思い出話には興味がないのか? お前が聞いていなくても最後まで話すぞ。今日は。


 俺があいつを水から引き上げたあの時、俺の目に浮かんでいたのはただただ純粋な驚きだった。俺は好きだった子が溺れているのを助けたくて、勇気を振り絞り、自分が死んでも構わないと思って川に飛び込んだ。好きな子が助かるならそれでもいいと思った。ガキの頃っていうのは何であんなに純粋な気持ちになれるんだろうな。無我夢中だった。
 だが、水面から現れたのは、俺の想像したのとは違う女の顔だった。
 分かるか? 俺は人違いをしていたんだよ。

 俺が好きで好きで、命を懸けてでも助けたいと思っていた子は、そして、命を懸けて助けたつもりだった子は、あいつの友達のほうだったんだ。


 なんで仲のいい女同士っていうのは、似たような格好をするのかなぁ。同じおかっぱ頭、同じキティちゃんかけろけろけろっぴのナップサック。警官に怒鳴られて慌てふためていたあの時の俺は、てっきり自分の好きな女の子が川に落ちたと思い込んだんだ。
 全部バラすと、水門に女の子達を呼ぼうといったのも俺だし、調子に乗って水門を開け始めたのも俺さ。好きな女の前で、ただただ良い格好をしたかったんだ。


 今でも時々、あいつはベッドの中で、あの時の話をするんだ。
 じっと俺の方を見て。
 あいつが話を続ける間、俺たちは子どもに戻っている。調子に乗った悪ガキとおかっぱ頭に。握りしめた手が段々と暖かみを帯びてくる。あいつが楽しそうな目をして思い出を語る間、俺は黙ってその話を聞いている。
 それが俺の決めたルールなんだ。


文 / 岡本諭

表紙 / 仲井希代子(ケシュ ハモニウム × ケシュ#203)

*『往復書簡 選外』とは… 仲井陽と岡本諭、二人の作者が2014年から1年間に渡ってweb上で交互に短編小説をアップしあう企画『往復書簡』から、様々な理由で書籍化されない「選外作品」ばかりを集めたスピンオフ企画です。

書籍化された『往復書簡 傑作選』は、学芸大学にある本屋「SUNNY BOY BOOKS」さんと中野ブロードウェイ3Fにあるタコシェさんでも取り扱って頂いております。是非お立ち寄りください!

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