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エッセイ)感受性が乏しい

“まつおさん”が主催されている“画家のゆめのさん”を応援するサークルに入っているんですけど、そのサークルで、ゆめのさんの絵をモチーフにしたエッセイを募集する事になりました。

そもそもは、エッセイに限らず詩とか小説とか、彼女の絵がモチーフなら何でも良かったんですけど、折角、企画をやるなら、カテゴリーを分けて、順番にやっていこうという事になりまして、記念すべき一回目は何にしましょう?って、まつおさんがサークルメンバーに話を振ったんです。
だから、noteで1番書いている人が多いであろうエッセイがいいんじゃないかと提案したら、それが採用されまして、言い出しっぺが自分なだけに、なんとかいい物を書きたいと頭を捻っていたんですが…全然、書けないんすよ。

あまりに書けないもんだから、なんで書けないのかを考えたんです。
“いい物を書く”…これが引っかかってるのかなぁとも思ったんですけど、基本的に出来はどうであれ、毎回、“いい物を書きたい”と思って、詩でもエッセイでも書いてるんで“いい物を書く”って所が引っかかっている訳じゃないんです。
じゃぁ何が引っかかってるのかなぁって思ったら、そもそも〇〇をモチーフにって言うのが苦手なんですよね。絵を見てとか、歌を聞いてとか、この詩に返詩をとか…。

もともと、自分は書く時に、何か取っ掛かりがないと書けないんです。
その取っ掛かりの部分が景色だったり、日常の何気ないやり取りだったり、漫画とか人の記事だったりするんですけど、毎回、見たらすぐに書けるって訳じゃないんですよ。

例えば昨日も今日も同じ空を見ていたとしても、昨日は何も感じなかったのに、今日はなんか違う風に見えて詩が書けたりとか、普段のやり取りなのに、その日は特別面白いと思ったり…。
言葉が降りてくるって表現をされる方もいるんですけど、自分としては、最初から自分の中にあった言葉なり、イメージに何かの取っ掛かりが鍵となって、自分の中の物にリンクして、アウトプットができる感じなんですよね。

自分は感受性が乏しいんで、なかなか、見た物がすぐには、自分の経験や言葉にリンクしないんです。高感度のアンテナを至る所に張り巡らせて敏感にキャッチできるってタイプじゃなくて、昔のガラケーみたいに『3階のトイレのとこで、たまに電波を捕まえて使える時があるよね』って感じなんです。

感受性が豊かな人は、小説や映画を見て泣いたり出来ると思うんですけど、自分は何かを見て泣くって事がないんですよね。変な所が気になって、よくわからないツッコミを入れることはあるんですけど…。
泣ける人は、自分の中にあった悲しい経験が、作中のキャラクターなり、ストーリーにリンクして、感情移入がスムーズに出来ているから、泣けると思うんです。
自分はこれがスムーズに出来ないんです。自分はちょっと人と違う変わり者なんで、同じ立場になって考えるのがなかなか難しいんですよね。
だから、同じ映画を観ていても、横で嫁様が号泣している時に『えっ!なんで泣いてるの?お腹すいた?』ってなってしまうんですよ。

因みにサークル主催者の“まつおさん”は“ゆめのさん”の絵から、既に何百もの詩を書いてらして、そもそもが感受性の高い人だと思うんですけど、ゆめのさんの絵と相性がいいんでしょうね。
自分は相性が悪いってわけじゃないんですけど、ゆめのさん絵を見ると、過去の挫折を乗り越えて、再び画家として頑張ってらっしゃるゆめのさんと、それを必死で応援しているまつおさんが直ぐにリンクしてしまって、なかなか、自分の経験にリンクしないんですよね。
(まつおさんとゆめのさんのnoteは下に貼っておくんで、良かったら読んでください)

企画に向けて、何かを書こうと、ゆめのさんの絵を見返していた中で、今日1番いいなぁって思った絵がコチラです。↓

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普段から絵を見る習慣がない自分に、絵の良し悪しだとか、細かい技法なんかはよくわからないんですけど、絵には作者が表現したい想いが込められていて、それを観た人がその想いに触れた時になんらかの感情にリンクする物だと思うんです。

この絵を見て最初に思ったのは、『綺麗な星空だ』でした。次に、この星空が本当にある星空なのか、それともイメージの中にだけある理想の星空なのかという疑問が浮かびました。
そして…。
この後に話を続けて、いい感じのエッセイが書けたら良かったんですけど…。
書けなかったんで、諦めました。笑

そんな訳で、ゆめのさんの絵をモチーフにしたエッセイを募集しております。皆様、是非ご参加下さい。詳しくは下記↓

今回、見ていただきたい絵のまとめ↓

まつおさんのnote↓

ゆめのさんのnote↓






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