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最初の学期を終えて(アメリカ留学#9)

 留学を初めて約半年、僕は大学で初めての学期を終えていた。教室で隣になった人に話しかける、「お隣いいですか作戦」は大方成功したが、それでも友達を作るに至らなかったのが悲しい現実だった。理由は単純に英語力とコミュニケーション能力不足だろう。英語で会話を盛り上げるのは非常に難しくて、相手が気を使っているのを見ていると、申し訳ない気持ちになった。何か共通の話題や趣味があれば友達はできたと思う。例えばバスケやサッカーなどが趣味だったら一緒にプレイすることができたから、英語力が低くても友人はできたことだろう。しかし、僕はあいにくの運動音痴で、自分の英語力の低さをカバーするコミュニケーション能力も持ち合わせていなかった。なので当然友達はいない。唯一Dは友達といえただろうが、彼は僕以外にも親しい友人はたくさんいたので、胸張って友達というにはいささか距離があるように感じていた。幸いなことに、授業を理解できるだけの英語力はあったので、単位を落とすこともなく無事学期を終えることができたが、現状を変えたい思いと、それを阻止するように立ちはだかる英語の壁にもがく半年となった。

 ちょうどその時期、故郷である日本で成人式が行われたので、僕は一時帰国することにした。冬休みは一か月くらいあったが、日本に滞在したのは大体一週間程度だった。またアメリカに戻っても二週間くらい次の学期まで期間があるスケジュールだった。もっと日本に滞在すればよかったが、初めての一時帰国だったのでうまいことスケジューリングできなかったのだ。

 アメリカに行っても連絡をとっていた面々に加え、久々に会う同級生たち。彼らに会うと精神が安らぐのを感じた。同時に自分がどれほどアメリカにいる間精神を張り詰めているのか、冷静に客観視できた。日本のご飯はやっぱりおいしいし、人が何を言っているか容易に理解できる。過ごしやすかった。「なんか英語しゃべってみて」なんてお決まりのこと言われたりして、適当に話しても大して場は盛り上がらない。なんでやらせたんだ。

 滞在期間はあっという間に過ぎ、僕は再びアメリカへと戻る。大学に最寄りの空港まで到着すると、僕はUberを起動する。当時、僕は長距離の移動をUberに頼っていた。後に空港から大学までシャトルバスが出ていることを知り、以降、一時帰国する際はそれを利用することになるのだが、この時は例え空港から大学という長距離かつ高額だろうとUberだった。(ありがとうパパママ)。

 夜中の空港に僕のUberドライバーがやってくる。彼は車から降りると、Uberをキャンセルしてくれと頼んできた。今もそうなのか知らないが、Uberは客が支払った料金の半分をドライバーへ、もう半分を自らの懐へと入れるらしい。彼が言うには、Uberをキャンセルして自分に全額を払ってくれというわけだった。Uberで表示されていた金額は145ドルだったが、僕は最初100ドルだったと噓をついた。が、もう一度起動させられて噓はばれた。仕方なく145ドル払うということで合意して、彼の車に乗った。Uberは安全のためにGPS機能があって車の位置を、変なところに行かないか把握してくれるが、当然キャンセルした僕にそのサポートはない。それなりに危ない選択をしていた。が、長時間のフライトで疲弊していた僕の頭ではそこまで計算ができなかった。というより、「危なくなったら逃げればいいや」という非常にマッチョな思考をしていた。ドライバーは細身だったのもその思考にいたった原因の一つだ。空港から大学の寮まで、およそ二時間のドライブが始まる。荷物を後部座席に乗せたため、僕は助手席に座っていた。眠りたいくらいに疲れていたが、怪しい動きがあったらすぐに文句を言うため、気を張って起きていることにした。

結果を言うと、そのドライブはめちゃくちゃ盛り上がった。ドライバーはすごぶるいい奴だったのだ。

 同じ空港から大学までのドライブでも、エドワードの時とは大いに違う結果となった。僕らはその約二時間のドライブの間、まったくと言っていいほど会話が途切れなかった。ドライバーは僕と同じ外国人で、残念ながらどこの国出身だったが忘れてしまったが、流暢な英語を話していた。グリーンカード(アメリカの永住権)も持っているという。

 当時、将来アメリカで働きたいと思っていた僕は、「大学を卒業したらグリーンカードとれるかな?」と彼に聞いてみた。彼は鼻で笑うと、「とれるとれる!余裕だよ!」と返す。自分を肯定してくれる人がいるのはいつでもうれしいものだ。それが異国の地ならばなおのこと。彼とは色々な会話をしたが、何を話したかはよく覚えていない。覚えているのはあと二つだけ。

 僕は、無神論者だと周りに言っているが、正確には神のような存在はいると思っている。僕の中の神は僕の善い行いを是とし、悪い行いを咎める。しかし僕の神は世界中で信仰されているどの神とも同じではないので、結果的に無神論者ということになるのだ。という話を彼にすると彼は「わかる」と大きくうなずくと、「俺が信仰する宗教は同じ感じだ。神はそれぞれの心の中にいて、各々の行動を肯定したり否定したりする。その価値基準は人それぞれだ」と。そんな宗教があるのかと感心したのを覚えている。僕は宗教には生涯かかわることはないと思っていたが、その宗教の話なら一度聞いてみたいと思ったものだった。その宗教の名前を忘れてしまったので、再会は難しいだろうが。

「英語がうまく話せないんだ。何かコツとかあるかな?」

 同じ英語学習者として、しかし流暢に話す彼にそう質問してみた。これから始まる学期にも備えておきたかったからだ。すると、彼は少し間を開けると、口を開く。

「英語を話すようになってどれくらいだ?」

「半年くらい」

「半年?いいか、こう考えてみろ。君は今生後半年の赤ちゃんだ。いきなり走れる人はいない。まずは歩くことからだ。しゃべれなくて当然だよ。赤ちゃんにしては話せてるほうだ。自信もちな」

 この時期は外国人で、英語がうまく話せている人に会うと、決まってコツやどのくらいの時間を費やしたらそこまでの英語力になったかを尋ねていたが、僕のことを赤ちゃんだといったのは彼が最初で最後だった。いまいち芯をついていない論理だったが、自分を赤ちゃんだと考えると気持ちがいくぶん楽になった。そうか、そうだよな。赤ちゃんにしてはすごいよな、僕。

 大学に着いて僕はキャッシュで彼に140ドル払った。(5ドルまけてもらった)。いい出会いだったし、二時間も楽しく英語で会話できたことが自信につながった。ちなみにDに赤ちゃんの話をしたら首をかしげていた。

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